落語が表現している空間って
どんなものなんだろうなぁ、
と考えてみました。
なんで、突然そんなこと
言い出したのかって、
落語じゃ、
そこに戸があるって、どこだよとか、
向こうの角ってどこだよ
って思うわけです。
それは、どんな空間、入れ物なのか。
落語は何に入っているのかと思っちゃう。
いえいえ、それこそ、
落語をどんな入れ物に
入れるのかが、
噺家の腕の見せ所と
言えるのかもしれません。
落語はいわゆる
相対空間の中にあります。
登場する人、物の関係のなかで
作られている空間です。
ですから、
それが不均質なものであるのは
当然です。
しかし、人は感覚として、
生活の距離を
連続した均質なものとして捉えています。
3m、5m、歩いて10分のように。
ですが、
落語の距離は
不連続で不均質なものなんです。
これがやっかいです。
それを、感覚的に妥当なものとして
表現するには、
入れ物をきちんと
決めておく必要があるようです。
落語は
聞き手に、その感覚の妥当性を
持ってもらった上で、
あえて空間自体を不均質にすることで、
登場する人、物、それぞれの関係性を
浮き立たせています。
やがて、落語が作りあげた空間に、
聞き手は包まれていきます。
そして、そのときがやって来ます。
それは、座標軸が反転する時です。
パラダイムチェンジです。
それこそが「落ち」、
それも「いい落ち」なんだと、
思いつつ、
今日も眠りに落ちるんです。
今日の創作都々逸#16
♪涙のしずくと 心の傷を
数え数えて 好きになる
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