落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2009年8月15日土曜日

戦争

戦いは「敵」がいて始まるものです。
白と黒、相対するものとして
捉えるところから「敵」は生まれます。

「白だ黒だと喧嘩はおよし、
白という字も 墨で書く」

現実世界では
相対するものとして捉える両者に
厳密に当てはまるものは少なく、
どちらもなにかしら
互いの部分を持っているものです。

例えば、男と女。

身体の構造の違いばかりが
男と女を
分けているものではないようです。

戦争の「イデオロギー」に
対応する言葉としては、
男女の問題では
「男らしい」「女らしい」
という言葉になるでしょう。

ところが、
それすらも曖昧なのが現実です。

世界を相対するものとして捉えずに
様々な要素で捉えていけば、
その存在を否定することなく、
共存の道が開けるはずです。

加藤周一さんが
「何が敵なのかを考えることが大切だ」
という言葉を遺されましたが、

私は思うに、
「こいつは敵だなと考える自分こそが敵」
なんだと。
敵を考えなくなれば
文字通り無敵ですね。
それって、
とっても素敵なことですよね。

今日の創作都々逸#12
♪あのときどうして けんかをしたか
それであらそう ひとはなし

2 件のコメント:

  1. 戦争
    「戦争」と聞くと、おっ母さんの人形の話を思い出すよ。
    戦争で焼けてしまった市松人形のお話しをねぇ。
    それはそれは、良いお顔立ちの立派な市松さんで、
    なかなか触らせて貰えなかったそうなんだよ。
    何十年と経っても悔いが残り諦めきれない思いがあったんだろうねぇ。良く話していたよ。。。。
    今夜は、鈴虫の声が聞こえてきたよ。
    この間まで、風鈴の音が心地よかったのになぁ
    もう、夏も終わりって事かねぇ。
    江戸の時代に鈴虫の飼育を広めた「おでんや忠蔵」のように「冬はおでんや」「夏は虫屋」と
    この厳しい現代社会、あたし達は逞しく生きて行かないといけないねぇ。ご先祖様のためにもなぁ。。。。。

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  2. コメントありがとうございます。

    私も、物に託すことがあります。
    受験勉強していたとき、
    駿台予備校の伊藤先生の
    「基本英文700選」
    という参考書をいつも
    持っていました。

    実にいつもです。
    開くことがないとわかっていても、
    どこにでも持って歩いていました。
    内容はとても難しくて
    さっぱりなんですが、
    青と黄色の表紙を見ているだけで
    自信が湧いてきたものです。

    ご母堂様におかれましてはきっと、
    お人形をご覧になっていられるだけで、
    充実した思いがあったのであろうなと
    思いを巡らしました。

    昼は蝉、夜は虫と生き物達が
    「生きているん、だあかあらあー」と。
    叫ぶそのなかで、
    山のような死を弔う。
    まるで、
    真っ暗な夜空だからこそ
    ほんの小さな星までもが
    光を届けてくるかのようです。

    ちっちゃな命にも
    魅入ってしまう。
    そんな心持ちになるのが
    今日という日なのかもしれません。

    「おでんや忠蔵」、初めて知りました。

    実は私、今、
    「昼はうどんや」、「夜は首屋」と
    忙しくその「替り目」を
    楽しんでおります。

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