落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2012年1月1日日曜日

一陽来福新玉の春

元旦。今年の稽古は「富久」で始めた。
浮いたり沈んだり、運命の荒波に揉まれながらも元気に明るく生きて行く幇間の久蔵。
ボクも久蔵のように、今年も明るく進んで行くぞ。
けれど、
火事になって宝くじが当たるより、宝くじに当たることもなく穏やかに過ぎて行けばいいな。

師匠から高座は板張りがいいとのご指摘をいただいたので、さっそく畳みを下ろした。
二枚の畳でも、小さなお座敷が出来る。そこに座って日本酒を呑んだ。畳を撫でると、懐かしい感触が広がる。ミカンを食べた。ちょっとだけ正月だなぁと思った。

どうやら酔ったらしい。ゴロっと畳みに横になって、天井を見上げる。すると、楽しいことを思い出せばいいのに、なぜか悲しいことを思い出す。悲しいことのほうが楽しいことより多いからなのか。また起き上がって酒を呑む。すると、少しあたたかい気持ちを思い出した。

そうか、なるほど、悲しい出来事は思い出になる時に、あたたかい気持ちで包むんだ、いや、あたたかい気持ちで包むから、もうそのことで傷つかない思い出になっている訳だ。

楽しい出来事は無理をして、そんな気持ちで包む必要がないから、何か思い出そうと、思い出の「包み」を探し出して、その包みを開ければそれは、中身はきまって悲しい出来事という訳だ。

また一つ年を重ねた。だから、また少し涙もろくなったと思う。それは去年もそんなふうに包んできたからだ。今年もきっと包まなければならないだろう。でも、そのときには、できるかぎり、明るく、綺麗に、優しく包みたい。

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