落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2014年10月28日火曜日

落語研究1 居残り左平次1 左平次の来歴

男の父は代々の漁師であった。
品川宿の外れに小さな家と舟が一艘。
男は少年時代を荒っぽい漁師達と過ごした。
もともと明るい性格の男はよく人を笑わせる少年だった。

そのころ、品川宿は岡場所として発展し、次々と妓楼が増えていく。
街道に面し浜に下りられる男の家は、海を見晴らす妓楼の場所としては絶好であった。
立ち退きには破格の値がついた。
隣接の漁師達が喜んで売ったのだが、男の父だけは「じっさまの家は守る」と断固として売らなかった。

ある日、家の前で舟が燃えていた。
舟を失った男の父は甘言のもと、妓楼で下働きをすることになった。
しかし、失意のなか、ほどなく病でこの世を去った。

男は知人の世話で母と共に白壁町に移り住み、左官職に就く。
親方は武家屋敷の漆喰壁を主に手がける名人だった。
しかし、男はついつい手より口が良く動いてしまった。
そのため、毎日親方に怒鳴られてばかりだった。

そんなおり、近くに住む落語の師匠に「そんなに笑わせるのが好きなら寄席で働いてみろ」と勧められ、寄席に入った。
しかし、好きな酒が災いし、寄席をも追い出される。

すると、寄席の客の一人、吉原の見世の主人にこんどは見世の若い衆にならないかと誘われ、吉原に入ることになる。
いつしか仲のいい幇間や芸者から唄や座敷芸の手解きを受けるようになった。
ときには、居残りしている左平次という男が客から祝儀を貰っているところや、ごろつきの任侠者がまんまと金をせしめていく姿を目の当たりにすることもあった。

そんなある日、母が病に倒れたことを知る。
左官職の頃出入りしていたお屋敷付きの医者に診て貰おうとするも、あまりに法外な薬料に驚くが、江戸で評判の名医、母のためにと金策に走り回るも徒労に終わる。くわえて男は見世に借金もあった。

そこで、男は一計を案じる。
名を左平次と名乗ることに決めて。
白壁町の頃からの仲よしの三人に声を掛けた。

そして、いよいよ「居残り左平次」の幕が開きます。

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