落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2012年1月9日月曜日

鶴の千五百番


子供のころ、いや、かなり大きくなってからも、よく空想しては楽しんだモチーフのひとつが「潜水艦」だ。それも大勢で乗り組むものではなく、何人かしか乗れない「潜水艇」だ。腹ばいで操縦する。それに乗って静かな海の中を巡る。未知の世界がいろいろと現れる。ひょっこりと友達の家の前の海辺に現れたりする。

「サブマリン707」という潜水艦のマンガを良く読んだ。知恵を絞った作者の空想に胸躍らされた。「ボトムボンズ」という名の水中浮遊機雷、もちろん実際には無いのだろうが、その機能、構造、形、そして名前まで、うっとりするほど良く出来ていた。命がけの戦いの話なのに、ただただワクワクと楽しい。

大学に入ってから、スキューバダイビングのライセンスをとって、モルジブ、セブ、ケアンズ、マウイとあちこち潜った。ボンベを背負って、空を飛ぶように潜った。

けれど、空想の潜水艦のように伸びやかで気持ちのいいものではなかった。ダイビングはもちろんワクワクと楽しいのだが、常に命の危険と隣り合わせだという冷たい感覚がいつもお腹のあたりを軽く押してくる。

現実とは「苦楽」が常にワンセット。落語が楽しいのも、空想ゆえに「苦」がないからか。いや、お客さんに話す前に、演者がすっかり「苦」を味わい尽くしちゃってるからかもしれない。そう、煮物の「あく」をとるように、すっかり「苦」をとりつくして磨きあげた話こそ、お客さんにとって「楽」だけの「いい話」になるのだろう。


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