逆さまに書く、これも芸と盛り上がる |
神保町らくごカフェ、第2回目「三笑亭笑三 ひとり会」
笑三さん監督の映画「ミイラとり」「上野番外地」、
中入り後、
「呼び出し電話」
「悋気(りんき)の火の玉」
女性のジェラシー、嫉妬を演じたら、
笑三さんの右に出る者は居ないだろうと思った。
いい男の笑三さんならではの熱演だった。
ドラムスではシンバルをジャーンとやるのは、
たいてい、1234の1で
バスドラムのズドンという音と一緒に叩く。
笑三さんはときおり大きな高い声で会話に入る。
それは、シンバルのような効果だと思った。
柔らかくゆっくりと始まるが、
やがてテンポを上げて、
緩急の波を越えて、
落ちにたどり着いたとき、
何とも言えないいい心地がするのは
なぜだろう。
落語を聞いたと言うことだけではない。
だって、CDでも聞いているもの。
笑三さんの人柄でもないだろう、
だって、よく知らないもの。
ましてや、
落語の内容であるはずがない。
だって、バカバカしい内容だもの。
やがて、
なんとはなしに
わかった気がした。
それは
この空間がいいのかも。
座っているこの座席を
包んでいるこの空間が
いい心地なのかも。
いい心地なのかも。
お客さんと落語家とで作り出した空間だ。
なんと穏やかで、
なんと自然。
愉快に包まれて、
不愉快な
感覚を忘れてしまう。
愉快に包まれて、
不愉快な
感覚を忘れてしまう。
痛みも、
悩みも。
海の潮騒や
森の葉擦れの音のように、
この空間に、
ただ浸っている心地よさを味わった。
しかし、
落語が終わってしまえば
ここはただの部屋だ。
しかし、
落語が終わってしまえば
ここはただの部屋だ。
だから
明らかに
ここには
落語が作り出した空間が在った。
明らかに
ここには
落語が作り出した空間が在った。
0 件のコメント:
コメントを投稿