・「立派な人が悲劇を創り、愚かな人が喜劇を創る。」とギリシャ時代から言われているそうです。たしかに一面の真理と言えるかも知れません。なるほど、立派さを貫いたから悲劇になり、愚かさを改めないから喜劇になったのでしょう。
・しかし、どちらも改めないで貫いたことという点で、両者に凡そ大きな違いはないように思われます。そう考えると、悲劇と喜劇は、例えれば、ヒラヒラと舞う紙の表と裏。実は同じモノ、見ている部分が違うだけのモノのような気がしてきます。
・落語には多種多様の笑いがありますが、その中でも落語特有のおかしさと思われるものは、まさにそのヒラヒラと舞う紙のようなおかしさなのかもしれません。
・第三分析は、いよいよ落語として話をするうえで、落語らしいおかしさを創り出す、そんな「改めずに貫く」点を、全体と場面毎に考察していきます。
【全体】居残り左平次という話
・全編を貫いている左平次の信念は親への忠義です。その根っこには「母の恩に報いたい」という気持ちと「父の無念を晴らす」という強い意志があります。ゆえに、他で稼ぐことなど考えることなくこの旅籠に執着するのは、単に金銭のことではないわけです。しかし、旅籠を潰してやろうとまで考えることはしません。みんなそれぞれ必死に生きている事は左平次自身がよく知っているからです。総てやむなくそうなった訳と理解しています。ですから、左平次の目的は「一矢報いたい」です。なにより旅籠に「やられた、損した」と思わせたいわけです。そのため、左平次は「しっかり騙してやるぞ」という軸からぶれることはありません。
・悲壮感ただよう左平次の心には、一方で享楽的な本質があります。また、それこそが原動力になっています。おそらく、「自分が楽しめば楽しむほど、後の旅籠の落胆は大きいだろう。」と踏んでいたのでしょう。
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