落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2010年11月13日土曜日

落語の笑い


笑いの無い落語はあるのだろうか。
という問いにたいして、
人情話や怪談話を取り上げて、
「ある」と思っていた頃もあった。
しかし、
「笑い」を学んでいくうちに、
どんな話でも、話には感情が込められており、
それが伝わることが出来れば、
そこには「笑い」が生じるもののようだ。

落語の感情は不随意の「笑い」を導く、
すなわち
「落語の笑い」は抑えがたい感情の表現である。

だから、
時に、それは、連鎖する。
落語を聞くうちに、
励起状態とでも表現せざるをえないような
状態の人達が、
誰かの「笑い」で発動し、
次々と爆発的に笑い出す。

これは
人情話や怪談話においての、
「微笑」でも同じである。
すばらしい人情話や怪談話には
不随意の抑えがたい「微笑」が湧き上がる。

つまり、
強い言い方になるが、
「微笑」を含めて、
笑いの無い落語は
もはや落語ではない。

すなわち、
抑えがたい感情を導いて
はじめて落語と言えると言いたい。

くわえて、
抑えがたい感情が
たとえ涙を誘ったとしても、
その後にはさわやかな微笑が湧き上がる。

それは
「笑い」が
「降りかかる至福」によって
湧き上がってくるモノだからであろう。

ここまで考えると、
やはり落語は
「心で心に伝える」ものだと言うことが
ハッキリしてきた気がするのだが。

さて、それでは、いよいよ
「どのように伝えるか」
を明日考えよう。

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