井戸の茶碗はコミュニケーションの話ともいえます。
コミュニケーション を考えると、伝達とか交流とかばかりでないような気がします。
サッカーでも「監督の手足となる選手」、「アイコンタクトでのプレー」などとコミュニケーションが語られます。.
.
「他人を自分にする」、「自分化」とでも言ったらいいのでしょうか。自分の延長として他人がある。いや、もはや他人では無く、そこまで自分が広がった存在となること。
渡り鳥の編隊飛行や小魚の大きな群れは、本人は意識しているかは解りませんが、個体の動きが群れ全体を意識しているとしか考えられません。明らかに群れは大きな一つの個体となっています。
人のために生きたり、生き物のために生きたりできるのも、「自分化」しているからでは無いでしょうか。ですから、それが生きてくれれば、もう自分自身の存在に価値は無くなり、「たとえ火の中水の中」と命をかけられるのでしょう。
二者がいて、お互いに「自分化」ができれば、それこそ真の「個体」となるのかもしれません。
そんなこと無理だって❗️
なんて個っ体❗️
0 件のコメント:
コメントを投稿