落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2009年7月10日金曜日

殿様

『ん
そのほう
首を 手放すようじゃが
よが買い求めても
差し支えあるまいの』
って、
今なら、
差し支えありますよね。

そのころは、
殿様には
許されていたんでしょうねぇ

だから

『ほれ 三日前に
新刀をもとめたのぅ
切れ味を 試してみるわ 』

と言うときも
決して
後ろめたい所はありません
堂々としたものです。

そこで、「首屋」に出てくる
殿様とは
どんな人なのかなぁと。

調べてみると、
「殿様」とは、
江戸時代の領国の主か、
禄の高い「旗本」を
指すそうです。
ときには下級武士でも
嫌味も込めて「殿様」と
呼ぶこともあるようですが。

この「旗本」とは、
徳川将軍家の直属家臣の
「直参(じきさん)」の中で、
「1万石以下」で、
将軍に「御目見(おめみえ)」
できる者 だそうで、
同じ直参でも、
御目見ができない者は
「御家人」ていうんですね。

「旗本」の数は、
享保年間で、約5000人、
「旗本」、「御家人」と
その家来を合わせて、
俗に「旗本八万騎」と
呼ばれていたそうですから、
かなりいっぱい
いたわけですね。

『なにやら
窓下をな
くびやくびくびと
通行するものがある』

この、「窓下」ってなんでしょ。
「会津武家屋敷」
のホームページの
写真を 見ても、
確かに門の脇に
窓らしいものは
あります。
その窓の下
ということですかね。

しかし、
殿様が
そこにいるとは
思えませんからね。
まあ、
比較的小さなお屋敷だとしても
土塀に囲まれた母屋
いたんでしょうね。

ですから、
長屋を売り歩くより
よけい大きな声を
出す必要があったわけです。

『ぁーこんな小さい声じゃ
いけねぇんだ
もっと大きい声でなきゃぁ 』
という事の訳なんですね。

三太夫さんが、
外に出ると まだそこに
首屋がいたわけですから
そのことからも
ここが そんなに大きな
お屋敷でないことが
伺われます。

最近は
焼きイモ屋さんなんかは
自動車で売りに来ますよね。
で、たまたま
上層階にいたりして、

「ねぇ、焼き芋たべたいわぁ」
なんて言われたら、
そりゃもう、

「ははっ、 かしこまりました」
とばかりに
階段とか、
階段とか、
階段とかで
三太夫さんは
表に飛び出すんですが、

出てみると
もういない、

遠くから
風に乗って
むなしく
テープの売り声が
聞こえます。

「栗よりあまぁ~ぃ」と。

まったく、あれじゃ
商売にならねぇと
思うんですがねぇ。

暮らしていけてるのかなぁと、
余計な御世話だと
思いながらも
心配になりますよねぇ。

でも、まあ、
近くにいても、
イモ屋さんだけに、
すぐに
見えなくなっちゃう

芋を食えば塀ができます。

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