落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2009年8月31日月曜日

変化

紅葉を見ていると、
変化というのは、
兆しに気がついていると、
そのうち、
あっというまに
真っ赤になっているもの。

変化は決して直線的な
変化ではないのですね。
いえ、それ自体が
直線的な変化だとしても、
感覚はその通りには
捉えられないものなのでしょう。

政治の世界を
引き合いに出すまでもなく、
変化は一気にやってくるようです。

最近気がついたことですが、
落語って、どんどん上手くなるんです。
いや、いい気になっている
訳じゃないんですよ。
あ、ちよっとはあるかもしれませんがね。
毎日、演るたびに、
「ちよっと、昨日よりいいんじゃないの」と
思っちゃうんですね。
実際は直線的に
上達しているのでしょうが、
上手くなったという気分は、
何日かおきに「おおっ」と思うんです。
もちろん、
師匠のご指導あらばこそですが、
稽古と稽古の間にも、
そんな瞬間があるんです。

今日の創作都々逸#24
♪今日の明日は 昨日の今日と
同じわきゃない あきらめない

2009年8月30日日曜日

暑い日でしたね。
こんなに暑いのに、
ひたひたと秋になっています。

街の紅葉が色づき始めています。
千駄ヶ谷は「紅葉○○」「メイプル○○」
という屋号が多く見られます。
なにか紅葉に
縁のあるところなのかもしれません。

秋の落語といえば
「目黒のさんま」ですが、
他にはと聞かれると、
うーん、難しい。

以前、思ったことなのですが、
目黒のさんまの落ち、
「さんまは目黒に限る」は
「魚は目が黒いのに限る」の
洒落じゃないのかなと。

今日の創作都々逸#23

秋たからとて 別れちゃならぬ
浮いた浮いたで 春が来る
(Winter Winter)

2009年8月28日金曜日

美しい落ち

スパイダース
「夕陽が泣いている」
夕陽が海に落ちるのは
いいものです。
ですが、同じ夕陽でも、
感動的な時と、
そうでもない時があります。

いままで、
落ちには「いい落ち」と
「そうでもない落ち」が
あると思っていましたが、
どうやら、落ちには
「美しい落ち」と
「そうでもない落ち」も
あるように思えてきました。

ですから、
「そうでもない落ち」には
二種類の原因が
考えられそうです。

「『落ち』は削ぎ落としていくもの」
今日の師匠の言葉です。

「美しい落ち」とはきっと、
作り込まれていくものなのだと
思いました。

今日の創作都々逸#23
♪きみは心の 太陽なんて
ちょいと沈めば 星を追う

2009年8月26日水曜日

表情

落語を演じるのに表情は欠かせません、
仕草と共に、
噺を作っている要素ですから、
そこも考えておきたいと思いました。
まずは表情の種類です。
とりあえず、思いつくままに、
あげてみると。

硬い
しまりのない
おどける
明るい
しかめる
眉をひそめる
冷たい
無関心な
ぼんやり
口をとがらせる
ひねくれる
笑う
怒る
真面目な
かゆい
混乱した
辛い
優しい
驚く
愛しい
悲しい
疑う
幸せ
嫌がる
恥しい
輝く
衝撃
泣く
怪しい
緊張
静かな
嬉しい
喜ぶ
暖かい
奇妙な
同情する
叫ぶ
惨めな
あきれる
邪悪な
安心する
酸っぱい
苦しい
恐い
睨む
疲れた
黙る
悪い
痛い
萌える
感動する
酔う
嘘をつく
言い張る
正しく
こっそり
あせって
鼻の頭に蚊がとまった
裸になって風呂に足を入れたら水だった

今日の創作都々逸#22
♪こうなったのも あなたのせいと
ゴメンの面は 面の皮

記号学

久しぶりの稽古でした。
またまた課題の坂道が現れました。

師匠の落語「一目上がり」が掲載された
中学の教科書を頂きました。
「落語を演じよう」という
タイトルが付いています。
さて、中学校の先生は
この教材をどう料理するのでしょうか。
これを読む中学生達と先生に
師匠の落語を生で聞いてもらいたい
ものだと思いました。

「その作家はね、売れない頃は
鮭を売ってたんだよ。」
「サーモン文士ってわけですね。」
うまいこと言うねと
師匠に珍しく褒められたので、
記念に書き留めておきます。

話を戻して、なぜそう思ったのか
の訳ですが。
ここで、少しく
落語と現実あるいは虚構との関係を
整理しておきたいと思います。

結論から申せば、
落語は
現実あるいは虚構の代わりではない
ということです。

その理由として、
フェルディナン・ド・ソシュールの
記号学を引き合いに出しますと、
そこには、
「記号とは記号表現と記号内容の
統一体である。」、
「記号とは意味するところのものである。」
とあります。
つまり、「記号は何物の代理ではない」
ということなんですが。

そこで、落語を記号として考えると、
落語は現実あるいは虚構
の表象としてあるからこそ、
落語は現実あるいは虚構
そのものではなく、
落語という記号なんだということです。

ですから、
師匠の落語はそれ自体、
そのものにこそ意味があり、
他の人が演じても、
ましてや、活字になったものなど、
全く師匠の落語としての意味をなさない
と言っていいと思うのです。

今日の創作都々逸#21
♪あれこれ言葉で 迷うじゃないよ
惚れりゃ声で わかるもの

2009年8月25日火曜日

山茶花咲いた

紀伊国屋寄席に行きました。
師匠がトリです。
湯呑みが置かれ、
メクリが返され、
出囃子が鳴り始め、
師匠の姿とともに、
拍手が湧きます。

ちょっとだけ勇気を出して、
「まってました」とやっちゃいました。
すると、礼のあと、
師匠は
「待ってましたと言われると・・・」と、
きちんと拾ってくれました。
もう、これだけで充分。
替り目の大将じゃないけど、
「ありがてぇなあ、ありがてえ」と
いい気分でした。

そのうえ、テレビでは何度か聞いていた
師匠のカラスが、まさかの登場です。
初めて聞いた生カラスは、
やはりテレビとは違って
場内の隅まで響いていました。

さらには「山茶花咲いた」が
師匠自身の創作落語と知って
感服しました。

桂才紫さんの「豆屋」、
遅れてしまって、
終わり近くからしか
聞けなかったのですが、
歯切れよし、テンポよし、声量よしで、
すっきりとした出来栄えに思えました。
退場の時に、
軽く客席に笑顔を見せてくれるあたりが
何ともいい感じでした。

紅巣亭まど音さんが
粋な和服姿でお近くでした。
せっかくの楽屋への
お誘いだったんですが、
今日に限って仕事が立て込んでいて
9時30分には戻らねばならず、
思いを残して帰りました。

今日の創作都々逸#20
♪よせよよせよせ よそみはおよし
よそのひとほど よくみえる

2009年8月24日月曜日

熱海花火大会、
これを船で見てきました。
船といっても、
友人のモーターボートです。
トローリングとかで遊ぶ、
よくマイアミものの映画に出てくる
二階部分で操舵できるタイプです。
これを最近手に入れたとかで、
「大丈夫か」と心配しながら行きました。

海はべた凪、静かに暑く、
真鶴港から15分、
熱海の街灯りを背景に花火が開きます。

傍から見てたら、
きっと優雅に見えたでしょうが、
本人は、
突き上げてくる気持ち悪さとの格闘です。

船ってのは走ってるときゃ、
それでもまだいいんですが、
止まっちゃったら、もうたいへん、
グワン、グワンと
ドンブラコ、ドンブラコと
揺れるわけです。

どっかの遊園地に
こんなアトラクションがありました、
いやそんなもんじゃない、
思わず「もういい、
下ろしてくれえ」と
腹の中で言ってましたね。

行きはロマンスカーで快適でしたが、
帰りは急行しか無くて、
目が覚めても目が覚めても着きません。
そして、気がつけば今といった訳です。

一つ気がついたことは、
花火の音が軽いことでした。
海は共鳴するものが
無いからなのかなと思いました。

今日の創作都々逸#19
♪嫌いよ好きよと 揺れるのよして
早く港で やすもうよ

2009年8月22日土曜日

火鉢

「替り目」の舞台です。
長屋の風景です。

クリックすると拡大します。

「まいど」と言う声が
聞こえてきそうです。

鍋焼きうどん屋さんです。

よく見ると看板に「うんどん、雑うに」と
書いてあるように見えるのです。

ほんとだ、
うどんと一緒に雑煮売ってるぞと
膝を叩きました。

下に可愛い犬が居ます。
古い絵によく描かれている斑の犬です。
中型犬で日本犬の体型ですが、
白地に黒の斑の犬です。
カラーではないので
実際の所は斑の色はよく解りません。
落語の中でもアカなどといって
赤い毛の犬を紹介していますからね。

これが、絶滅したのか、
今では見ることがありません。
オーストラリアだ、タスマニアだ、
アフリカ、ロシア、中南米と
絶滅問題が取り上げられるたびに、
どうして、ボク達の先人達が
可愛がってた犬が、
今いないことを考えないんだろうと、
思っちゃうんです。

おっと、いけね、話を戻してっと。



戸が無いですが、
ここらを開けて、
うどん屋さんが首を出したと
いうことなんでしょう。

座っていても手渡し出来そうです。

そしてこれが火鉢です。
「替り目」の中で、

「だからね、これね、
火熾してね燗つけりゃいんだけど
あーなんだよ
おいおいおいおい
しだねもねぇのか
あこーらしょうがねぇなあ
あーだめだよ、湯も沸いてねぇし
あーお燗つかねぇや」

師匠はこのとき、
火種を中心に、鉄瓶がその向こう、
徳利と猪口が手前という位置関係で
演じていました。

なるほど、この火鉢ですと、
短手側の徳利のある方に座ると、
位置関係がぴったりだと、

ここでまた膝を叩いてしまいました。

今日の創作都々逸#18
♪いじりまわせば ひだねはきえる
くちよせふいて あかくしな

長屋のおかみさん

長屋のおかみさんらしく演るというのは、
これが、じつに難しい。

男はつらいよで、
車寅次郎のおばちゃん(車つね)役の
三崎千恵子さんかなぁ、
と思って演ってたんですが、

どうも、ちょいと
ほのぼのとした感じなんです。

それはそれで
いいのかもしれないんですが、
迷います。

そこで、落語の中で、
長屋のおかみさんとしての発語を
拾ってみました。

なに言ってんだ・・だって言ってるんじゃないんだ・・なにが悪いんだ・・ちまいな・・おまえさん・・ないのかい・・になるんだよ・・をごらんよ・・なこと・・な人はいないねぇ・・したんだい?・・ぐらい、あたしだって知ってるさ・・言えるよ・・およしよ・・こたあないよ・・冗談じゃあないよ・・いいかげんにしとくれよ・・なんだいまあ・・なんだい・・してるだろぅ・・してきやがって・・したじゃねぇかよ・・きまってやがら・・だからね・・あるかよ・・しちまうんだよ・・何お?・・フン・・向こうさまじゃね・・なもんだ・・してごらん・・やしねえやちくしょうめ・・してこい・・いいかい?・・大丈夫かい?・・あら、まあ、ちょいと・・たの?・・あったの?・・そ、そいで?・・どうなったんだよ?・・じゃあしょうがないじゃないか・・て来い・・やがったんだねぇ・・知らねぇかい・・なんだねぇ・・どうしてったって・・そうだろう・・なんだよじゃないよ

今日の創作都々逸#17
♪くやしまぎれに ふくれていても
ちゃんとしたくは できている

2009年8月20日木曜日

いい落ち

落語が表現している空間って
どんなものなんだろうなぁ、
と考えてみました。

なんで、突然そんなこと
言い出したのかって、
落語じゃ、
そこに戸があるって、どこだよとか、
向こうの角ってどこだよ
って思うわけです。

それは、どんな空間、入れ物なのか。
落語は何に入っているのかと思っちゃう。

いえいえ、それこそ、
落語をどんな入れ物に
入れるのかが、
噺家の腕の見せ所と
言えるのかもしれません。

落語はいわゆる
相対空間の中にあります。
登場する人、物の関係のなかで
作られている空間です。

ですから、
それが不均質なものであるのは
当然です。

しかし、人は感覚として、
生活の距離を
連続した均質なものとして捉えています。
3m、5m、歩いて10分のように。
ですが、
落語の距離は
不連続で不均質なものなんです。

これがやっかいです。
それを、感覚的に妥当なものとして
表現するには、
入れ物をきちんと
決めておく必要があるようです。

落語は
聞き手に、その感覚の妥当性を
持ってもらった上で、
あえて空間自体を不均質にすることで、
登場する人、物、それぞれの関係性を
浮き立たせています。

やがて、落語が作りあげた空間に、
聞き手は包まれていきます。

そして、そのときがやって来ます。
それは、座標軸が反転する時です。
パラダイムチェンジです。

それこそが「落ち」、
それも「いい落ち」なんだと、
思いつつ、
今日も眠りに落ちるんです。

今日の創作都々逸#16
♪涙のしずくと 心の傷を
数え数えて 好きになる 

2009年8月18日火曜日

のびのび

たまには落語の話を
しないといけないと思って。
落語の話をします。
といっても、
立派に言えることは
なんにもないんですが。

噺と言えば、
今は首屋と替り目ですから、
「キリンとアサヒ、どちらにします」
「えっ、サントリーはないの。」
すいません。と言ったわけで、首屋です。

初めて、7月1日に
首屋を聞かせていただいたときは、
何がびっくりしたかって言いますと、
笑いどころが実に少ないことです。
「落語って笑えるもの」
と思っていただけに、
正直、これは落語といっても、
練習のための噺なのかな、
と思ったくらいでした。

ところが、その難しさは、
日に日に大きくなっていきます。
いまもその巨大化は
止まるところを知りません。

そうなんです。
落語を構成する要素の中で、
笑いは実は二次的なものだったんです。
つまり、何かがあって、
それが心に響いて、
そしてそのなかには
笑いが出てくるものもあるけれど、
出てこないものもあるというわけです。

情景が見えるという言い方をききます。
けれど情景がはっきり見えなくても、
心に響くことがあります。
それは、もし、
落語に魂というものがあるとしたら、
それが心に響いている
のかもしれません。

いわゆる感動とも違うように思います。
忠臣蔵で感動するのとは違うんです。

きっと、落語は「遊び」だから
なんだと思います。

きっと、落語家は
こう言っているんだと思います。
それは、
「これはね、
すっごく楽しい遊びなんだよ、
だからさ、
一緒にこの楽しさを味わおうよ」
とね。

だから「笑い」が無くてもいいんです。

なんとなく、これって、
色っぽい話に似ていますね。
やっぱり、きたきたと言わないで、
まじなんですから。

つまり、「好きなんだから、好きになれ」
なんて勢いでがむしゃらに迫ったって、
「キモイ」ってとこが落ちですよね。

やはり、「好きなんだ」ということを、
上手に伝えて、
その気持ちに共感してもらう、
これですよね。

そのためには、やはり、
「遊び慣れている」ほうが
上手いわけです。

いえいえ、これはあくまで例えでして、
人間として上手きゃいいと
言っている訳じゃありませんよ。
ほんと。

ですから、
落語も「遊び心」と「噺に遊ぶ」が
重要な要素に思えます。

「遊ぶ」の頭にはよく、
「のびのび」がつきます。
落語が
「のびのび」できたらいいな
と思います。

今日の創作都々逸#15
♪あそばれてるのと おっしゃいますが
あそんでるのは そっちでしょ

獣医師

受験勉強を真剣にやったのは
26歳で歯学部に入るまでの
3年間です。
その1年目、無謀にも受験しまして、
全滅。
2年目、やはり偏差値も上がらず
全滅。
3年目、やっと上がってきまして、
いい感じ。
今年は合格と思うとゆとりでしょうか、
獣医学部の内容を調べていました。

そこで驚いたのは、
人社会のための動物管理者としての
獣医師となる教育です。
そこには、あたかも
米陸軍のブートキャンプのような、
目を覆いたくなるような事への
免疫作りという一面がありました。

もちろん、動物管理業務という
忌まわしい仕事に就かなければ
いいじゃないかと、
思ったこともありましたが、
そんな訓練まがいのことを大学で
経験したくはなかったのです。

そう、獣医師には
動物を助ける仕事ばかりではなく、
助けない仕事でもあるのです。

今でも、私はその規範を
キチンとお話しすることができません。
自分の中には矛盾だらけの
自己正当化の山があるのです。
だから正直、どう考えたらいいのか
分かりませんでした。
ただ「助けないことはしたくない」
という思いだけでした。

受験勉強する前はなにしてたのかって。
それは次回に。

今日の創作都々逸#14
♪いやなできごと なかなか消えぬ
きもちいいこと すぐ消える

2009年8月17日月曜日

動物だから

獣医になりたかった。
ほんとうにそう考えて勉強していました。
そう強く方向付けたのは一冊の本でした。
題は忘れましたが、
黄色いハードカバーの本で、
英国はヨークシャーの
獣医さんの実録でした。

そこには、様々な動物を助けた話が
のっていました。
オナラがとまらない犬がいて、
飼い主が飼えないというので、
預かって、
一人暮らしで鼻の悪い老人に
引き取ってもらった話のように、
病気を治すことよりも、
動物と共存することの
素晴らしさを訴えていました。

緑の田園が広がる世界で、
動物と幸福を分かち合えている。
私の中では英国の田舎はそんな
理想の象徴としてあるんです。
一度も行ったことがないんです。
でも、行ってみるのに臆病なのは、
そうじゃなかったんだと
思いたくないからかもしれません。

21世紀は
どんな思想家が生まれるのでしょう。
これまでの思想家達の射程には
動物としての、動物との、動物世界の
哲学を論じた仕事は見られないようです。

それはそうです、
そもそも哲学の対象が
人であるからでしょう。

ここで動物を命に代えてみると、
よりはっきりしてきます。

最近では「臓器移植法の改正」を機会に
命の哲学がなされているようですし。

見たくないところは見ない、
聞きたくないところは聞かないといった、
誰もが避けがちな、命の扱いについて、
その思想を、
基本的な姿勢を21世紀にこそ、
系統立てて論じておく
必要があると思います。

「みんな」がしあわせになれなきゃ、
自分もしあわせになれないってことは
否定できないことだと思います。
この「みんな」に
人以外の命も含めてほしいんです。

「動物だから」という言葉が
頭に付く行動の根拠を
筋道の通ったものに科学していくことが、
きっと社会をもっと豊かに、
しあわせにしていくだろうと
予感しています。

じゃ、なんで獣医にならなかったのか。
それは次回に。

今日の創作都々逸#13
♪視線合わせず うつむく仕草
こっちは甘いと 誘い水

2009年8月15日土曜日

戦争

戦いは「敵」がいて始まるものです。
白と黒、相対するものとして
捉えるところから「敵」は生まれます。

「白だ黒だと喧嘩はおよし、
白という字も 墨で書く」

現実世界では
相対するものとして捉える両者に
厳密に当てはまるものは少なく、
どちらもなにかしら
互いの部分を持っているものです。

例えば、男と女。

身体の構造の違いばかりが
男と女を
分けているものではないようです。

戦争の「イデオロギー」に
対応する言葉としては、
男女の問題では
「男らしい」「女らしい」
という言葉になるでしょう。

ところが、
それすらも曖昧なのが現実です。

世界を相対するものとして捉えずに
様々な要素で捉えていけば、
その存在を否定することなく、
共存の道が開けるはずです。

加藤周一さんが
「何が敵なのかを考えることが大切だ」
という言葉を遺されましたが、

私は思うに、
「こいつは敵だなと考える自分こそが敵」
なんだと。
敵を考えなくなれば
文字通り無敵ですね。
それって、
とっても素敵なことですよね。

今日の創作都々逸#12
♪あのときどうして けんかをしたか
それであらそう ひとはなし

2009年8月14日金曜日

スクランブルエッグ

朝日まぶしい、ホテルのダイニング。
「おはようございます」
さわやかなボーイの挨拶に迎えられると、
スクランブルエッグと
オレンジジュースが運ばれてきます。

このスクランブルエッグ、
上手に作るのは至難の業、
と思っていたらなんのこと、
簡単なんです。

じつはフライパンを火にかけません。
ですから、油も敷きません。

ご存じの方がいらっしゃったら
ごめんなさい。

湯せんで作るんです。
それも沸騰してるんじゃなく、
お茶にはちよっとぬるいかな
程度のお湯で。
で、そこにマヨネーズを
ちよっとだけ入れます。
なめらかになったら、贅沢したければ
生クリームを加えて出来上がりです。

うーーん、なめらかなめらか。

今日の創作都々逸#11
♪こんどうまれりゃ 一緒になんて
そっちも好きよと おなじこと

下手

「好きこそものの上手なれ」
なんてことを言いますが、
まあ、上手いってことは
好きだからなんでしょうね。
ところが、好きでも
上手くならないってことがありまして、

私の場合、ゴルフがそうです。
それと女性ですね。
どちらも、実に手強いですね。

まあ、下手でも好きなんですから、
「好きなら下手も好きのうち」
ってとこでしょうか。

まあ、ずーっと好きでいるってことは、
いつかは上手くなる日が来ると、
思っているからこそなんですがね。

落語もそんな感じで、
ずーっと好きでいたいと思っています。

今日の創作都々逸#10
♪昨日さよなら したのに今日も
さよなら言うため 会いに行く

2009年8月13日木曜日

考える

「人にはいろんな気持ちがあるんだ、
そいつの気持ちになる、
すると後は自然と出てくるんだよ。」
師匠の言葉です。

その後で、すぐ、
「首屋」が天秤棒かついで
「うどん屋」になっちゃったんですから、
言葉がありません。

この「そいつの気持ちになる」、
私は、これは「そいつになって考える」こと
だと思ったんです。
えっ、当たり前のことでしたか。

はじめは、気持ちになるっていうと、
殿様は殿様、
うどん屋はうどん屋の
雰囲気になるって、
思ってたんです。

ところが、これが、
うどん屋になって、考えて、
「じゃああの、
うどんお好きじゃないんでしたら、
どうでしょう、
雑煮があるんですが」と、 言う言葉も
実際そう考えながら 言うようになると、
これが実になめらかになりました。

今日の創作都々逸#9
♪書いて消しては 書いてはやぶり
きみへの思いを かみだのみ

2009年8月12日水曜日

天秤棒

今日は稽古でした。
「替り目」を最後まで演りました。
「替り目」の後半に
「うどん屋」が出てきます。
天秤棒を肩に担ぐ仕草を教わりました。
「じゃ、次に『首屋』やってごらん」

師匠が見ています。

元気よく始めました。
「ぁーあ、 えれぇことんなったなぁ
とうとうこうやって てめぇの首うってぇ
あるくはめんなっちゃったよ」

すると師匠が、
「うどん屋になってるよ」

ハッと右肩を見ると、
首元に持って行かなきゃならない手が
右肩の上で天秤棒を持つ形に
なっていました。


「首屋」の中の三太夫さんの言葉は
「身が尻に付いて参れ」でした。
「みがし」ではなかったんです。
「身が尻」は本来「身の尻」、
「の」が「が」に転じることが
古い言い方にはあると学びました。

「よ」と「な」を語尾に付けたり、
それを強調するのは、
幼稚な形だと教わりました。
なるほど、
大人の心を唄う「演歌」は
ほぼ全て「ヨナ抜き音階」です。

今日の創作都々逸#8
♪夏にまとわる 黒髪切れば
別れたのかと まとわれる

2009年8月10日月曜日

ドラム

ドラムには大きく分けて、
跳ねるリズムと
跳ねないリズムがあります。

跳ねるリズムというのは、
馬が駆けるときの足音のように、
タラッタラッというものです。
実は跳ねるリズムというのが
跳ねないリズムより
先にあったらしいんです。
童謡にも多く見られます。
「むすんでひらいて」
なんてそうですね。

1957年に全米R&B1位になった
リトル・リチャード Little Richard の
「ルシール Lucille」
が跳ねないリズムで
ドラムを叩いた最初なんですって。
プレスリーなんて
曲も身体も跳ねていますね。

なんとなくですけど、
落語の中にも、
跳ねてるリズムと
跳ねないリズムが
あるように感じています。

"Lucille"
♪・・・・・
but i love you stillI

love you lucille

I woke up this morning
lucille was not in sight
I asked my friends about her
but all their lips were tight

Lucille please come back
where you belong

Well i've been good to you baby
Please don't leave me alone
'cause i've been good to you baby

please don't leave me alone

Lucille i love you・・・・・

今日の創作都々逸#7
♪じっと見つめる携帯電話
きみの番号出しちゃ消す

うわっ、もう4時

今日の創作都々逸#6
♪夢で会おうと思ってみたが
会えるわきゃない眠れない

2009年8月9日日曜日

円朝まつり






(クリックすると拡大します)

 
円朝まつりに行ってきました。
桂才紫さんに再会できて
嬉しかったなあ。
下の写真の右端が
才紫さんです。
中央が桂才賀師匠です。
 
「聖者の行進」に合わせて
「お椀だぜー、お椀だぜー」
とやってるところです。
 
演るほうも見る方も汗だくでした。
とても楽しかったです。
ありがとうございました。
そして、お疲れ様でした。

 
今日の創作都々逸#5
♪座る電車で 肩寄せ合って 
揺れて揺られて ふれはじめ

さのさ

調子に乗って、
さのさ
作ってみました。

夏の夜 
風に吹かれて屋根の上 
空に花火が開くたび
きみが居たらとねぇ 
見上げれば 
いつかの花火を想い出す
さのさと

2009年8月8日土曜日

上燗

お燗の具合っていろいろ
あるようで、熱い順に、
飛びきり燗(とびきりかん)、
熱燗(あつかん)、
上燗(じょうかん) 、
ぬる燗(ぬるかん)、
人肌燗(ひとはだかん)、
日向燗(ひなたかん)
となるそうです。

お燗は人の好みですが、
「人肌燗」から「上燗」くらい、
45℃~50℃くらいが
適温らしいです。
お燗にして美味しいのは、
コクのある熟成ものだそうです。
こうゆうのは燗でも冷やでも
美味いんだそうですね。

お燗をしていっそう美味しい酒を
「燗あがりの酒」。

お燗酒は冷酒よりも
酔いを感じやすので、
適量を早めに教えてくれることから
身体に優しい飲み方と
されているらしいです。

では「替り目」から、

「おっ、どれどれどれどれ、
おーっ、いいねぇ、
やりやがんねぇおめぇはぁ、
あぁ、ありがてぇなぁ、、、、
じゃ、つけてもらった
酒あ、
上燗、
いいねおい、あーいいね、
お前うまいねぇえー
こうゆうお燗てぇのは
なかなかつくもんじゃないよんー、
おぅ、助かったよ
どーしょかなぁと思っつたんだよん、
おらあね、
もともとひやの方が好きなんだけどね
医者にとめられてんだ、
んー、とめられてんだから、
しょうがねえや
燗つけてやってるけどね、
んーでも、
燗もいいなあと思うようになったよ、
ねえ、ありがてえなこら、
あー、うまいねおいおい、
海苔の方はいーんじゃねぇか」

今日の創作都々逸#5
♪酔ってないよと家まで送り
酔ったふりして寄りたがる

2009年8月7日金曜日

中身

ブラックボックスという言葉があります。
なにをしているのかわからないけど
「結果」を利用できる物のことでして、
例えば液晶テレビなんか、
よく解らないけどテレビは見られます。
転じて、中を見られない物にも言います。

芸を学ぶってことは
ブラックボックス
になることなんだと思います。

ところが、これが、
中身ではなく「結果」を見て
いることになりがちです。
中身を理解するには
どうしたらいいんでしょう。

今日の創作都々逸#4
♪今日はだめよと袖振るくらい
 明日はいいよと袖を引け

2009年8月6日木曜日

花火と稽古会



皆様ありがとうございました。

その存在が無ければ
全てが無いくらいに
頑張っていただいた師匠、
実はカメラが上手な文学さん、
いい噺でした
声を嗄らした春松さん、
メクリをありがとぅ恭ン恭ンさん、
昨日から設営のために働き、
今日は花火も見ずに最後まで
外の受付を死守した良好さん、
丁寧なお茶が
おいしかったです岬さん、
いつも笑顔で
小まめなかずのこさん、
トイレットペーパーまで
心配してくれた和平さん、
いい噺でした艶っぽさが
太鼓持ちの域の八叟さん、
ずっと出囃子係
助かりました漢方さん、
きっといらっしゃったら、
もっともっと
楽しかったはずですレッスンさん、
奴だこさん、幸田さん。

今日の創作都々逸#3
♪そのくせこのくせまたこんなくせ
気がつきゃお前のくせばかり

2009年8月4日火曜日

がんばります

いよいよ明日、花火大会と落語会です。
「替り目」を演ります。
実は出演と演題がきまってから
ほんの数日です。
昨日は深夜にもかかわらず、
仕事帰りでお疲れの師匠に
稽古をつけていただきまして、
恐縮の至りです。

なんとか明日までには
修正したいのですが、
ワールドカップの日本チームのように、
間に合わなくて残念な結果に
ならないといいなと。

しかし、これこそ稽古だと。

さてさて、まだ「めくり」が
できていませんで、
ではまた作業にもどります。

それでは、今日の創作都々逸。#2
♪いい子いい子と安心するな
いい子になってる訳がある

都々逸

いよいよ明後日、
花火と落語の会があります。
皆さんのお力で、
椅子のシールまでキレイに剥がれて、
ピカピカです。
心配なのは皆さんの身体と
師匠の腰と天気ですが。

来場の際にプログラムをお渡ししますが、
今回、ちょっと工夫しました。
丸団扇(うちわ)のプログラムに
したんです。
花火大会には団扇は付きものですが、
実はもう一つ意味があるんです。
それは、竹の団扇ですと、
柄と紙との間の竹が広がっていく部分、
ここを「窓」といいます。
これが丸団扇ですと
「指穴」に当たります。
これが丸ですから、「円窓」というわけで。

今回、この部分を
「おにぎり引換券」にしました。
あと、屋上の芝生に座って
花火を見るときの
一人用ビニールシートを一緒に配ります。

はばかりながら、初都々逸、
作ってみました。
え、そんなとこで作ったんじゃ
ないです。

それでは、今日の創作都々逸。#1
♪荷物を持つよと手を差し出すと
私を持ってと手を乗せる

2009年8月3日月曜日

酔っぱらい

「四角い部屋に丸く吐く」
なんてことを自慢したりする、
まあ酔っぱらいぐらい
始末の悪い物はいませんね。

酔ってることが免罪符になる、ね。
多少のことは許してもらえるんじゃ
ないかなぁなんて、甘えるわけです。

人によるでしょうが、私の場合、酔うと、
そこはかとなく侘びしくなるんです。
なんてんでしょうかねぇ、
ふわぁーっとした心地に包まれると、
色んな事がやんなっちゃう。
いえね、冷静になるってんじゃなくって、
そうじゃなくって、
何とも感じてなかったことが、
チチチチっと
火花を散らし始めるんです。
「冗談じゃねぇよぃ、
寝言は寝ながら言ぇい」なんて、
思い出さなきゃ忘れてることを
酒が思い出させます。

頭がジーンと痺れてくる。
それは不思議でね、
怒ってるってんじゃないんだなあ、
いや、たしかに
「こんにゃろ」と思うんですよ。
素面なら喧嘩ですよ。

ところがこれが酔ってるときってのは、
怒りじゃないんだなあ、
なんていうか、
なんだか可笑しくなってくる。
そして、もう既に
許している自分に気がついてね、
だから怒ってると言うより
甘えてるんだな。
そうか、甘えたくても甘えられない、ね、
だから侘びしくなるんだな。

酔って目を閉じると、
髪の毛を持って頭を後ろに
引っ張られていくような感じがして、
周りの音が妙に響いてくる、
と、気持ちよく
自分一人になっていくんです。
一人だけど「ま、いっか」て
気がしてくるんだなあ。

「替り目」の亭主も酔っぱらいです。
亭主も酔って
「自分一人」を感じているはず。
だから、「車屋に絡みたい、
かかあに会いたい、
かかあを想いたい」とね。
甘えたいんだ、ね。
だから、わかってることだけど、
「いい人」ってのは、
上手に甘えさせてくれる人だよねぇ。
おっと都々逸が聞こえてきましたよ、
「お酒飲む人しんから可愛い 
飲んでくだまきゃなお可愛い」

2009年8月2日日曜日

SL

鉄道に乗って楽しむ「乗り鉄」
鉄道を撮って楽しむ「撮り鉄」
「てっちゃん」と
親しまれている鉄道ファンにも
いろいろあるようですね。

日本のサブカルチャー・オタク文化を
牽引してきた「てっちゃん」達。
これが今、コミケと違って、
鉄道関係の催しではどこでも
高齢者が主役ですね。

ですから、当時は「逸脱」していた
サブカルチャーであったとしても、
もはや高齢者の主役を得て、
日本では広く支配的な文化となった
と言っていいと思います。

「日本の鉄道」「SL」その言葉に、
様々な心地いい響きを感じる人は
多いといったわけで。

立ち止まって、なぜそこまで列車は
人の心を引きつけるのかと思うと。

里山を背に広がる田園の中を、
ピィーーと甲高い声を上げ、
ボッボッボッボッと唸り、
黒煙と白い蒸気を吐き出しながら
這うように進むSL。

(↑をクリックしてお楽しみください)

私でなくとも、そこに龍や大蛇が重なって
見えてくるんじゃぁないでしょうかね。

「おっと、また無理矢理だ、
大蛇と来たら、
阿波の国の田能久さんだ
とか言うんだよ」

「えっ、わかっちゃった」

「そりゃ、
ね、
阿波の国だもの、
四国当然」

2009年8月1日土曜日



「たがや」
御正 伸 (みしょうしん)画 
文芸春秋デラックス11月号(文芸春秋社)より。
落語の題材から取って描かれた両国花火の様子。
1914年生まれ、1981年没。
挿絵や本の装丁で昭和30年~昭和40年代の第一人者 。
日本の夏、花火です。ヒュ、ヒュゥゥゥゥパアッ、、、ドドーンパアッ、、、ドドーンパリパリパリパリ
(↑をクリックしてお楽しみください)
ところで、いがいにも、花火大会で
外国ものの花火が
よく使われていることを
ご存じですか。
もちろんユニクロじゃないですが、
外国製はふつうにあるそうです。
製造ではなくて、
デザインが外国の物なんです。
ほら、あの百合の花のように開くのとか、
パッパッパッパッと
つづけざまに開くのとかです。
日本の花火と外国の花火との
大きな違いは
その「花火玉」の形状だそうです。
日本のは、ご存じ、「玉」の球形ですが、
外国、とりわけ西洋のは
円筒形なんですね。
同じ筒から発射するんなら、
円筒形の方が火薬が多く入る
ということもあるそうですが。
丸にこだわる日本の花火。
日の丸、大福、五百円
みんな丸いです。
ピーマン、キャベツ、ナシ、スイカ
どれも、外国の原産地では
丸くなかったものたちです。

そうです。丸いのが好きなんですね。
たが屋の「たが」も
輪っかですから丸いんですね。
この「丸好き」の秘密、
ちょいと今夜だけではわかりません。
いえ、わかっているのです、
心の中では確信しています。
けれどそれを正確に伝えられない、
もどかしいです。

角があるものは、
空間のほかのものとの関係で
歪みを生みやすいんです。
額がまがっているようなものです。
これが丸いと
歪みが生じにくいのでしょう。

丸顔だからって、
一緒にいてもカチンとこない
ような気がするなんて
思っているととんでもないことに
なったりすることもないとは
いえません、なんて、
こりゃいったいなんなんだと、ね。