落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2012年2月1日水曜日

好きな半熟卵ぐあいは湯が温まってから8分


調べると、「換骨奪胎(かんこつだったい)する」とは「古いものに新しい工夫をこらして再生する」こと。

落語は一席一席がその作業だ。

ところが、いろいろ落語を見ていると、「再生」されていないものが多い。

同じ「根」から再び新たに生まれてこその「再生」だ。
それは、アスパラやインゲン豆を育てるのと似ていて、元の部分を大切にしないとイイものにはならない。その元の部分とは何か。

一つにはその落語の「心」だろう。「精神」と言ってもいい。

ギャグを挿入するのも結構だが、そのために「心」が損なわれてはなんにもならない。

ことさら、古い時代設定の「心」は現代の「心」と大きく異なる。その違いこそ、細心の注意を払って作り上げなければならない。言わば建物の柱なのに、それを蹴倒すようなギャグを入れたりする。あっという間に話は瓦解していく。

理想の話は笑いの量を目指すモノではない。
それは理想の仕事がカネの量を目指すモノではないことと同じだ。

落語が目指すモノは何んだろう。
自分と一緒に落語をやる人たち全てにもう一度考えてもらいたいと念うなぁ。


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