落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2012年2月12日日曜日

「血がでている」、血のことをずっと「ちが」だと思っていた子


落語が面白くない理由の一つに演者の「独善性」がある。
もとより独善性とは自分だけが正しいと思い、他者の意見を聞き入れないことだ。そんな人が落語をやって面白いはずがない。

なぜなら落語はお客さんと作り上げていく芸だからだ。その同時性は繊細な情報交換の上に成り立つ。「ああそうか、ここでこうするといいんだな、よし、それならこれでどうだ」と常に考えながら、受け入れながら進めていくのが落語だ。

ならば謙虚であればいいか、いいや、「独善性」は時として「謙虚な態度」に内包されていることがある。もちろん礼儀を踏み外してはいけないが、落語は謙虚にやってはならないと思う。それはその向こうにちらちらと独善性が垣間見えるからだ。

お客さんの反応第一に演る、のびのびと一所懸命演る、ドンドン積極的に演る、率直に素直に演る、これが落語だ。

自分の非を積極的に認め、いつもよりよい方向に修正していく、今、この時、この瞬間に、お客さんと一緒に作り上げていく、それが落語だ。


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