落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2017年10月22日日曜日

第74回志ん諒の会チラシ




2017年10月18日水曜日

「文七元結」(第71回志ん諒の会・20171015)




(ネタおろし#115) 「時そば」(第71回志ん諒の会・20171015)




第73回志ん諒の会チラシ




志ん諒のひとり言 その 8

 落語とは何でしょう。
 前回は対話の距離感について考えました。そして、お客との距離を詰める方法を考えました。それは登場人物の感情をより緻密に伝えるためです。今回は落語での感情表現について考えます。
 落語での発話におよそ感情のないものはありません。また、なにより感情を味わうことが落語の大きな楽しみです。ですから落語家には感情をわかりやすく正確に伝えることが求められます。

 感情は言葉に出ます。
 「ご隠居さん、いらっしゃいますかね」
 「おやおや、熊さんじゃないかい、まあまあおあがり」
こんな言葉より、
 「ご隠居いるかい」
 「おやおや、熊か、まあまあおあがり」
 のほうがより親しみがあるでしょう。
 このようなちょっとした言葉の違いも、前回話した話全体の客との距離感にも影響します。
 
 しかし、言葉を選ぶだけでは伝えたい感情を正確に伝えることは出来ません。
 言葉を意味と音とに分けて考えてみましょう。
 「冗談じゃねぇや」という言葉がハッキリと
「ジョウダンジャネエヤ」と聞こえた時と、
「ジョ・ジャ・ネ・」
とほぼ音の旋律だけで聞こえた時と、どちらが感情が伝わってくるでしょうか。
 そうです。落語では言葉の内容を正確に伝えることより、感情を正確に伝えることが大切です。
 しかし、だからといって
「てめえこのやろぉ」と怒鳴ったりしてはならないのです。なぜでしょうか。
 これが演劇の役者なら大声で怒鳴るところでしょう。なぜなら、演劇のお客は役者が怒鳴っている姿を見て楽しむからです。
 しかし、落語は違います。落語では、客はお客自らの中にお客自身で造り上げた登場人物の怒鳴る姿を楽しみます。
 そこで、落語家には登場人物になりきって役者のように演じるのではなく、登場人物の感情をお客自身の造り上げた登場人物に反映できるように、登場人物の感情をできるだけ緻密にお客に伝えることが求められます。
 つまり、登場人物そのものを演じるのではなく、登場人物の様子を正確に伝えるのが落語の演技です。
 ですから、落語家が本気で怒鳴ろうものなら、お客は怒鳴る勢いに圧倒されるばかりで、登場人物の様子を自らに反映するどころか、時には、まるで自分が怒鳴られているかのような錯覚を覚えることもあります。すると、お客との距離はあっという間に大きく開いてしまいます。
 そう、落語家は決して怒鳴ってはいけないのです。落語家には、お客に登場人物が怒鳴っていることを理解してもらうための落語独特の感情表現が要求されます。
 このような落語の感情表現は単に登場人物の気分だけを表現するのにとどまりません。
 では次回は、落語が持っている表現力の素晴らしさについて考えましょう。
     
         (ではまた来月)

第72回志ん諒の会