落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2012年1月31日火曜日

アルプスでのこと、裸でハイキングしていた人に罰金100スイスフラン(8337円)、なるほど「アルプス1万弱」


千一亭志ん諒「火焔太鼓」第6回志ん諒の会






















来週はスーパーボウル、6日月曜日朝8時から生中継。

誰もがきっと感じていることと思うが、録画して見るのと、ライブで見るのとでは違う。
HD録画で、ニュースを全く見ないで、ライブと同じ条件で録画を見ても、ライブとは違う。

それは、またまた当たり前のことだが、
録画は「今」では無いからだ。

録画を見ようと再生ボタンを押したときに、その試合は「○○試合」という作品を見る意識になっている。映画を見たり、演劇を見たり、講談を聞いたりするのと同じ意識だ。

生中継は「まだ出来上がっていない作品」だから違う。
そこには「今」を共有する意識がある。

落語の本来の姿はそれだろう。
寄席で「演目」が無い事の訳だ。作品を見るならDVDでいい。

落語は作品を演じるのでは無い。そのつど、作品を作り上げていくのだ。

一席一席が新たな作品作り。毎日の料理と一緒だ。だから何度聞いても美味しいモノはまた新しく美味しいのだろう。

「演目」を敢えて書かないのが本来の落語。

「落語は作品を演じるのではない、作品を作るのだ」
自分自身もそうだが、
これこそが素人にありがちな落語への最大の誤解だ。


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