落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2012年1月2日月曜日

初夢

昔は一日の始まりを日の出としていた。日の出から一日としていた。新年も午前0時ではなかった。もちろんカウントダウンもない。新年は日の出とともにやってきた。初日の出、「あけまして」「一陽来福、新玉の春」である。そして、今夜、一年で最初の夢を見る夜を迎える。さて、どんな夢かな。

 夢に現れる自分は何時の自分なのだろう。今でないことは確かだから、過去か未来かのいずれかということになる。だが、夢も思考の一つだとすると、未来の自分がそこに現れるはずはなく、過去の自分を夢見ているということになる。

 時に亡き父の夢を見る。そこでの自分は父在りしころの自分なのだろうが、実に朗らかである。脳天気な性格のおかげかもしれないが、悲しい気持ちは夢の中ではおよそない。けれど、過去の自分がそのようなわけはなく、すると、夢の中の自分は過去の自分ですらない。

 夢は別世界なのか、いいや、夢の世界は別世界ではないはず、夢を見ているのはここにいる自分なのだ。ここにいる自分の、その世界の延長に夢があるのか。すると、そこにいる自分は自分自身の延長としての自分。なるほど、だから、悲しみに囚われていないのか。

 初夢でその年を占う。
ボクはどんな夢を見ようと、それは素敵な一年の幕開けを意味していると思う。なぜなら、夢を見るとは囚われていない、解き放たれた世界があることの証だから。

 夢の自分にどこまで近づけるか、もしかすると、それが常に目標なのかもしれない。

 さてさて、どんな夢を見るのかなぁ。その夢のお話はまた明日、では、おやすみなさい。





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