落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2014年12月1日月曜日

落語研究15 芝浜3 芝浜の課題

「なぜ」に答えが出ないとき、当然と思っている先入観を捨てることから始めて見るのもいいだろう。
「勝五郎がなぜ立派になれたのか」という問いは、常に、「芝浜」では避けて通れない課題だ。

・改心したのは、酷いことをしたからか、そんな自分に呆れたからか、女房の願いに応えようとしたからか。
また、改心した後、なぜ「人が変わったように」なったのか。なぜ再び自堕落に陥らなかったのか。

・「勝五郎は、酒に呑まれて仕事を反故にするような、自分に甘い、自律心に欠ける、自堕落な人間だった。」という、「当たり前」の先入観を、一度捨ててみることにした。

・不真面目さは、真面目だから故かもしれないと考えた。

・もし、勝五郎が酒に呑まれたのが、真面目だからなのだとしたら。つまり、真面目に酒を呑もうとしたのだとしたらどうだろう。真剣に自堕落になろうとしていたのだとしたらどうだろう。

・そうならば、生きる方向が変われば、噺のように、自堕落から自律に転じる事も頷ける。揺れが無いくらいの真面目さだから、再び「ちょっと一杯のつもりで」のように、「元のお前さん」に戻ることは無かったのだろう。

・だとしたら、朝、起こされて、仕事に「行かされる」場面では、真面目な人が懸命に酒を呑んでいることを示さなければならない。酒を呑む以外に真面目な自分を抑えることが出来ない事を示さなければならない。心の底に信念を湛えた不真面目さを示されなければならない。

・それなのに、強いて仕事に行く理由は、とにかく、女房のすさまじい剣幕に居たたまれなかったからだ。仕方なく出て行くのだ。けっして、納得の上で仕事に行くのではない。

・だから、「叩き起こされる」必要がある。

・女房もまた真面目だ。嘘を突き通したからといって、二面性があるという解釈では、このように、女房が叩き起こす場面は生まれてこないないだろう。上手いことを言って仕事に行かせるくらいの女房だったら、不器用に叩き起こすことなどしないはずだ。

・おそらくは、女房は勝五郎が酒に呑まれていることを許していた。いや、呑ませてあげたいとすら思っていた。必死に勝五郎を奈落から救ってあげたいと思っていた。何より酒がその救いになると。

・しかし、ついに金がなくなり、酒も買ってあげられなくなった。少し前から、このままではいけないと女房は悩んでいた。そして、かわいそうだからと呑ませてあげていたんでは、本当の意味で勝五郎の救いになっていないと気づいたのだ。

・「釜の蓋が開かないんだよ。」は「お酒を買ってあげたくたって出来ないんだよ。」ということだ。助けてあげたい気持ちを、そのまま言えない女房、なんとかしてあげたい気持ちをそのまま言えない女房だ。そこにあるのは、女だから故に本心を言えず、家を守るという大義を振りかざしてしまう女心だ。

・その気持ちを知って勝五郎は、暗い師走の空の下、寒さに震えながらも、女房の温かい気持に包まれて、芝浜に向かって歩き出すのだ。

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