落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2012年5月24日木曜日

紅白の提灯はおめでたさがつたわってきます



今日はいいお天気です。
ちょうどいい青空にちょうどいい風です。

人が立つと、足下から影が路にのびます。人とは別モノのように。
雲にも影があります。それは雲自身の至る所にあります。それは雲とは別モノではなく雲それ自身です。影が雲を浮き立たせ、影が雲に味わいを付けています。

落語をやるときも落語自身の影を作ることが大切だと思います。
影の無い明るさは、平板で味わいの無い醤油だけのお吸い物のようなモノです。

落語での影とは何かなとちょっと考えてみると、まだよく解らないけど、もしかするとそれは悲しさや寂しさや切なさややるせなさのようなモノかもしれません。

モーツァルトの修飾音符のような、聞こえないくらいの言葉や、目立たないくらいの小芝居がいい出汁になると思います。まあ、細かく気持ちの動きを表現しようと言うことなんですが。

これが芝居や映画なら、演じるだけですが、落語は状況を伝えることも必要なので、喋らないほうが気持ちが伝わるというような目の芝居を多用できません。そこで細かな心の動きを「独り言」として喋って伝えたりします。

言葉に影を持たせることは、気持ちに影を持たせることです。

笑いながら話す落語家の話はつまらないことの訳のひとつかもしれません。





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