2010年11月8日月曜日
芸術
「芸術とは社会の窓」
という言葉があるわけではないが、
ちょっと気どって言ってみた。
いや、社会の窓とは俗な意味ではない。
芸術という切り口で社会を覗くという
意味なのだが。
芸術を認めるのは
人であり社会であるから、
認められた芸術は
人や社会の意識を
反映しているはず。
すると、
人や社会という捉えにくいモノを
芸術を理解することで
人や社会を理解できるかもしれない
と考えてみたらどうだろう。
ときおり、芸術が人や社会を動かすのも、
人や社会への情報が込められているからに、
ほかならないかも。
笑い、怒り、悲しみなど、
人の関わりのなかに生じる感情は
社会の中に生じるものと言って良いと思う。
つまり、社会の中にある「落語」は
極めて高い芸術性を持つと言っちゃっていいのでは。
たとえそれが古典であり、
江戸時代の話だとしても、
今日の社会に受け入れられていることが、
今日の社会への情報があることを示しているわけだろう。
落語の芸術性を真正面から
考えるあしがかりとして、
社会との関係性を考えてみたが、
考えなくとも、
落語はお客さんとの間で作り上げるものなのだから、
落語自体、お客さんとの社会性の塊みたいなものだろう。
では
もう一歩踏み込んで、
「落語の社会性」について
考えてみたいが、
ソレはまた明日。
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