次回1月19日の志ん諒の会では「寝床」をやります。
素人芸が迷惑を掛けまくるという話です。
実に耳が痛い話で、とても他人事とは思えません。
「なんだよあの師匠はうるさいねー、どこが悪いそこが悪いなんて、そらこっちあ素人だよ、いきなり上手くできるわけねーじゃねーか、ほんとーにうるさいんだから、明日から断んなー」
とプロの師匠を破門にしちゃう弟子の旦那の話がでてきます。
上手い下手は好みの問題としても、こと落語ではプロの落語家と素人の落語家とでは明らかに違うようです。それは、きっと、芸や話を大切にする姿勢の違いかもしれず、また、芸や話を愛する姿勢の違いかもしれない、なぁ。なんてなことを言うと、「あたりまえだ、プロは真剣だ、生活がかかってるんだ、素人は所詮遊び、道楽なんだよ。」と言う声をよく耳にします。
たしかに、それは一面の真理かもしれません、しかし、男女の付き合いのように「真剣だから大事にしている、遊びだから大事にしていない」ということにはならないと思うのです。
ちょっと思い描いてみて下さい。今、それぞれお客を乗せて、タクシーと自家用車が同じ道を走っています。どちらもお客を乗せて運転していると言う意味では同じ運転手です。では、どちらが乗っている車を大切にしているでしょうか。ゆるふわに考えれば、おそらく多くの人が自家用車の運転手の方が「自分の車だもの、そりゃあ大切にしているよ」、と考えるでしょう。また、それはお客に対しても同様に、「自家用車だもの、そりゃあお客を大切にしているよ」、と考ると思います。
ここで、運転手を落語家、車やお客を芸や話に置き換えてみます。すると思うのは、「素人だから芸を大切にできるのかな」、とか、「素人だからこそやれる芸があるのかな」、とか、とか。
タクシーの運転を見て学んだことはたくさんあります。バイクが前に出てこないように停止線をまたいで止まるとか、車線変更しやすいように車線をはみ出して走って、後ろから追い越されないようにするとか、合流で前に入られないように斜め前に詰めて走るとか、とか。信号を上手くかわすような抜け道の走り方とか、混雑する道を避ける道の走り方とか、とか。
プロに学ぶ事は貴重なことです。けれど、道を走って目的地に着くという本質は同じです。だったら、今。利益を追いかけるプロの走りよりも、走りそのものの美しさを追いかける走りをしたいと思うんです。そして、走り疲れたら、そっとワックスで磨いて、車そのものを愛したいと思うんです。
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