落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2022年4月10日日曜日

落語家・干一亭志ん諒をつくり り続けるものたち

  只今発売中の雑誌「クインテッセンス3月号」144ページに私のコラムと写真が掲載されています。

 以下は全文と掲載された写真とその説明です。

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落語家・干一亭志ん諒をつくり

り続けるものたち



 「今日も元気,明日も元気,今月いっぱ

い元気だ」

 これは1964年に放映されたテレビ人形劇

「ひょっこりひょうたん島」に登場するトラ

ヒゲの台詞である.

 私は小学3年から6年まで,ほぼ毎日の

ようにワクワクしながら放送時間を待って

いた.おそらく,私のなかの笑いと温もり

の柱となっているのはこの番組であろう.


普段の私は白衣姿の矯正歯科医だが,時折,

着物姿の「千一亭志ん諒(せんいちていしん

りょう)」という落語家になる.  53歳から始

めた落語であるが,13年の歳月で持ちネタ

を180.自作落語を21にまで増やした.


 落語の学びとは,「噺」の世界での仮想

体験となって身につけることのようである.

その身の一部は確かに『ひょっこりひょうた

ん島』にあるのだろうが,私の笑いに対する

姿勢を思うと,あれもこれもと,いままで

のいくつもの出来事が顔をのぞかせてくる.


 1955年,私は亡き父・英夫の長男として

生まれた.私が小学1年生の時,父は北海

道の過疎の村. 見舞(けりまい)の小学校教

であった.全校生徒が10名ほどの小さな

小学校である.そこは太平洋に面した日高

昆布の産地で,荒涼とした景色に身を切る

寒さが拍車をかける小さな海辺の過疎の村

である.

 昆布漁とは太平洋の荒波が打ち寄せるな

か,果敢に海に飛び込んで昆布を採る命懸

けの仕事だ.貧しい村は婦人までもが漁に

加わっていた.

 大しけになれば昆布が岸に打ち寄せてく

るのだが,防波堤のない岩だらけの海岸で

は,毎年多くの村人が無惨に波にのまれて

いた.父はその状況を全校生徒とともにド

キュメンタリー映画として8ミリフィルム

に収め,北海道庁に幾度となく頭を下げに

いった.そしてついには防波堤ができ,事

故はなくなったのである.


 落語会の様子は鳧舞小学校のような単級

複式の小学校の授業に似ている.落語家は

先生,お客さんはさまざまな学年の生徒と

考えると,生徒1人ひとりの学年は違って

も,先生の指導で教室が1つになっての笑

いは落語会のそれと変わらない.

 私は父の授業から生徒の1人として多く

のことを学んだ.父はよく冗談を言っては

自分で笑っていたが,そんなところも私は

受け継いでしまったようだ.


 いつも楽しいことだけをしていた父で

あった.まさにトラヒゲの言葉のように,

先のことなど考えずに今を精一杯楽しむよ

うな笑いと感謝の父だった.だからこそな

のか,失敗も多かった.さまざまな仕事で,

奮戦からの挫折を繰り返した.何度も沈ん

では浮き上がる父はまるで潜水艦のようで

あった.それに一緒に乗り組んでいた私は

ことあるごとに,父と顔を見合わせて笑い

合ったものである.


 志ん諒の落語はそんな半世紀を超える実

体験と「噺」という楽しい仮想体験と,さら

には,恥知らずな度胸とからできあがって

いる.その度胸は,小学校で13回,中学校

で2回,高校で1回の転校の際に,前へ出

て教壇からクラスの皆へ挨拶したことで鍛

えられたものかもしれない.


 「また芝浜を聴きに行きたいなあ」

 年の瀬に,年を越せないと思っていた病

床の父がぼんやり呟いたのが,落語に取り

組むきっかけである.それゆえ,初の落語

会の演目は「芝浜」となった.どの「噺」もそ

うだが,ことさら自分の「芝浜」は歳ととも

に厚く色濃くなっているのを感じている.

 それはなによりお客さんのお陰である.

なぜなら,落語は落語家とお客さんとでっ

くりあげていくものだからだ.


 志ん諒の落語は幾多の歓びと悲しみとが

出汁となっている.そのうえで「温もりを

感じる落語とは何か」を探りつつ,今後も

志ん諒流に楽しく「噺」を料理していこう.


 ぜひとも落語会に参加して味わっていた

だきたいのだが,せめて Youtube のチャン

ネル  「千―亭」  の動画で味見していただけ

れば幸いである.しかしながら,動画とラ

イブとでは,伝わる温もりは絵に描いた餅

と本物の餅ぐらいに違うというのは当たり

前の議論だろう.

 なぜなら「もちろん」てな訳でございまし

て,お後がよろしいようで.


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〔写真の説明です〕

 小学校入学記念写真と高座の写

真.

 上段右から4人目は父英夫,

中段左端は母達子,下段左端は弟

明,その隣が筆者です.

 高座の写真は千駄ヶ谷一丁目か

ら名付けた自宅診療所に併設の演

芸場「千一亭」で,毎月開催してい

る落語会「志ん諒の会」の模様です.

 笑って温かくなりますよう,

心から皆様のご来場をお待ちいた

しております.



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