江戸の頃もきっとこんなふうに見つめられていたのでしょう
今日の創作小咄#51
歌川広重 東海道五十三次 吉原 左富士
↓ PLAYでは千一亭本当が「吉原宿窓下釣り」でご機嫌を伺います
「ご隠居、ここはいい宿ですな、
田子の浦と富士山が
両手に見えますぞ」
「そうだなニコラス、
いい眺めだ、
『田子の浦に
うち出でて見れば白妙の
富士の高嶺に雪は降りつつ』
これを詠んだ山部赤人も、
二階からのこの景色は見ていまい、
二階からの富士は格別だ、
富士もめでたいが、
めでたいと言えば鯛だ、
こっちの窓下を見ろ、
すぐに川だぞ、
いや、川と言うより、
田子の浦だ、
このような河口は
訳あって、
時として、
大物が釣れるのだ」
「え、ご隠居、
その訳とは」
「ああ、
ニコラスは、
海水が塩辛いのは
知っておるな」
「はい」
「塩が混じっている海水は
川の淡水よりも重いのだ、
よって、満潮ともなると、
川に流れ込んでくる海水が、
川底の砂を巻き上げる、
すると、
小魚の餌が舞い上がり、
小魚が集まってくる、
しからば、小魚を狙って、
大物がやってくるという訳だ
な、ニコラス」
「なるほど、
それで、
カモメがあんなに沢山
飛んでいるんですね。
魚の数より多いほどです」
「うむ、
ニコラスは釣りをしたことが
あるのか」
「もちろんです、
十五夜の時に、
真之介と釣りました。
引きの具合はわかります」
「ほう、
しかし、
引きだけでどんな魚か
わかるまい」
「いえいえ、
鯖なぞ、
直ぐにわかります」
(あ、突然ですが、
千一亭本当です、
いつもお読み頂きまして、
ありがとうございます。
ここで咄に出ました、
「十五夜の釣り」は
小咄の番号で26です。
よろしくお願いいたします)
「ん、
そうだな、
なるほど、
では心得ているんだな、
おそいな、
真之介。
帳場から釣り竿を借りるのに、
いつまで掛かっておるのかの、
おっ、来た来た」
「お待たせしました、
ご隠居、
かようなもので、
良いのかと」
「おぅ、
真之介、
十分だ、
ん、
仕掛けは
長めにして、
な、
そう、
餌をつけて、
ん、
これでよし、
では、
我が輩は
帳場で
勘定を済ませてくるから、
二人で釣っていなさい」
「はい、
あ、行っちゃった。
真之介、
じゃ、
行くぞ、
せーの、
それっ、
どうだ、
おぅ、
真之介、
引いておるぞ、
それっ、
それ、
頑張れ、
あっ、
あー、
バレたか」
「うん、
バレたが、
大物だったな、
ブリかもしれん、
な、ニコラス」
「なに、
それはすごいな、
おっ、
真之介、
こっちも来たぞ、
来た来た、
よしっ、
それっ、
ん、
んー、
あー、
バレた、
いゃぁ、
こっちも
大物だった、
ブリというより、
ヒラマサだな、
ん、
違いない」
「おーい、
二人とも、
どうだ、
釣れてるか、
真之介」
「あっ、
あれっ、
ご隠居、
窓下に居るんですか、
気がつきませんでした、
たった今、
凄い引きで、
これは、
間違いなく、
ニコラスはヒラマサ、
拙者はブリでした」
「はは、
いいや、
それは違う、
引いていたのはワシだ」
「えっ、
聞いたかニコラス」
「あー、
それは違う、
引いていたのはカモメだろう」
今日の創作都々逸#82
♪
雪の夜は
積もる恨みも 春なりゃ帯も
溶けて流れりゃ 皆同じ
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