2017年10月18日水曜日
志ん諒のひとり言 その 8
落語とは何でしょう。
前回は対話の距離感について考えました。そして、お客との距離を詰める方法を考えました。それは登場人物の感情をより緻密に伝えるためです。今回は落語での感情表現について考えます。
落語での発話におよそ感情のないものはありません。また、なにより感情を味わうことが落語の大きな楽しみです。ですから落語家には感情をわかりやすく正確に伝えることが求められます。
感情は言葉に出ます。
「ご隠居さん、いらっしゃいますかね」
「おやおや、熊さんじゃないかい、まあまあおあがり」
こんな言葉より、
「ご隠居いるかい」
「おやおや、熊か、まあまあおあがり」
のほうがより親しみがあるでしょう。
このようなちょっとした言葉の違いも、前回話した話全体の客との距離感にも影響します。
しかし、言葉を選ぶだけでは伝えたい感情を正確に伝えることは出来ません。
言葉を意味と音とに分けて考えてみましょう。
「冗談じゃねぇや」という言葉がハッキリと
「ジョウダンジャネエヤ」と聞こえた時と、
「ジョ・ジャ・ネ・」
とほぼ音の旋律だけで聞こえた時と、どちらが感情が伝わってくるでしょうか。
そうです。落語では言葉の内容を正確に伝えることより、感情を正確に伝えることが大切です。
しかし、だからといって
「てめえこのやろぉ」と怒鳴ったりしてはならないのです。なぜでしょうか。
これが演劇の役者なら大声で怒鳴るところでしょう。なぜなら、演劇のお客は役者が怒鳴っている姿を見て楽しむからです。
しかし、落語は違います。落語では、客はお客自らの中にお客自身で造り上げた登場人物の怒鳴る姿を楽しみます。
そこで、落語家には登場人物になりきって役者のように演じるのではなく、登場人物の感情をお客自身の造り上げた登場人物に反映できるように、登場人物の感情をできるだけ緻密にお客に伝えることが求められます。
つまり、登場人物そのものを演じるのではなく、登場人物の様子を正確に伝えるのが落語の演技です。
ですから、落語家が本気で怒鳴ろうものなら、お客は怒鳴る勢いに圧倒されるばかりで、登場人物の様子を自らに反映するどころか、時には、まるで自分が怒鳴られているかのような錯覚を覚えることもあります。すると、お客との距離はあっという間に大きく開いてしまいます。
そう、落語家は決して怒鳴ってはいけないのです。落語家には、お客に登場人物が怒鳴っていることを理解してもらうための落語独特の感情表現が要求されます。
このような落語の感情表現は単に登場人物の気分だけを表現するのにとどまりません。
では次回は、落語が持っている表現力の素晴らしさについて考えましょう。
(ではまた来月)
前回は対話の距離感について考えました。そして、お客との距離を詰める方法を考えました。それは登場人物の感情をより緻密に伝えるためです。今回は落語での感情表現について考えます。
落語での発話におよそ感情のないものはありません。また、なにより感情を味わうことが落語の大きな楽しみです。ですから落語家には感情をわかりやすく正確に伝えることが求められます。
感情は言葉に出ます。
「ご隠居さん、いらっしゃいますかね」
「おやおや、熊さんじゃないかい、まあまあおあがり」
こんな言葉より、
「ご隠居いるかい」
「おやおや、熊か、まあまあおあがり」
のほうがより親しみがあるでしょう。
このようなちょっとした言葉の違いも、前回話した話全体の客との距離感にも影響します。
しかし、言葉を選ぶだけでは伝えたい感情を正確に伝えることは出来ません。
言葉を意味と音とに分けて考えてみましょう。
「冗談じゃねぇや」という言葉がハッキリと
「ジョウダンジャネエヤ」と聞こえた時と、
「ジョ・ジャ・ネ・」
とほぼ音の旋律だけで聞こえた時と、どちらが感情が伝わってくるでしょうか。
そうです。落語では言葉の内容を正確に伝えることより、感情を正確に伝えることが大切です。
しかし、だからといって
「てめえこのやろぉ」と怒鳴ったりしてはならないのです。なぜでしょうか。
これが演劇の役者なら大声で怒鳴るところでしょう。なぜなら、演劇のお客は役者が怒鳴っている姿を見て楽しむからです。
しかし、落語は違います。落語では、客はお客自らの中にお客自身で造り上げた登場人物の怒鳴る姿を楽しみます。
そこで、落語家には登場人物になりきって役者のように演じるのではなく、登場人物の感情をお客自身の造り上げた登場人物に反映できるように、登場人物の感情をできるだけ緻密にお客に伝えることが求められます。
つまり、登場人物そのものを演じるのではなく、登場人物の様子を正確に伝えるのが落語の演技です。
ですから、落語家が本気で怒鳴ろうものなら、お客は怒鳴る勢いに圧倒されるばかりで、登場人物の様子を自らに反映するどころか、時には、まるで自分が怒鳴られているかのような錯覚を覚えることもあります。すると、お客との距離はあっという間に大きく開いてしまいます。
そう、落語家は決して怒鳴ってはいけないのです。落語家には、お客に登場人物が怒鳴っていることを理解してもらうための落語独特の感情表現が要求されます。
このような落語の感情表現は単に登場人物の気分だけを表現するのにとどまりません。
では次回は、落語が持っている表現力の素晴らしさについて考えましょう。
(ではまた来月)
2017年9月25日月曜日
志ん諒のひとり言 その 7
落語とは何でしょう。
前回は落語の目的を考えました。
それは「魂振り」でした。
今回はそのための方法について考えます。
キーワードは「対話」です。
落語にはまくらや解説の落語家の言葉の部分と、登場人物の対話や独白の部分とがあります。
落語家の言葉の部分については後の章にゆずって、今回は登場人物の対話や独白の部分について考えます。
落語の会話のほとんどは二者の対話です。落語は大人数が登場してきても、その中の誰かが一人ずつと対話していく形で進められます。
この対話を作る際に重要なのはお客との距離感です。このことが上手い落語には必須です。
落語は落語家が発信する情報をお客が受け止めて、お客自らの中にイメージを造り上げて「魂振り」を楽しむ芸術です。
ですから、落語家の発信する情報ができるだけ詳細にお客に伝わることがうまい落語の条件です。
そのためにはなによりお客との距離を詰めて話すことです。
いやいや、お客に近づけと言っているのではありません。それはお客が近く感じるように話すことなんです。
お客が遠くから傍観しているような落語では「魂振り」ができるわけがありません。
ではお客が登場人物を近く感じる話し方とはどんな話し方でしょうか。
それは例えれば、映画やドラマのカメラワークから考えると理解しやすいと思います。
今、公園に二人の人物が歩いてきます。カメラは公園の噴水を写してから遠くの公園の入り口から歩いてベンチに座る二人を引いた視点から捉えます。次の瞬間、一人の人物の肩越しにもう一人の人物の発話している顔をアップの視点で映します。
ここまでを落語で語るとしたら、ベンチに座るまでは落語家が自分の言葉で話す解説の部分です。そして次の、アップで映した肩越しに発話している部分こそが落語の対話の部分です。
この対話の部分を引いた視点の映像だとしたらどうでしょう。一人の登場人物の後頭部を見ながら、肩越しに発話しているのをアップで見るのとどう違うのでしょうか。
そう、これが落語の対話の距離感です。
お客を常に対話相手の登場人物のすぐ後ろに置く。これができれば上手い落語にかなり近付きます。
落語では対話の二者を示すのに「カミシモ(上下)を切る」といって左右に首を振って話しますが、この大きさこそ、客との距離感を示すことになっています。
カミシモが大きいと、登場人物は横並びに近くなり、客との距離は開き、客は傍観する位置となります。一方、カミシモが小さいと、登場人物は正対に近くなり、客はぐっと近付いてきます。
今回は対話の距離感について考えました。落語では芸をきちんと届けることが大切です。そのためには距離感を意識することが必要です。そしてそれはカミシモばかりではなく、声の大きさ、高さ、視線、表情、所作とあらゆる落語家が発信する感情に影響してきます。
落語では感情については独特のものがあります。まただからこそ落語なのですが。次回はそんな落語の不思議な感情表現を考えていきたいと思います。ではまた。
(来月もつづけます)
前回は落語の目的を考えました。
それは「魂振り」でした。
今回はそのための方法について考えます。
キーワードは「対話」です。
落語にはまくらや解説の落語家の言葉の部分と、登場人物の対話や独白の部分とがあります。
落語家の言葉の部分については後の章にゆずって、今回は登場人物の対話や独白の部分について考えます。
落語の会話のほとんどは二者の対話です。落語は大人数が登場してきても、その中の誰かが一人ずつと対話していく形で進められます。
この対話を作る際に重要なのはお客との距離感です。このことが上手い落語には必須です。
落語は落語家が発信する情報をお客が受け止めて、お客自らの中にイメージを造り上げて「魂振り」を楽しむ芸術です。
ですから、落語家の発信する情報ができるだけ詳細にお客に伝わることがうまい落語の条件です。
そのためにはなによりお客との距離を詰めて話すことです。
いやいや、お客に近づけと言っているのではありません。それはお客が近く感じるように話すことなんです。
お客が遠くから傍観しているような落語では「魂振り」ができるわけがありません。
ではお客が登場人物を近く感じる話し方とはどんな話し方でしょうか。
それは例えれば、映画やドラマのカメラワークから考えると理解しやすいと思います。
今、公園に二人の人物が歩いてきます。カメラは公園の噴水を写してから遠くの公園の入り口から歩いてベンチに座る二人を引いた視点から捉えます。次の瞬間、一人の人物の肩越しにもう一人の人物の発話している顔をアップの視点で映します。
ここまでを落語で語るとしたら、ベンチに座るまでは落語家が自分の言葉で話す解説の部分です。そして次の、アップで映した肩越しに発話している部分こそが落語の対話の部分です。
この対話の部分を引いた視点の映像だとしたらどうでしょう。一人の登場人物の後頭部を見ながら、肩越しに発話しているのをアップで見るのとどう違うのでしょうか。
そう、これが落語の対話の距離感です。
お客を常に対話相手の登場人物のすぐ後ろに置く。これができれば上手い落語にかなり近付きます。
落語では対話の二者を示すのに「カミシモ(上下)を切る」といって左右に首を振って話しますが、この大きさこそ、客との距離感を示すことになっています。
カミシモが大きいと、登場人物は横並びに近くなり、客との距離は開き、客は傍観する位置となります。一方、カミシモが小さいと、登場人物は正対に近くなり、客はぐっと近付いてきます。
今回は対話の距離感について考えました。落語では芸をきちんと届けることが大切です。そのためには距離感を意識することが必要です。そしてそれはカミシモばかりではなく、声の大きさ、高さ、視線、表情、所作とあらゆる落語家が発信する感情に影響してきます。
落語では感情については独特のものがあります。まただからこそ落語なのですが。次回はそんな落語の不思議な感情表現を考えていきたいと思います。ではまた。
(来月もつづけます)
登録:
投稿 (Atom)









