落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2010年11月29日月曜日

独演会まで一週間


いよいよ独演会まで一週間です。
稽古はもちろんですが、
いろいろと思いついては
バタバタしています。

演目の「芝浜」の中に
「福茶」をすすめる場面があります。
そこで、「お仲入り」に
「福茶」のサービスを考えました。
美味しく出来るでしょうか。
是非、お味見いただきたく思います。

シールを用意しました。
4回分のシールで
オリジナル手拭いと交換します。
来年は3ヶ月毎に4回の予定ですので、
一年後ということになります。
手拭いをお渡しできる日は
独演会一周年ということです。

きっと、
あっというまに
やってくるであろう
その日を楽しみに、

明日も頑張りたいと思います。

2010年11月27日土曜日

舞台

ここんとこ、落語鑑賞と呑みのご報告で、
落語草もブログらしくなっていましたが、
今日はまたまた、ダラダラと考えてみたいと思います。
前回、「上下を間違えた」とき、
間違えているのは
上下ではないように思うと言った訳を説明して、
落語の構成について考えてみましょう。

これは繰り返しになってしまいますが。

写真は柳家小三治さんの「芝浜」の一場面、

「ぶつなり
けるなり
してください」---①

「どうぞ
お手をお上げ下さい」---②

写真①②から2人の配置を考えると、
写真③④のようになると思います。
この2人が、魚屋さんの奥の座敷に居るわけです。

ボクは「上下を間違えた」訳は、
このような全体像が捉えられていない
からだと思うのです。

登場人物が2人以上になったり、
動き回ったりすると、
全体像を捉えておくことが
さらに重要になると思います。

落語の初心者に上下を説明するときによく、
部屋の何かを見ながら話すようにとか、
座布団の角から出ないようにとかの
説明を聞きます。

ちょいとくどくなりますが、
これは初心者にスキーを教える時に
ボーゲンを教えるようなモノだと思います。
確かに雪面を滑ることはできますが、
ボーゲンからパラレルに進むのは
エッジの使い方が大きく違うため、
かえって邪魔になり、大変苦労します。

これと同じように、
上下を何かの対象物に置くことは
その形で、落語らしくは見えるでしょうが、
その形を意識し、その意識に囚われることは
登場人物に話しかけ心情を表現するうえで、
邪魔になるように思います。

なにより、そこに登場人物を立ち上がらせ、
その人物の目を見据えて話す稽古が
大切だと思うのですが。
このことは初心者にはことさら
大切なことだと思うのですが。

さて、
ところで、このように、
詳細な位置関係を設定することが、
落語の持つ、
「想像の楽しみ」の障害になると
お考えになる方もいらっしゃるかもしれません。

たしかに、落語は「話芸」です。
しかし、その「話芸」の中の声は、
位置関係によって変わります。
近くの人に話すのと、
遠くの人に話すのとは違う声になりますから。
また、それが話の中で不安定では、
「おや」っと聞き手に疑問を持たれてしまいかねません。
それは正に「想像の楽しみ」の障害になるわけですから、
やはり、位置関係の設定は
聞き手の想像を助けることになると思われます。

ここで、
落語の構成を考えるときに
建築で言えば基礎に当たる
次の三つが大切だと考えます。
(1)聞き手が舞台をハッキリと思い描く。
(2)出来事の前提や経過を明快に納得する。
(3)登場人物の心情を理解するか、心情に共感する。
この上で、話は落ちに向かって展開し、
突き進んでいくのです。

その(1)の舞台設定がいままで考えてきた、
登場人物の配置でした。
ただ、
これまでまだ、
舞台用語の「大道具」については
考えていませんでした。
次回は「かきわり」をどのように表現できるのか、
聞き手にその存在を知らしめるには
どんな「技」があるのかを
考えてみます。

そして、
続いて(2)(3)について整理したいと思いますが、
ひとまず寝ます。

2010年11月26日金曜日

日本テレビ麹家落語塾 末廣亭見学 11.26



新宿 末廣亭 11月下席・夜の部 (17:00~21:00)
(芸種) (演者)
(「演目」)




( ココカラミマシタ )
落語 三遊亭とん馬
 「鮑のし」
物まね 江戸家まねき猫
「江戸家テレビショッピング」
18
落語 春風亭柳好
「悋気のコマ」
落語 桂富丸
「噺家の夢」
物まね 宮田章司
「江戸売り声百景」
落語 山遊亭金太郎
「天狗裁き」
19
落語 三笑亭笑三
「異母兄弟」
《 お仲入り 》
落語 三遊亭左円馬
「二番煎じ」
俗曲 松乃家扇鶴(せんつる)
「ちょい粋で艶ぽい端唄色々」
20
落語 三遊亭金遊
「子ほめ」
落語 三遊亭円輔
「時そば」
曲芸 ボンボンブラザース
主任
講談
神田松鯉(しょうり)
「柳沢昇進禄より
隆光の逆祈り」

写真は打ち上げです。

2010年11月24日水曜日

三遊亭とん馬師匠独演会


三遊亭とん馬師匠独演会
お江戸日本橋亭。

1.北見 翼 「転失気(てんしき)」
2.三笑亭 夢吉 「目黒のさんま」
3.三遊亭とん馬 「ねずみ」
-お仲入り-
4.北見 翼 マジック
5.三遊亭とん馬 「死神」

写真はその打ち上げです。

2010年11月22日月曜日

斜め後ろ

①A
②A
今日は「おばさん」の動きを見ながら、
斜め後ろの位置をどのように表現するのかを
考えてみます。

取り上げるのは先日から見ている「明烏」の
座敷に「おばさん」がやってくる場面です。


【太助】
「あッ、
来た来た。
お、おば、おばさん、
なにをしてんだよォ。ン……
ホラホラ、ん、これもう‥…
頼むよツ、早く!」

【おばさん】 
「わかりましたよ本当に。---①
どうォも、若旦那     ---②
あいすいませんでした、
お待たせしちゃって。
ね、え。お仕度が出来ましたから、
さ、どうぞあちらへ」

「明烏」の場面で「おばさん」が
①「太助」に言う
②「若旦那」に言う
ところで、
それぞれ、写真①と②にしてみました。

そこでおばさんの角度を見てみましょう、
実際は①では客席に対して
ほぼ斜め後ろになっているけれど、
①Aを見ると、
そんなに首を後ろまで
回しているようには見えません。
それは、体が客席に対して 
「半身」に立っているから
なのだということがわかります。

ここで、よく見ると、登場人物達は皆、
「半身」なのがわかりますね。
もちろん、シルバニアのみんなが
勝手にそうしているわけではありませんから、
これは古今亭志ん朝さんの
DVDの映像を見ながら、
ボクの感覚で
配置したものなんですが。

②Aでは「おばさん」は
体の正面近くを向いています。

ですから、高座での表現としては、
あたかも座布団の下に
ヒザから下が突き抜けて、
「半身」になった上で、
ヒザから上の動きを作っていると
考えるのはどうでしょう。
すると、斜め後ろであったとしても、
ほぼ横として表現できる
というわけなんですが。

体の向きや頭の向きでの表現を
上下(かみしも)をつけると言います。
そこでよく、
「上下を間違えた」という言葉をよく聞きますが、
間違えているのは
ほんとうに上下なのでしょうか。
なんとなく、
上下ではないように思います。
それはなんでしょうか。
それは、
また明日。

2010年11月21日日曜日

やりきること


シルバニアファミリーの
愛らしい姿を楽しみにして
いらした方には大変申し訳ないのですが、
今日は、
是非、ガマンしていただいて、
この一文をお読みいただきたく思います。
忘れないうちに書いておきたいからです。

それは、
先日の稽古で気づいたことなのですが、
落語をやっていく上で、
最も大切にする事は何かという問題です。

いきなり、大きな問題ですが、
今日はそれを
品質機能展開(QFD : Quality Function Deployment)
を用いて考えてみたいと思います。

上図がそれです。
空欄部分にはいろいろと
書き込んでいくものと考えて下さい。
上部の三角形の部分は
「話し手の技」どうしの関係の中から
その両方に通じる「技」を考えていく部分です。
結果、最上部の赤く塗った部分に
最も大切にしなければならないモノが
見えてくるというしかけです。
QFD本来の使い方ではないと思いますが、
落語の本質を考える上で
よいものと考えました。

つまり、
「お客さんの要求」のそれぞれに対して
「話手の技」のひとつひとつが対応するなかで、
その「技」を集約した「技」が
図の赤く塗った部分に当たるわけです。

もちろん、「背反特性」を持つような、
互いに反する「技」もありますが、
それをも包含するような集約した「技」として
最も大切なモノがあるように思います。
では、
赤く塗った部分に当たる「技」とは何でしょうか。

今、それをボクは「やる」事だと思います。
すなわち、
落語として成り立つ「話」を「やる」事です。

具体的には、
自分の中で納得いかなくとも、
言葉が出てこなくても、
頭の中が真っ白になったとしても、
落語を「やりきる」事だと思うのです。

それは、落語は「お客さんの要求」の上にあるモノだからだと思うからです。
八代目桂文楽さんの逸話は有名ですが、
言葉に詰まって高座を降りるのも
文楽さんの「技」の一つと言えると思います。
それは文楽さんが
文楽さんに対する「お客さんの要求」をある意味で満足させているからです。

しかし、一般には、
高座の上で、独りよがりな稽古をしては
「お客さんの要求」を満たしているとは
言えないと思います。

以前、三遊亭とん馬師匠が
「出来ないと思うなら高座に上がらなきゃいい、
上がった限りはやれ」
と仰っていたのはまさに、
「やる」事がすなわち
「お客さんの要求」を満たすことの基本である事を
示していたのだと思うのです。

原稿や台詞に囚われすぎている様子を見るにつけ、
芝居じゃないんだ、落語なんだと思うのです。
落語は、お客さんに向かって、
落語の作者の心情を表現するモノではなく、
話手の心情を表現するものだと思うのですが、
いかがでしょうか。

明日はシルバニアファミリーに登場してもらいたいと思っています。
それではまた明日。

2010年11月19日金曜日

千一亭稽古会と日本テレビ麹家落語塾 11.18

鴨志田亭金頓 天狗裁き

千一亭志ん諒 火焔太鼓・元犬・死神 (やり過ぎ)

春乃家有楽 普段の袴

N文亭八叟 錦の袈裟

浮世亭寿八 火焔太鼓

舞上り亭奴だこ 二番煎じ

なおき 粗忽長屋

麹家進ん馬 天災

どれみ亭恭ン恭ン 松竹梅

麹家やん馬 死神


ここまでが千一亭、
これより麹家

やん馬 死神

馬こと 道灌

よつ馬 四段目

小ん馬(勝手に仮名) 長短

進ん馬 天災

寛太 時そば

志ん諒 火焔太鼓 (ムリムリ10分版)

ボジョレーヌーボー酔いを
のりこえての写真整理。
おやすみなさい。
また明日。

と言ってる間におはようございます。
朝方、夢で小話がでてくるなんてことがありまして、
びっくりしました。

-----
「あそこの芝居小屋で焚いてる蚊取線香、
ケムは出るんだが匂わねえんだよ」

「へぇー、そいつあめずらしい、どこのだい、
キンチョーかい、アースかい」

「あー、それそれ、アースだ」

「ほー、そいつあ、めずらしいやな、
えー、
あ、そりゃ、
あ、まさに、
あ、レアーアースに
あこりゃ、
あ、ちげえねえぇ」

「おいおい、
ずいぶんと芝居がかりやがって、
きどるいってんじゃねえよお」

「なに」

「きどるいってんじゃねえ」

「はいはい」

「きどるいって」

「言いたいだけだろ」

「きどるい

きどるい」
-----

またもやオマケ
火焔太鼓の落ちの前、
「そんでもっておめえ
百五十両だ」
「あらちょいとお前さん
弱っちゃった
百五十両だ
なんて
ああー」

2010年11月17日水曜日

明烏3


単純な方法とは
客席に正対して配置する
と言うことです。
今日は
分かりやすい配置と
作るべき空間の形について考えます。

人物の配置では
背を向けた配置も
可能かもしれません。
「もう半分」で
後ろを向いてから
ふり返って
「もう半分」と言うのも
いい演出かもしれません。
かなりコワイと思います。

しかし、「明烏」のこの場面では
テンポの点から無理でしょう。

頭と目の動きで対象の位置を
表現しなければならないのですから、
分かりやすさということでは、
横並びが一番分かりやすいのですが、
それでは、空間の広がりとして弱くなります。

映画でも舞台でも、広がりは
情感に大きく作用します。

そこで、最も広く空間をとろうとしたとき、
客席全体を含めて舞台空間とするような
演出が必要でしょう。

そこで、正対しながらも、
客席の向こうに広がるような
配置を考えます。

すると
写真①より②の配置が
いい表現と言えるのではないでしょうか。



では具体的に
カミシモを切るときに
どう考えたらいいのでしょう。
「おばさん」の動きに注目して、
考えてみるのは
明日にしますね。

2010年11月16日火曜日

明烏2

本来の位置関係
落語での位置関係
落語での位置関係の俯瞰図
これはボクの考える位置関係。
手前が高座、向こうが客席として、
座敷をイメージしてほしい。

左から、女中、若旦那、太助、源べえ、おばさん。

さて、
ボクは単純に
落語での位置関係を決めている。
その説明は明日に。

-----

●「ええ? なんだい、酒? 
いや、もういいよ。
もう、いくら飲んだって酔やしねえしねェしね、
うまくもなんともねェよ。
え、駄々っ子はあすこでめそめそ泣いてんだろ。
女郎買いに来たようじやねェよ。
なんか通夜に来たようだ。
近ごろ通夜だってもっと陽気だよォ。ね、
弱ったねえどうも。ええ? 
坊っちゃアん、…坊っちゃん
みんなァ心配してんですよォ、ねえ。
そっち向いてその、なんか泣いてないでね、
え、ン、もうすぐですから。ねえ。
あァた付き合うってそう言ってくれたんでしょ? 
こっちイ坐ってさァ、
なんかつまんだらどうですゥ?
ええ!ね、坊っちゃん」

○「いえ、……結構でございます」

●「あ、そおォ? ふうん。結構だとさ、
ン…いいじゃアないか、あァた……、
エ、わかったわかったよ。
じやもううっちゃっとくよ。
うっちゃっとくけどさア
あすこにいらいるってェとね、
なァんか気詰まりだよ。ねえ
うん……。
おい、どうしたんだよおばさんは? えエ?
まだ仕度が出来ねえのかい? 
ぐずぐずしてやがらア本当に。
おばさん一人で喜んでんだよ、ねえ?
『うぶでいい』やなんか言ってンだ。
なにがうぶ……。
本当にしょうがねえどうも。
あッ、
来た来た。
お、おば、おばさん、
なにをしてんだよォ。ン……
ホラホラ、ん、これもう‥…
頼むよツ、早く!」

■「わかりましたよ本当に。
どうォも、若旦那あいすいませんでした、
お待たせしちゃって。
ね、え。お仕度が出来ましたから、
さ、どうぞあちらへ」

○「いえッ、…結構でございます。
いいんです、あたくしは。
ここに待ってますから」

-----

2010年11月15日月曜日

明烏


落語で人物を
配置するとき、
なによりも
お客さんに解りやすく
配置することが
大切だろう。

そこで、
「明烏」から
次の場面で
人物を
どのように配置すると
より理解しやすいか
考えてみる。

その場面とは
お茶屋の座敷。

●太助
○若旦那
源べえ
女中
 の4人が座っているところに
■おばさん
が登場する
という場面。

-----

●「ええ? なんだい、酒? 
いや、もういいよ。
もう、いくら飲んだって酔やしねえしねェしね、
うまくもなんともねェよ。
え、駄々っ子はあすこでめそめそ泣いてんだろ。
女郎買いに来たようじやねェよ。
なんか通夜に来たようだ。
近ごろ通夜だってもっと陽気だよォ。ね、
弱ったねえどうも。ええ? 
坊っちゃアん、…坊っちゃん
みんなァ心配してんですよォ、ねえ。
そっち向いてその、なんか泣いてないでね、
え、ン、もうすぐですから。ねえ。
あァた付き合うってそう言ってくれたんでしょ? 
こっちイ坐ってさァ、
なんかつまんだらどうですゥ?
ええ!ね、坊っちゃん」

○「いえ、……結構でございます」

●「あ、そおォ? ふうん。結構だとさ、
ン…いいじゃアないか、あァた……、
エ、わかったわかったよ。
じやもううっちゃっとくよ。
うっちゃっとくけどさア
あすこにいらいるってェとね、
なァんか気詰まりだよ。ねえ
うん……。
おい、どうしたんだよおばさんは? えエ?
まだ仕度が出来ねえのかい? 
ぐずぐずしてやがらア本当に。
おばさん一人で喜んでんだよ、ねえ?
『うぶでいい』やなんか言ってンだ。
なにがうぶ……。
本当にしょうがねえどうも。
あッ、
来た来た。
お、おば、おばさん、
なにをしてんだよォ。ン……
ホラホラ、ん、これもう‥…
頼むよツ、早く!」

■「わかりましたよ本当に。
どうォも、若旦那あいすいませんでした、
お待たせしちゃって。
ね、え。お仕度が出来ましたから、
さ、どうぞあちらへ」

○「いえッ、…結構でございます。
いいんです、あたくしは。
ここに待ってますから」

-----

( ●太助 ○若旦那 ■おばさん )
くわえて、
太助の隣に源べえ
若旦那の傍に女中
の5人。

この5人 をどのように
配置したらよいのか。

ボクの考えは明日。

2010年11月14日日曜日

位置関係




落語はイメージで作る空間造形である。
こう捉えて、落語の
「どのように伝えるか」を
考えてみたい。

落語は概ね会話で作られる。
そこで
「カミシモ」で表現される、
二人の会話の場合の
位置関係について考えてみよう。

今、二人が登場している。
正対して対話しているが、
落語ではL字型のソファーか
四角いテーブルに直角に座っているような
位置関係で話す。

これが舞台だと
対面ということもあるが、
二人の場合
ベンチに横並びというのをよく見る。
その際、相手に言う台詞を
相手とは違う方に顔を向けて台詞を言ったりする。
そんな場面を舞台ではよく見る。

落語はほとんど
相手に言う台詞は
相手に向かって言う。
そうしないと誰に言っているのか
解らなくなりがちだからだ。

したがって、
落語においては、
登場人物を空間に配置するとき、
対話の位置関係で配置していくが、
ときとして、
登場人物が台詞を言う場合、
その位置関係をはなれて、
台詞を言うことで、
登場人物の情感を表現することも
効果的であると思う。

そのためには
お客さんに
ハッキリと登場人物達が
見えていなければならず、
そのためには
正確な空間配置が必要だと思う。

お客さんに位置を
ハッキリと認識してもらうためには
どうしたらよいのか
それはまた明日考えることにします。

2010年11月13日土曜日

落語の笑い


笑いの無い落語はあるのだろうか。
という問いにたいして、
人情話や怪談話を取り上げて、
「ある」と思っていた頃もあった。
しかし、
「笑い」を学んでいくうちに、
どんな話でも、話には感情が込められており、
それが伝わることが出来れば、
そこには「笑い」が生じるもののようだ。

落語の感情は不随意の「笑い」を導く、
すなわち
「落語の笑い」は抑えがたい感情の表現である。

だから、
時に、それは、連鎖する。
落語を聞くうちに、
励起状態とでも表現せざるをえないような
状態の人達が、
誰かの「笑い」で発動し、
次々と爆発的に笑い出す。

これは
人情話や怪談話においての、
「微笑」でも同じである。
すばらしい人情話や怪談話には
不随意の抑えがたい「微笑」が湧き上がる。

つまり、
強い言い方になるが、
「微笑」を含めて、
笑いの無い落語は
もはや落語ではない。

すなわち、
抑えがたい感情を導いて
はじめて落語と言えると言いたい。

くわえて、
抑えがたい感情が
たとえ涙を誘ったとしても、
その後にはさわやかな微笑が湧き上がる。

それは
「笑い」が
「降りかかる至福」によって
湧き上がってくるモノだからであろう。

ここまで考えると、
やはり落語は
「心で心に伝える」ものだと言うことが
ハッキリしてきた気がするのだが。

さて、それでは、いよいよ
「どのように伝えるか」
を明日考えよう。

2010年11月12日金曜日

日本テレビ麹家落語塾 11.11

万ん馬さん 「長命」

遊悦さん 「ろくろっ首」

馬ことさん 「味噌豆」

すい馬さん 「ガンジス川」

ぽぽんさん 「牛ほめ」

馬ん次さん 「代書屋」

志ん諒 「元犬」

またまた酔っ払っての写真整理。
居酒屋チムニーはいつもの盛り上がりで、
来週のボジョレーヌーボーの予約を済ませ、
お開きとなった。

私を含め、まだ1月の発表会の演目が
決まらない方が幾人か居て、
誰かが
とん馬師匠に
演目についてうかがったところ、
「どうだろう、そう決めつけないほうがいい」
とお答えになっていた。


心理学者河合隼雄先生
「分析してレッテルを貼ることより、
来たるべき将来に目を向けること」
とおっしゃっていた。

きっと師匠には
稽古を重ね、
様々な状況を経験していくうちに、
ハッと自分が進むべき世界が
広がってゆくような、
 もしくは、
世界を広げてゆくことで、
その中に自分を見出すことがあるような、
そんなことがあったのだろう。

いつも自分自身は
過ぎ去った時の中にあるのではなく、
来たるべき可能性の中に在る。

そう師匠は教えたかったのではないか
と思いつつ、

今夜は「水曜どうでしょうDVD第2弾闘痔の旅」の
コメンタリーを聞きながら眠ることにしよう。
水曜どうでしょう」は、
聞いていると、眠れてしまう。
映像はオマケのようなモノ、
音だけで充分。
「水曜どうでしょう」には
どこか落語に通じるものがあると感じている。
いつか、これは考えてみたいと思っている。

「落語と笑い」と「落語家が選ぶ何」については
明日にしていいでしょうか。
では
明日もいいお天気になりますように。

オマケで「元犬」のタダシロウです。