ラグビーワールドカップ予選最終戦の勝利者インタビューで五郎丸選手は泣いた。向けられるカメラに、奥歯を咬みしめ唯々泣く。言葉を求める記者に声にならない声で一言、 「ぼくたちの目標はベストエイト入りでした」とだけ言った。
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涙は言葉より伝わる。ぼくは、勝利しても泣かなければならないこの不条理に、共に奥歯を咬んだ。
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唯一の敗戦となったスコットランド戦は、判定が公平であれば、明らかに日本の勝利だ。
陸上競技に例えれば、明らかにゴールラインを先に越えているのに、審判員のストップウォッチの押し加減で負けたようなものだ。
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前日のサモアも同様に審判の偏向でスコットランドに敗れたのは火を見るよりも明らかだった。
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一体、ラグビーの「誇り」とは何だ。
「磨かれた精神」は何処にあるんだ。
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もう、ぼくはプリップリだ。
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ラグビー協会は「ティア1」「ティア2」というカテゴリー分けをしている。
「ティア“tier”」とは英語で「階層」。
「ティア1」には、北半球のイングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランド、フランス、イタリアと、南半球のオーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ、アルゼンチンの10ヵ国が入る。それ以外の国は実績などに応じて「ティア2」そして「ティア3」に分類される。 現在日本は「ティア2」に入っているが、サッカーのランキング等と違い、ラグビーのカテゴリーは簡単には変わらない。国際大会での成績などを受けて変動するような合理的なシステムではない。根拠は明確ではなく、伝統や「格」から決めるのだという。現実には不動の10ヶ国なのだ。
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ラグビーワールドカップの審判は、この「ティア1」からしか選出されない。
日本対スコットランド戦はアイルランド協会の審判。
サモア対スコットランド戦はイングランド協会の審判だ。
どちらも酷い偏向審判だった。
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テレビ現地映像も偏向判定には再生映像を流さない、明らかな偏向放送だった。
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こんなことが「誇り」だとしたら、スポーツとしては言語道断だ。いや、最早スポーツではない、力を誇示する軍事パレードと何ら変わらないと言っても言い過ぎではないだろう。
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もう、ぼくはプリップリだ。
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ラグビーは支配階級のスポーツだなどと言うのなら、民主主義を志す日本人は彼らと試合をするべきではない。日本人もサモア人も被支配階級のような扱いを受けてはいけない。
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もう、ぼくはプリップリだ。
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スポーツは肉体を鍛え精神を磨くためのものだ。ぼくはいろいろとスポーツをやってきたが、ラグビーは数あるスポーツの中でも、高いレベルで肉体を鍛え精神を磨くスポーツの一つだと思っていた。
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その最高の舞台がこんなものだとは。
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4年後は日本がラグビーワールドカップの開催国となる。
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このままでいいはずがない。
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主催者となる日本ラグビー協会は、世界のラグビー協会の在り方を議論し変革していかなければならない。
でなければ、4年後には再び高いレベルで肉体を鍛え精神を磨いた誇り高い男達が涙を流すことになるだろう。
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なにより議論すべき事は、ティア制度の廃止。さらには、他大陸からの審判の選出だろう。
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ノーサイドの後に悔いのない笑顔が生まれる大会を作らなければ、日本ラグビー協会の未来はない。
ノーサイドの後に悔し涙にくれるようなスポーツを誰がやりたがるものか。
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ラグビーの世界も、その特権にしがみつき、変革を畏れ、肉体を鍛え精神を磨いた過去を忘れた指導者達で腐りかけているようだ。
せめて日本ラグビー協会は、今こそ、そんな利権を捨てる「誇り」をぼくらに見せて欲しい。ぼくらが誇りとするような磨かれた精神を後に続く者たちに示して欲しい。
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五郎丸選手の涙を二度と流させてはならない。
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もう、ぼくはプリップリだ。
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