落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2010年5月11日火曜日

井戸の茶碗 4




「ワシはな、
あの仏像を売ってしまった。
一旦手放してしまえば、
それはシトのものだ。
自分のモノではない、
買ったシトのモノだ。
その中から出て来たモノは
買った人のモノだ。
ワシは受け取るわけにはまいらん。
先方へ戻しなさい」

井戸の茶碗の魅力は
その言葉ひとつひとつが
「うん、たしかに」
と頷けることです。

そして、頷きながら、
そこはかとなく
ここちよい
可笑しさの香りが
してくるところです。

なにか明るい、
なにかいい心持ちを
予感させます。
講談に通じるものです。

そもそも
この噺の源は講談にあるようです。
しかし、
ソレを落語にしているところは
どこなのでしょうか。
つまりは、
講談のように説教臭くなって
しまわないようにするために
どこをどうしているのでしょうか。

いろいろとあるとは思いますが、
自分でしゃべつていて思うのは、
屑屋さんが物語の柱というところと、
その屑屋さんから見た二人の
頑固者の姿を描いているところかもしれません。

そこでは、屑屋さんが、自分の意見を
押し切られても、屑屋さんにとっての
不条理に反発することなく、
受け入れていくあたりに、
落語らしさがあるのではないかと思うんです。

そして、その先に、素敵なことがやってくる。
落語はそういった、
何ものかが報われる世界を描くことで、
聞いていだだける方に
カタルシスを感じてもらえることが
出来るのかもしれません。

ですから、
しゃべるときは
努めて、お侍の側からではなく
屑屋さんの側からの光を
強く当ててお話を
組み立てていきたいと思っています。

最後の高木作左衛門の笑顔は
清兵衛さんの笑顔を受けてのもの
そこに清兵衛さんの笑顔までも
感じてもらえられるように
できたらいいなあと
思っています。

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