2012年2月14日火曜日
花は桜木
いい発声も、いい演技も、それが落語の主たる要素ではないと書いたが、では主たる要素とは何か。
それは「心」だと思う。
落語は話芸だから口で話し、耳で聞くものと言うが、厳密には誤っている。
落語と反対の例として、古い「ニュース映画」のナレーションを思い出してほしい。
借り物の言葉、借り物の声、そこにナレーター自身は存在しない。
落語の中には、何を言ってるんだか、どんな話なんだか、さっぱり解らないのに、やたら可笑しく、気持ちを揺さぶられる芸がある。
これは、時として素人にこそ見ることが出来る芸だ。
以前一緒に落語をした「千葉ちゃん」さんや、今一緒にやっている「なおき」さんの落語がいい例だ。どちらも、表面上未完成な落語ながら、思わずわき腹をおさえて笑ってしまう。
落語界には「真打ち」という称号がある。どのような謂れなのかは知らないが、ボクが思うに、落語が「心」の芸なら、「心を打つ」から「心打ち」となったのではあるまいか。
ならば「千葉ちゃん」さんも「なおき」さんも「心打ち」に違いない。
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