落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2015年11月16日月曜日

2015年11月14日土曜日

2015年11月11日水曜日

第50回志ん諒の会チラシ




自分を延長する

ここでちょっと別の話になりますが、野球を見てて、選手や監督が「おいおいちょっと待って」と審判に異議を唱えることがあります。これが決まって自分に不利な事だけです。タッチされたされないなどは自分が一番解るものです。タッチされてアウトなのに審判がセーフと言っても、自分に有利なら「今のは間違ってるよ」とは言いません。
当たり前すぎて気づきにくいんですが、スポーツの「フェアプレイ」とはそうゆうものです。

これが普段の生活でもよく考えるとフツーに有ります。何か言われたときに「おいおいちょっと待って」と思うのはよくありますが、後で、「ああ、ぼくが間違っていたんだな」と気づくことがよくあります。正しいと思ったからしたわけで、自分に有利な方が正しいと思いがちです。「自分の有利さ」の方に動くのが「自分というもの」の特徴です。

社会はみんなが「自分の有利さだけ」でやっていたら成り立ちません。ですから、スポーツの「自分の有利さだけ」という「フェアプレーの精神」が楽しいわけけです。

人と話をするときにこのことは特に重要です。

お互いに「自分の有利さ」を主張すれば、お互いに「不愉快な思い」をします。
意見とは大体「自分の有利さ」を主張します。議論には意見こそが必要です。
けれど、そのたび毎に「不愉快な思い」をしていたのではたまりません。

では「不愉快な思い」をしないで議論するにはどうしたらいいでしょう。

それは「相手にまで自分を延長する」ことです。つまり、「自分と話をしているものとして相手と話をする」ことです。

「相手の中に自分を見出す」などという甘い物ではなく、相手は自分であるという事実として話をします。

すると「自分の有利さを主張する」ことも当たり前のことと、よく理解できます。

イヌとお散歩をしていて、どうしても「あっちに行く」とイヌが譲らなくても、ことさら不愉快にならないのと同じです。

近頃、やたらと、「上から話す」という言葉を聞きます。現代社会では「フラットな関係性を保って話す」ことが求められているようです。「自分」を意識して人に臨むことが良い人間関係を作る強力な道具となることは間違いないと思います。


2015年11月3日火曜日

自分の機能

「自分とは?」の第二は「自分の機能」から考えてみます。

解りやすいところで、手足と自分との関係について、ちょっと理屈っぽく見てみます。

手足の働きには主に「動作」と「感覚」があります。主に脳の情報を伝達する「動作」と、脳に情報を伝達する「感覚」です。

この情報伝達に「言語」は介在しません。「動作」と「感覚」の認識に「言語」は介在しません。

これが「自分の機能」、即ち「非言語伝達」です。

「非言語伝達」の例として、「イヌ」がいます。

「イヌ」と「ヒト」とは、主に「非言語伝達」なのは明かです。「いや、ちゃんと言葉を理解するよ」と仰るでしょうが、不確定なので「主に」としました。

今年の5月に発表された麻布大学の永澤先生の研究には

「イヌの視線で飼い主のオキシトシンが分泌し、見つめ合うことで、イヌのオキシトシンが分泌した。また、イヌにオキシトシンを投与すると互いに分泌が増えた。ヒトとイヌとのあいだにはヒトの母子のあいだと同様のオキシトシンと視線の関係が存在する。」とあります。

オキシトシンとは「幸福ホルモン」と呼ばれている物質です。神経の刺激で脳に作られます。

つまり、「イヌ」と「ヒト」との関係は、単に「非言語伝達」ばかりでなく、体の構成成分まで変えていたのです。食事を採り代謝し体を作る、およそ自分の中の事に「イヌ」が関わっているのです。

そのとき明らかに「イヌ」は「自分の機能」を司っています。まあ、大雑把に半分は自分と言って良いでしょう。これは「永澤先生の研究」に有るように「ヒトの母子」と同じです。

「イヌはヒトの退化した感覚を補う存在として、イヌとヒトとで一個体として機能している」と言われてもいます。

ここまでをまとめると、「自分とは曖昧な存在で、非言語伝達しているもの」です。