落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2021年2月27日土曜日

【 落語の雑則 47】 解りやすく単純に

正座で動くとなれば

膝から下は無いに等しい

身体の動きは腰から上だけ

の表現になる

しかし

ただ動きを再現するのでは無い

動きを抽象化した

サインのようなもので示す

それは

手と腕と頭の動き

さらには

腰と肩の動きを加えることで

動きのグルーヴ感を出す

おっと

ただやりすぎちゃ

なんにもならない

大きくなりすぎないように


例えば


歩く

登る

駆け出す

座る

立ち上がる


これらを

上半身で表現するには

脚の動きの再現が出来ない故

主に特徴ある腕の動きを使う


歩くのは上腕と肩の揺れ

登るのはそれに加えて腰と膝の動き

駆け出すのは上腕と手に肩と腰を加える

座るのは腰のひねりと床につく手

立ち上がるのは腰から胸、頭へとの連続した動き


動きは皆抽象化された

シンボルとしての動きであるから

出来るだけ解りやすい

単純な動きに


解りやすい

単純な動き

解りやすい

単純な言葉


解りやすく単純なほど

お客の思考は膨らみやすい


一を聴いて十を楽しむ


そんな落語を追求したい



【 落語の雑則 46】 驚く時は下から上へ

「紙兎ロペ」というアニメがある

以前、原作者が一人で作っていた頃の作品に傑作が多い

中でロペ君やハイエナ君が驚く場面から多くを学ばせていただいた


それはなにより驚きを伝えるには時間がかかるということ

そして驚きのあとに戸惑いの時間を作るといつこと


これらを一連の動きで表現する


そもそもペーパークラフトの人形が動くという設定のアニメーションであるから

表情の変化は乏しい

そこで動きで感情を表現するのである


驚きは大きな動きで表現している

ことに頭が大きく動く


これを高座に応用すると


驚く時は視線を一度落としてからゆっくり上げていくことで時間を作り

その後の吐息に戸惑いを表す


遠くのお客から

たとえ表情がみえなくても

言葉と動きと息遣いで

驚きがしっかり伝わる


そんな落語を追究したい





2021年2月25日木曜日

【 落語の雑則 45】 親戚に話す気持ちで

スポーツインストラクターの中には

初対面でいきなり

十年来のチンコロの様に

話かけて来る人がいる


それはそれで嬉しいのだが

やはりどちらかというと

戸惑ってしまい

こちらが合わせる感覚になる


なんといっても初対面である


だからといって

飛び込みの営業のようなトークでは

それこそ聞き流されてしまい

すぐに

ソーシャルディスタンスみたいな距離感が

できてしまう


そう

お客との距離感は

近くても遠くてもいけない

う〜ん

程よい塩梅とはどんなもだろう


他人行儀でなく馴れ馴れしくもない

親しみを持って礼を尽くす感じか


例えれば

久しぶりに会った

親戚の優しい

親の兄に話すような


そんなオジサンは

自分を赤ん坊の頃から

知っている人

仕事熱心なマジメな人

コワイ顔して笑わない人

だけど

根は優しい人なのは分かっている


だから大丈夫

礼儀正しく甘えよう


お客を笑顔にするのではない

笑顔になってもらうのだから


上手く甘えることができれば

笑顔になってもらうことができる


そのための話し方はまさしく

久しぶりにオジサンに会った時の

話し方


それはあくまでお客を見上げながら

軽く甘える話し方


それができれば

本編にすっと入って来てくれるはず


なんだこいつ

かわいいとこあるじゃないかと

感じてもらう話し方で話し始める


そんな落語を追究したい







2021年2月24日水曜日

【 落語の雑則 44】 顔を変化させる

表情

時に極端な表情は

言葉と常に一緒です


そして言葉が音の変化で知るように

表情も変化してはじめて知るのです


どんな表情も変化しなければ

無いのと同じでしょう


気持ちを伝えるには


いちに言葉

にに表情

さんに所作です


基本はこの順番で示します


そのためには

常に顔を見せます


芝浜や

薮入り

などで床に入っている時も

顔が見える角度で構えます


猫の「ごめん寝」のようでは

かわいいけれどいけません


顔の変化が勝負です


不満で歪んだオヤジヅラも

絵のように整った美人顔も

どちらも

動かないようでは

落語家の顔ではありません

柔らかく

柔らかく

ストップアニメーションの

泥人形のように

縦横無尽に

形を変えてはじめて

落語家の顔です


落語家の顔は七変化

「どこの誰かは知らないけれど

誰もがみいんなしってえいいる

七つの顔のオジサンの

ほんとの顔はどれでしょおぅ」


匠な話術

柔らかな表情

切れてる所作


そんな落語を追究したい





2021年2月23日火曜日

【 落語の雑則 43】 落語のグルーヴは三拍

ドラムの練習に

チェンジアップと

呼ばれるものがある


メトロノームのピッに合わせて

太鼓を右手で叩く

トン

と一拍ずつ

しばらく続けて叩いて

こんどは

その右手の間に左手でも叩く

トントン

と細かく二拍ずつ続ける

次ぎに

右手左手右手と

三拍を一つの

メトロノームのピッの中で

途切れなく叩いていく


このような変化を

昇順、降順と

次々と連続して行う


やってみて感じたことだが

二拍、四拍はいつでも

次ぎに移れるのだが


三拍はとても移り難い

ずっと三拍のまま

繋がっていく感覚がある


それは

右手左手右手

左手右手左手

本来右手左手で一対の感覚からか

右手でお終いのところで

次の左手を呼んでしまうのだろう


そう

三拍には強い連続性がある


ラッ


馬の走る蹄の音は

三拍だからか

音から伝わる躍動感

疾走するグルーヴ感


落語でも

おいおいおい

こらこらこら

まあまあまあ

と三回の繰り返しは

よく聞く


火焔太鼓でも

平清盛のシビンに

岩見重太郎のワラジと

巴御前のハチマキ


金明竹でも

祐乗、光乗、宗乗

三作の三所物

沢庵、木庵、隠元禅師

張り交ぜの小屏風

と三つで続く


三拍でグルーヴ感を出そう

三回には

グルーヴ感を意識しよう


三拍の持つ連続性を

いかした

グルーヴ感のある話


そんな落語を追究したい



2021年2月22日月曜日

【 落語の雑則 42】 トレースは歪む

レントゲン写真に

半透明の紙を載せ

灯りに透かして

輪郭を鉛筆でなぞる


私はこれが仕事なんだから

そりゃ自信がある


そこで

これを使って

たいへんお世話になっている方へ

かっこいい手紙を書こうと企んだ


透けて見えるような薄い便箋を用意した

ライトボックスの上には

パソコンでプリントした見事な書体の手紙


なぞるだけでキレイな手紙の出来上がり

と思ったのは正に浅知恵


ライトボックスの灯りを消すと

そこに書かれた字は

紛れもなく

まるまっちい自分のヘタ字


軽い目眩ってのは

これを言うのかと知った


話もこれと同じかもしれない


実感が使わってこない

どこか浮き上がったような

文字づらを追うかのような

記憶をさぐっているような


そう聞こえてしまうのは

直接便箋に書かずに

誰かの見事な話を

トレースしているからではないか


まるまっちくて

笑っているような

「お」だか「す」だか「め」だか

ちょっと見

いや

じっくり見ても

分からないような

そんな私の字でも


直接

丁寧に書けばかならずや

なにほどかの

実感が伝わるだろう


練習はトレースして描いても

本番は自分の言葉で描ききる


そんな落語を追究したい




第113回志ん諒の会チラシ


 

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2021年2月21日日曜日

【 落語の雑則 41】 キセルは重い

小学三年の頃、祖父と暮らしていた

キセルでタバコを吸っていた

ヤニの匂いは

キセルを見ると思い出す


両端が黄金色のキセルだった

イタズラに持ったら重かった

子供だったからかもしれない

けれど

その重さに

吸ってちゃいけない

タバコに有難みを感じた


祖父は

嬉しそうに

楽しそうに

機嫌よく

キセルをくゆらせていた


煙の向こうの

はにかむような笑顔は

いつも

こっちを見ていたような気がする


そして

そのキセルの動きは

けっして軽快ではなく

のっそり

のっそりと

顔の前で揺れていた


吸っている間にやってくる

静かな時間


重たいキセルが時間を停めているようだ


その場面を今見ても

おそらくきっと

重そうなキセルだなと思うだろう


そんなキセルに見せるには

ずしりと重たく見せるには

どうしたらいいんだろう


動きに重さを感じるような


そんな落語を追究したい





2021年2月20日土曜日

【 落語の雑則 40】 自分ではなくお客がどう思うか

「好き」

その思いは

なかなか届かないもの


どんなに好きになっても

好きになってもらえない

どんなに好きと言っても

好きになってもらえない


好きな気持ちをぶつけても

叫んでも飛びかかっても

ごめんなさいと

逃げられるだけ


その訳は

カン違い

だって

気持ちを

示したって

感じてもらえないから


気持ちに共感してもらえないから


示すだけでは

いくら大きな声を出しても

心の壁にはじかれてしまうもの


もし心の壁を乗り越えて

好きを感じてもらうことが出来れば

共感してもらうのは

すぐそこ


そして

どう感じてもらえるか

とは

どう見てもらえるかで


それは

どう見られているかってこと


だから

どのくらい好きかとか

どのくらい思っているかとか

どのくらい真剣だとか

そんな

自分の気持ちは

みんな奥にしまっておこう


考えなければならないのは

どう見えるか

どう聴こえるか

どう感じてもらえるか

だけ


そのためには


どう笑うか

どう話すか

どう動くか


思うのでなく

思われるにはを

考える


常にお客の目で耳で


らしく見える

らしく聴こえる


そんな落語を追究したい





2021年2月19日金曜日

【 落語の雑則 39】 間はカウントする

心拍数は身体が暖まると

上がってゆく


心拍数は「はっ」と緊張すると

上がってゆく


心拍数は「ここが勝負」と思うと

上がってゆく


逡巡する時

驚く時

思い余る時

感極まる時


こと終盤では

お客に

それらの情動を

湧き起こす

間を

ついつい

与えられないことが

多い


そこで

そんな場面では

頭の中で

カウントしよう


「いち、に、さん」と

次の表情を準備しながら

お客の視線を感じながら


逡巡する時は2

驚く時は3

思い余る時は4

感極まる時は5


あらかじめ決めた

カウントもセリフの内


次の言葉が待ち遠しい

沈黙に吸い込まれてしまう


そんな落語を追究したい




2021年2月18日木曜日

【 落語の雑則 38】 所作と一緒に覚える

初めは

発話者毎に姿勢を変えるのは

たいへんかと思う


けれど

その動きを繰り返している内に

前の動きが次の言葉を引き出していることに気付く


キレよく動けば動くほど

言葉は付いてくる


動きにのってくる言葉

次にその言葉の動きがはじまる


そう

動きは言葉の後から付いてこなければならない


言葉、動き

言葉、動き

言葉、動き


この順で落語は進む

(最後の動きはお辞儀)


だから

言葉を覚えるのに

動きは大きな助けになる


言葉は頭で覚えるが

動きは体が覚えてくれる


動きは想像の引き金

所作は空間を描く筆


筆の動きは小さくとも

描き出す絵は大きい


筆を見せるので無く

絵を見せるには

派手に動くことを嫌う

江戸落語では

キレてる小さい所作が

求められる


キレのいい所作にのって

心地よく聞こえる言葉は

リズム楽器と旋律楽器の

見事なアンサンブルのよう


そんな落語を追求したい