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「男一匹ガキ大将」
「明日のジョー」
中学生の頃
ケンカがかっこいいと
ワルに憧れた
結局は
童顔過ぎて
その道は諦めたのだが
ケンカのやり方は
ずいぶんと友達と学んだ
そのひとつが
腕を伸び切らして殴らない
こんな事を思い出したのも
声を張って
がんばって喋っていると
自分は
やってる感まんまんだが
明らかに
芸が伝わっていない
と思う事があるから
伸びきった拳に力は無い
張り切った声にも
力は無いのかもしれない
中学生の頃の遊びに
プロレスごっこがあった
コブラツイスト
四の字固め
テレビで見た大技を
痛くないように
気をつけながら
笑いながら
かけ合う
ところが
それが
思いのほか
あっさり
出来てしまって
驚いたものだった
今にして見れば
あたりまえだが
ごっこだからに他ならない
おっと
もしかしたら
この
ごっこがいい技を見せるコツ
なのかもしれない
うむ
真剣勝負で落語をしない
ごっこで落語をする
声を張り切って落語をしない
余裕ある声量で落語をする
そうか
ごっこだと思えば
勝ち負けではない
楽しいかどうかである
ごっこ遊びの余裕で語る
そんな落語を追求したい
誕生日には
ドップラー効果がある
近づいてくるにつれ
「いやだな」感はどんどん高まるが
過ぎてしまえば
「あぁあ」と直ぐに消えていく
こんなふうに
誕生日にワクワクしなくなったのは
いつの頃からだろう
そうだな
きっと
マンガにワクワクしなくなった頃からの様な気がする
マンガは
ハッキリと直感的
激しく感情的
陸上競技なら短距離走
それに対して
現実は
ハッキリと直感できるような
刺激は少なく
感情的な激しさもなく
平穏な毎日が続く
そう
陸上競技なら長距離走
だから
今では
誕生日は
淡々とした毎日の
通過点の標識のようなもの
目標でも無ければ
もちろん
ゴールでもない
だが
生を受けたことに
親に
この世に
ありがとう
と
感謝の気持ちを確認する
そんな日だから
誕生日は
区切りの日である
ならば
区切られた以前が
スッと
消え去るのは当然か
そうか
誕生日から誕生日まで
この標識から次の標識までの
短距離走として
毎日を走ることが出来れば
次の誕生日には
きっと
ワクワクできるだろう
---
3月27日は
年度末でもあるからね
決算してみよう
あはは
おやおや
こりゃ大幅黒字です
それもこれも
みんなみんなのおかげです
ほんとうに
ありがとうございます
また引き続き
ご贔屓のほど
よろしくおねがいいたします
落語家は落語世界への案内人
案内人は景観に入らない
景観を紹介するだけ
けれど
案内人に馴染めないと
紹介を聴く気にならない
だから
はじめは
しっかりお客と目を合わせて
よろしくと伝える
しかし
それが済んだら
徐々に視線をずらし
話に入った頃には
視線は
すっかりお客の頭の上を
撫でている
子供に話しかける場面など
視線を下げる時には
できる限り
目を合わせない
これは
客の前から
姿を消すため
目を合わせた瞬間
落語家は己の姿を現す
オチの後
拍手の中
スッと
落語家としての姿を現す
そんな落語を探求したい
話に「引き込まれる」という
どこに?
それは
落語家の向こう側
それが奥
上手いけど
滑らかだけど
演技はできてるけど
つまらないのはなぜ
それは
引き込まれないから
平板な
スクリーンのような
圧力だけを感じるような
そこに無いのは
奥行き
奥行きは作るもの
では
どのようにして
作るのか
そのための力は
押す圧力では無く
引く吸引力
奥行きは
引きで作る
では
どこに引くのか
それは
自分の中に引く
ん
どうしたら
引けるのか
それは
話をなぞらないで
紡ぎ出す
なぞるのは上辺
紡ぎ出すのは
自分の奥から
そう
奥行きは
自ら
紡ぎ出して
話すことで作られる
お客が
湧き出てくるのは
どこからと
思わず
覗き込み
ぐいぐいと引き込まれてしまう
そんな落語を追求したい
大地は共振するらしい
昔
地中で爆発を繰り返すと
共振した大地が
いつか割れると
考えた科学者がいた
人も共振する
それは落語会の笑い
次第に
笑いの振幅が
大きくなっていく
落語は思考を
刺激するけれど
笑いを振動と捉えるなら
思考が振動している
のでは無く
感覚が振動している
のではないか
例えれば
それは恋の様
恋は思考では無く
感覚
いくら考えても
恋のときめきは
抑えられない
どうしたら
そんな感覚を
刺激できるのか
ならば
抑えられないような
笑いこそが
落語に求められるべき
笑いであろう
どうしたら
そんな笑いを
刺激できるのか
そんな悩みは共振する
いつか
大地のように
悩みが割れ
やり方が
ハッキリ見え
そこから
笑いが噴き出てくる
そんな落語を追求したい