落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2022年4月25日月曜日

第126回 志ん諒の会


五月を前にして、藤棚が出てくる季節感のある「付き馬」を。今年も三社祭りのが中止となり、半纏を着て担げないからか、熱気の中に揺らめいて見えた浅草辺りの情景に思いを馳せて話しました。
 ほんとうに悪い奴は、素晴らしいいい人だと心底思ってしまうような人ですが、付き馬の悪人はいい人だと思わせようとがんばっている半端な悪人です。だから面白いので、その面白さを味わって欲しいと思いました。

 以前から「悋気のコマ」のオチ「シンボウが狂っています」に、?を付けていたので、今回その回答として手直ししました。
 それは、女好きの旦那に言う「当たり前に我慢ができないんだから」の言葉を振っておき、「見てください、これ、当たり前にシンボウができておりません」と落としました。

 「疝気の虫」では、虫とのやり取りが単調に思えました。もうひとひねり欲しいなと。まだ考え中ですが、例えば、苦手なものは何だとの問に、「、、、うどん」なんて言っちゃうのはどうかなと。いや、ホントは好きなんですよ。

「ああそうか、だから病み上がりにはうどんなんだな。ん、おっと、おかしいぞ、うどんを食した後に疝気を患った患者もいたぞ、さては、苦手と言って、うどんも食おうという魂胆だな。虫のいいこと言いおって。虫酸が走るわ、ヤッパ潰そ」
 「わぁぁ、まって、まって、潰さなくたってコッチは、もう、とっくに死にそうなんですから」
「なに、死にそうだと」
「ええ、虫の息なんで」




 

2022年4月22日金曜日

3年前かぁ

 そうそう、まだまだやってみたい話はいっぱいあるんだった。でも、新作を作るのも楽しくて、あれも楽しい、これも楽しいと、楽しさだけの落語の世界は高校での陸上部みたいです。長距離の私はジョグ2000アップ3000に5000三本な練習メニューでしたから、今思えばムチャクチャです。楽しくなかったらとっくにやめていたに違いありません。タダタダ走っているだけ、そう見えるでしょうが、これが楽しかった。今やっている落語も同じです。タダタダ喋っているだけに見えるでしょうが、てへっ、なんとも楽しくって。でも陸上は自分だけが楽しいでいいけど、落語はそうはいきません。その意味で、陸上部は純粋なアマチュアであり、落語はそれ自体がプロフェッショナルであると言えると思います。


【落語】 千一亭志ん諒  (ネタおろし#149) 「 吉田御殿 」【 第90回志ん諒の会(千一亭志ん諒独演会)2019年4月21日 】


https://youtu.be/cghijlcFrdQ 


【落語】 千一亭志ん諒  「 動物園 」【 第90回志ん諒の会(千一亭志ん諒独演会)2019年4月21日 】


https://youtu.be/qU0CntICviw


【落語】 千一亭志ん諒  (ネタおろし#150) 「 疝気の虫 」【 第90回志ん諒の会(千一亭志ん諒独演会)2019年4月21日 】 


https://youtu.be/IFhYNT5B9AA  


【落語】 千一亭志ん諒 「 愛宕山 」【 第90回志ん諒の会(千一亭志ん諒独演会)2019年4月21日 】


https://youtu.be/sp1Yo6trang





2022年4月13日水曜日

第127回志ん諒の会チラシ


 

2022年4月12日火曜日

【落語】 千一亭志ん諒「 百年目 」(ヒャクネンメ )【 第125回志ん諒の会(千一亭志ん諒独演会)2022年3月27日 】

  なぜ、あんなに堅い番頭さんになったんだろう。その疑問への答えの一つを「百年目」に加えました。

 周りでしくじっては家へ帰される仲間を見て、番頭さんは自らの帰る家の無い心細さを感じていたことでしょう。それに加えて親代わりと思っている旦那からの心無い言葉にどれほど傷ついていたことでしょう。

 大きな孤独感から、頼るのは自分だけと、きっと番頭になったときに堅く決意したことでしょう。そして、別の世界で本来の自分を取り戻していたのかもしれません。

 今回、柳亭こみち師匠の素晴らしい二席の後でしたので、なんとも、ザッバァンと大きな波をくらって浜に打ち上げられていくような心持ちでした。そんな軽い目眩を覚えながらの語り出だしでしたから、ペースをつかんで走り出すまでには、ずいぶん時間がかかりました。

 切磋琢磨する気持ちは振動しているようです。振動する物同士は共鳴することがあります。柳亭こみち師匠のそんな振動に、きっと、私のどこかが共鳴したようです。映像や音源では感じられないものが、あの瞬間、確かにそこにありました。

 メディアからではなく生の落語の生命力のような物を確かに実感しました。

 いつまでも高座に居たい気持ちの「百年目」でした。充実した67歳の誕生日でした。みんな心からありがとう。





【限定公開】(モンマスティーだけの)ドキュメント20min. 「MIDNIGHT TIMELINE」 20220411 000000 NHK総合


 

2022年4月10日日曜日

落語家・干一亭志ん諒をつくり り続けるものたち

  只今発売中の雑誌「クインテッセンス3月号」144ページに私のコラムと写真が掲載されています。

 以下は全文と掲載された写真とその説明です。

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落語家・干一亭志ん諒をつくり

り続けるものたち



 「今日も元気,明日も元気,今月いっぱ

い元気だ」

 これは1964年に放映されたテレビ人形劇

「ひょっこりひょうたん島」に登場するトラ

ヒゲの台詞である.

 私は小学3年から6年まで,ほぼ毎日の

ようにワクワクしながら放送時間を待って

いた.おそらく,私のなかの笑いと温もり

の柱となっているのはこの番組であろう.


普段の私は白衣姿の矯正歯科医だが,時折,

着物姿の「千一亭志ん諒(せんいちていしん

りょう)」という落語家になる.  53歳から始

めた落語であるが,13年の歳月で持ちネタ

を180.自作落語を21にまで増やした.


 落語の学びとは,「噺」の世界での仮想

体験となって身につけることのようである.

その身の一部は確かに『ひょっこりひょうた

ん島』にあるのだろうが,私の笑いに対する

姿勢を思うと,あれもこれもと,いままで

のいくつもの出来事が顔をのぞかせてくる.


 1955年,私は亡き父・英夫の長男として

生まれた.私が小学1年生の時,父は北海

道の過疎の村. 見舞(けりまい)の小学校教

であった.全校生徒が10名ほどの小さな

小学校である.そこは太平洋に面した日高

昆布の産地で,荒涼とした景色に身を切る

寒さが拍車をかける小さな海辺の過疎の村

である.

 昆布漁とは太平洋の荒波が打ち寄せるな

か,果敢に海に飛び込んで昆布を採る命懸

けの仕事だ.貧しい村は婦人までもが漁に

加わっていた.

 大しけになれば昆布が岸に打ち寄せてく

るのだが,防波堤のない岩だらけの海岸で

は,毎年多くの村人が無惨に波にのまれて

いた.父はその状況を全校生徒とともにド

キュメンタリー映画として8ミリフィルム

に収め,北海道庁に幾度となく頭を下げに

いった.そしてついには防波堤ができ,事

故はなくなったのである.


 落語会の様子は鳧舞小学校のような単級

複式の小学校の授業に似ている.落語家は

先生,お客さんはさまざまな学年の生徒と

考えると,生徒1人ひとりの学年は違って

も,先生の指導で教室が1つになっての笑

いは落語会のそれと変わらない.

 私は父の授業から生徒の1人として多く

のことを学んだ.父はよく冗談を言っては

自分で笑っていたが,そんなところも私は

受け継いでしまったようだ.


 いつも楽しいことだけをしていた父で

あった.まさにトラヒゲの言葉のように,

先のことなど考えずに今を精一杯楽しむよ

うな笑いと感謝の父だった.だからこそな

のか,失敗も多かった.さまざまな仕事で,

奮戦からの挫折を繰り返した.何度も沈ん

では浮き上がる父はまるで潜水艦のようで

あった.それに一緒に乗り組んでいた私は

ことあるごとに,父と顔を見合わせて笑い

合ったものである.


 志ん諒の落語はそんな半世紀を超える実

体験と「噺」という楽しい仮想体験と,さら

には,恥知らずな度胸とからできあがって

いる.その度胸は,小学校で13回,中学校

で2回,高校で1回の転校の際に,前へ出

て教壇からクラスの皆へ挨拶したことで鍛

えられたものかもしれない.


 「また芝浜を聴きに行きたいなあ」

 年の瀬に,年を越せないと思っていた病

床の父がぼんやり呟いたのが,落語に取り

組むきっかけである.それゆえ,初の落語

会の演目は「芝浜」となった.どの「噺」もそ

うだが,ことさら自分の「芝浜」は歳ととも

に厚く色濃くなっているのを感じている.

 それはなによりお客さんのお陰である.

なぜなら,落語は落語家とお客さんとでっ

くりあげていくものだからだ.


 志ん諒の落語は幾多の歓びと悲しみとが

出汁となっている.そのうえで「温もりを

感じる落語とは何か」を探りつつ,今後も

志ん諒流に楽しく「噺」を料理していこう.


 ぜひとも落語会に参加して味わっていた

だきたいのだが,せめて Youtube のチャン

ネル  「千―亭」  の動画で味見していただけ

れば幸いである.しかしながら,動画とラ

イブとでは,伝わる温もりは絵に描いた餅

と本物の餅ぐらいに違うというのは当たり

前の議論だろう.

 なぜなら「もちろん」てな訳でございまし

て,お後がよろしいようで.


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〔写真の説明です〕

 小学校入学記念写真と高座の写

真.

 上段右から4人目は父英夫,

中段左端は母達子,下段左端は弟

明,その隣が筆者です.

 高座の写真は千駄ヶ谷一丁目か

ら名付けた自宅診療所に併設の演

芸場「千一亭」で,毎月開催してい

る落語会「志ん諒の会」の模様です.

 笑って温かくなりますよう,

心から皆様のご来場をお待ちいた

しております.



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2022年4月2日土曜日

【落語】 千一亭志ん諒「 花見の蔵 」( ハナミノクラ )【 第125回志ん諒の会(千一亭志ん諒独演会)2022年3月27日 】


 

第125回 志ん諒の会




 柳亭こみち師匠の一席目はなんと「愛宕山」。奇跡を見た瞬間です。大ネタ中の大ネタ。古今亭志ん朝さんを代表するネタでもある「愛宕山」です。有難い。実に有り得ないこと。


 艶やかな舞子さん達が桜の花のように咲き乱れる「愛宕山」です。「おみごと」と頭が下がりました。

 落語は歌と同じように心を揺さぶることが話の本質です。それはもう、私はガンガンと揺さぶられました。熱いものがしっかりと伝わってきたのを感じました。

 古今亭志ん朝さんに感じたものと同じものを感じ思わず頭がさがりました。それは品格ある佇まいの中から熱くほとばしる完成度の極めて高い「芸」に触れたからです。

 このひと時ではとてもじゃないが学びきれない、柳亭こみち師匠の頂きは遥かに高く眼前にそびえ立っているようでした。


 もったいなくも「女中のやり方を学ぶように」とマクラで私に教授していただきました二席目の「猿後家」になっても、心を揺さぶる勢いは緩むどころかますます急角度に登って行き、ついには会場全体が柳亭こみち師匠の世界にどっぷり浸ってしまいました。


 「落語とは何か」「芸とは何か」をあらためて考えます。それは加えるものでなく、削ぎ落としていくものであるとあらためて思いました。

 当日は誕生日と重なった事もあり、新たな出発のきっかけになったように感じています。

 これからも「千一亭志ん諒」をなにとぞご贔屓の程よろしくお願いいたします。