落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2009年9月5日土曜日

落語は心

落語を憶えることを通して、
記憶ってものをどう考えたら
いいのかなと思いました。

ノートに書き記していく作業とは
明らかに違います。
どちらかというと、
絵を描いていく作業に
近い気がします。

「記憶の断片を辿る」という
言い方をしますが、
それは、記憶が曖昧になっていても、
記憶のそれぞれは、
記憶そのものに、
他の記憶との関係性の情報を
含んでいるということです。

その関係性の情報こそが、
その人の人柄や行動の規範を
作っているものだと思うのです。

そう、記憶の場のイメージとしては、
記憶が集積回路の様に
一面に敷き詰められた空間です。

そして、その空間に
その記憶やその他のものから
映し出されている無数の光から
作られる映像のようなもの、
それが「心」ではないかと思うのです。

つまり、
心とは記憶と記憶の持つ関係性と
その他諸々のものとが
織りなすものと言えるでしょう。

その他諸々のものとは、
身体であったり、
環境であったり、
他者であったり、
時間であったりと、
実に様々なものが考えられます。

しかし、主役は
記憶と記憶の持つ関係性
だと思うのです。

落語の表現は、
この記憶と記憶の持つ関係性とで
成り立っています。
つまり、落語は「心」の表現と
言えるでしょう。

「落語は心」なんだと思います。

今日の創作都々逸#29
♪ 
失望希望は 表と裏よ
ひらひら舞散る 同じ紙

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