落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2017年5月22日月曜日

「付き馬」(第67回志ん諒の会・20170521)




(ネタおろし#110) 「駒長」(第67回志ん諒の会・20170521)




志ん諒のひとり言 その3

「人間関係のファンタジー」。
落語を一言で言うならこう言えるのかもしれません。
落語の魅力は、現実にはなかなかお目にかかれない人間関係だったり、こうあって欲しい人間関係だったりと、そんな非日常の人間関係を味わえることです。
そして、「人間関係のファンタジー」に共感してもらうことこそ落語の目的とも言えるでしょう。落語を話すことで観客にある種の快感を感じてもらうこと。これは演劇や映画とかわりません。

そのためには落語としての話し方があります。
ではその話し方を考えてみましょう。目的は「人間関係のファンタジー」に共感してもらうことです。話し方はその目的に近づく方法です。目的に近づくには様々な方法が考えられます。

山登りに例えれば道がたくさんあるようなものです。どの道を選ぶか、右に行くか左に行くか、道を作って進むのか。もうすでに歩き出しているとしても、ここは一つ、ちょっと立ち止まって、これから歩いて行く落語の地平を見渡してみましょう。

今、落語家が高座に上がりました。高座の前には客席が広がっています。そこには空間と時間があります。
普段意識することのないものですが、どんな空間と時間なのかを見てみましょう。当たり前のことですが、落語を話す空間には聴き手の客と話し手の落語家がいます。
客は複数います。でも、落語を聴いている間は、落語家と客とは一対一です。
客が客と会話することはほとんど無いわけですから、客は落語を聴いている間、落語家と一対一なのです。

さて、人は一対一で向かい合うと反射的に身構えるものです。

なんと落語の空間には、そんな身構えた二人の小空間が客の数だけ連鎖しています。

落語の空間には一人の落語家、見下ろして話しをする落語家、一方的に話しをする落語家がいます。
これでは一見、落語家が主体の空間と外からは見えるでしょう。しかしその実、主体は客の方です。高座の下から何人もで見上げて聴くだけの客が落語の主体です。
ですから、落語会に訪れた客は実は来訪者ではありません。来訪者は客の前に座る落語家の方です。すなわち、ご機嫌をうかがいに来訪してきたのは落語家の方です。客はあくまで、笑って答えてやるという立場です。

高座という壇上で落語家が下から衆目を集めているにもかかわらず、実際は主体は高座の下の客。これぞまさに主客転倒です。
落語の空間は上下が逆さまの空間になっています。

 そのうえなんと、落語の時間は驚くことに。空間ばかりか時間までも。さてさて、実に落語は深いものというこの話の続きはまた来月。 
 
(来月へつづきます)

第67回志ん諒の会














2017年5月1日月曜日

第68回志ん諒の会チラシ