落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2017年9月25日月曜日

「三枚起請」(第71回志ん諒の会・20170924)




(ネタおろし#114) 「強飯の女郎買い」(第71回志ん諒の会・20170924)




志ん諒のひとり言 その 7

 落語とは何でしょう。
前回は落語の目的を考えました。
それは「魂振り」でした。
今回はそのための方法について考えます。
キーワードは「対話」です。
落語にはまくらや解説の落語家の言葉の部分と、登場人物の対話や独白の部分とがあります。
落語家の言葉の部分については後の章にゆずって、今回は登場人物の対話や独白の部分について考えます。

 落語の会話のほとんどは二者の対話です。落語は大人数が登場してきても、その中の誰かが一人ずつと対話していく形で進められます。
この対話を作る際に重要なのはお客との距離感です。このことが上手い落語には必須です。
落語は落語家が発信する情報をお客が受け止めて、お客自らの中にイメージを造り上げて「魂振り」を楽しむ芸術です。
ですから、落語家の発信する情報ができるだけ詳細にお客に伝わることがうまい落語の条件です。
そのためにはなによりお客との距離を詰めて話すことです。
いやいや、お客に近づけと言っているのではありません。それはお客が近く感じるように話すことなんです。
お客が遠くから傍観しているような落語では「魂振り」ができるわけがありません。

 ではお客が登場人物を近く感じる話し方とはどんな話し方でしょうか。
それは例えれば、映画やドラマのカメラワークから考えると理解しやすいと思います。

今、公園に二人の人物が歩いてきます。カメラは公園の噴水を写してから遠くの公園の入り口から歩いてベンチに座る二人を引いた視点から捉えます。次の瞬間、一人の人物の肩越しにもう一人の人物の発話している顔をアップの視点で映します。

 ここまでを落語で語るとしたら、ベンチに座るまでは落語家が自分の言葉で話す解説の部分です。そして次の、アップで映した肩越しに発話している部分こそが落語の対話の部分です。
 この対話の部分を引いた視点の映像だとしたらどうでしょう。一人の登場人物の後頭部を見ながら、肩越しに発話しているのをアップで見るのとどう違うのでしょうか。

 そう、これが落語の対話の距離感です。
 お客を常に対話相手の登場人物のすぐ後ろに置く。これができれば上手い落語にかなり近付きます。

 落語では対話の二者を示すのに「カミシモ(上下)を切る」といって左右に首を振って話しますが、この大きさこそ、客との距離感を示すことになっています。
 カミシモが大きいと、登場人物は横並びに近くなり、客との距離は開き、客は傍観する位置となります。一方、カミシモが小さいと、登場人物は正対に近くなり、客はぐっと近付いてきます。

 今回は対話の距離感について考えました。落語では芸をきちんと届けることが大切です。そのためには距離感を意識することが必要です。そしてそれはカミシモばかりではなく、声の大きさ、高さ、視線、表情、所作とあらゆる落語家が発信する感情に影響してきます。
 落語では感情については独特のものがあります。まただからこそ落語なのですが。次回はそんな落語の不思議な感情表現を考えていきたいと思います。ではまた。
(来月もつづけます)

第71回志ん諒の会


















2017年9月7日木曜日

第72回志ん諒の会チラシ




2017年9月2日土曜日

第15回千駄ヶ谷落語会チラシ