落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2014年11月13日木曜日

落語は話芸かな

「相手が自分を好きか嫌いか」は常に悩みの種です。ですから、友達にそんなことを相談されることもあるわけで。
しかし、友達から「こんなこと言われちゃったんだよ、どう思う」なんて尋ねられても、その言葉からだけでは、およそ気持ちを測りきれないので、まったく、なんと答えて良いか困ることがあります。
「嫌い嫌いも好きのうち」なんて言いますし、なんとも、判りにくいったらありません。
このように、言葉は実に頼りない、弱いモノです。
これが伝聞で無く、本人の言葉だとしても、例えば電話のように、言葉が声として耳に届いても、その音声だけからでは、気持ちを理解するのに十分とは言えないでしょう。
やはり気持ちは、言葉よりも、表情、目、態度から伝わる事の方が、格段に強いと思います。
「目は口ほどにものを言い」、「目は心の窓」などの言葉の通り、頭で生まれた気持ちが表れやすいのは、やはり、目でしょう。

・「話(はなし)とは、単語の連続から成る、一連の情報、ないし、その情報伝達の様式・行動。」と書かれています。テレビのニュースはその代表ですね。アナウンサーがニュースを読み上げます。 Who(誰が) What(何を) When(いつ) Where(どこで) Why(どうして) How(どのように)がニュースにおける情報伝達で、ニュースはそれでいいんです。ニュースでは、その誰という登場人物の心情を理解する必要は、およそありません。ですから、アナウンサーという仕事には、内的精神を考察して表現する努力は、必要ないと言えるでしょう。ですから、ニュースを読み上げるアナウンサーのような人は、普段の生活で、隣に居ることはありません。もしもそんな人が話し相手だったとしたら、気持ちが伝わらない会話になるわけで、気持ちが伝わらないどころか気持ちの悪いモノになってしまいます。「何考えながら話してんだろう。ほんとはどう思ってるんだろう。」と思わず相手を訝しんでしまうこともあるでしょう。日常の話ではそんな5W1Hは二の次です。

・そう、話しているとき、最も伝えたいことは、気持ちです。

・そこで「話芸」を「気持ちの修練された表現」と言い換えると、落語の本質がうっすらと見えてくるような気がします。

・頭で生まれた気持ちが表れやすいのが目なら、気持ちを伝える落語は、目で語るべきなのでしょうか。語る側から見ると、確かに目が最初に気持ちを表すモノですから、そう思いがちです。しかし、見る側、お客さんの側から見たとき、目の演技はあまりよくわかりません。では、何が一番お客さんから見て、気持ちが解るものでしょう。

・そうです、表情です。語る側からすると、目の次に来る表情こそ、お客さんに伝わるモノなのです。ですから、目で表現して、それから表情を表現するという流れでは、もっさりとしたキレの悪い演技になりがちです。人物や気持ちを切り替えるとき、まず、表情をしっかり替えることが大切ですね。実はこの表情の要が口角です。まあ、話しながら口角の位置を変えるというのは、なかなかに修練が必要で、まったく出来ていない僕にとっては目標の一つです。なにより、「口は目ほどにものを言う」のですから。

・そして、一連の体の動きと繋がっていきます。

・落語を音楽に例えるならば、言葉はドラムとベース。その上で、表情、目、体が奏でます。そしてお客さんの合唱隊の明るい歌声と共に、劇場内を包むのです。

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