「夢二の詩」
よく、志ん諒さんは何時稽古して
るんですかと質問される。「したい
時にしています」と答えるのだが、
これでは答えた事になっていないの
は自分でもよくわかっている。
けれどこれはほんとうのことで、
いつもしたくなるから稽古している。
もちろん、誰かに言われて稽古して
いる訳ではない。
そこで、どうして稽古したくなる
のかと考えてみた。するとどうやら
半分は心配になるからなのである。
気にかかると言ってもいい。
竹久夢二の詩の一節に、
「あなたを忘れる手だてといえば
あなたに逢っている時ばかり
逢えばなんでない日のように
静かな気持ちでいられるものを」
というのがある。
落語の魅力とはこの詩の「あなた」
のような魅力であろう。一枚一枚が
美味しいビスケットのように、落語
の登場人物はみんな味わい深い大好
きな人物である。なぜなら、彼らは
みんな自分の中の自分のどれかだか
らである。いや、もしかすると自分
の中にいるいつか会った誰かの面影
かもしれない。
落語を語る時は冷静でなければな
らない。そりゃ静かな気持ちでなか
ったらいい落語ができる訳がない。
夢二の詩のように、忘れられない
「あなた」のような落語の魅力が私
に稽古をさせているのである。
そして、稽古を積めば積むほどに
稽古に向かう不安は消えていく。
そんな不安がすっかり消えてしま
った高座では、もっと冷静な気持ち
で居られるのだろう。
気がつくと今日も私は「ああ、冷
静さが足りないのは、ヤッパリ稽古
が足りないからだよなあ」とつぶや
いている。