2012年1月5日木曜日
ホワイトマシュマロと歌舞伎揚げ
今日は仕事始め。でも、午後の仕事前の2時間、ドラムのレッスン。2008年の1月から始めたドラムも今年で5年目。今回は「踊りだしたくなるように叩こう」をテーマに、早い16ビートとオープンハイハットのコンビネーションだった。先生も初叩きということで、熱が入った。お昼は蕎麦を作って一緒に食べた。頂き物の乾麺、細くていーい麺である。日高昆布とかつお、さば、いわしで出汁をとって、酒みりん醤油砂糖で、ちょっと甘めにこしらえて、適当なものがなかったので、ホウレン草、チャーシュー、舞茸、それと豆餅を二つのせた。ガッツリとしたお蕎麦。先生にはお口にあったと見えて、お礼にと、5分超えのドラムソロを披露していただいた。初めての事で、感激だった。体が揺れた。踊りだしたくなっていた。
ダンス音楽はリズムキープが命だ。たとえ途切れるところがあっても、リズムは続いて、またちゃんと戻るのがいい演奏だ。
とん馬師匠の教えには、「落語のリズムとは、声の調子や大きさや間とかじゃない、落語のリズムは人物の表出だ」という。
つまり、リズム譜に置き換えると、一つ一つの音符が一つ一つの人物という事だ。旦那と番頭の会話なら、「旦那、番頭、旦那、番頭」と音符が並ぶ。しかもそこには修飾符が付いていて、「困る旦那、疑う番頭、諌める旦那、恐縮する番頭」といった具合だ。このそれぞれがハッキリ感じ取れると、落語のリズムが生まれる。ドラムなら、ちゃんとシングルストロークが打てないと、聞いてられないだだの雑音になるのととてもよく似ている。
よく、落語で、「ウケているんだからイイ」と客の反応で落語家を評価するような言葉を聞くが、なんとも、反論する意欲も失せる。
先ほどのドラムの話で言えば、「踊っているんだからイイドラムだ」ということになる。おかしなことは明らかだ。
聞くほうの反応の理由は、それこそ様々なものがあるはずだ。
「踊りだしたくなるように叩こう」、これを落語に当てはめれば、「笑い出したくなるように話そう」となるだろう。
そのように実際話せているかどうがが、落語家の評価であり、それは、たとえ、その結果として、お客さんが笑ったとしても、それが基準ではない。評価の基準は、当たり前の話だが、落語家自身の芸そのものに置くものだろう。
リズムが破綻している落語はもはや雑音に過ぎない。
リズムキープこそが正に落語の命だから。
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