2012年2月4日土曜日
さあ、豆蒔くぞ、みんな外の庭に出ろ、えっ、なんでって、おにわはそとだろ
少し前に書いたことだが、母は有り難い。立派だ。いや、それは母ばかりではない、母性を持つモノ全ては有り難い。すなわち、女性はまさに有り難く、女性はそれだけで立派である。
だから、もしかすると、女性が落語をやるとつまらなくなる原因はそこにあるのかもしれない。
そりゃ、立派だなと思ったら、とても笑うなんて畏れ多いことだ。
いや、これは嫌みではない。キチントしていればいるほど、その人を前にして、笑っては失礼という構えが出来てしまう。
人は丁寧に挨拶されると、反射的に丁寧に挨拶を返すものだ。
礼儀正しく立派な人の前では、反射的に礼儀正しく立派な人になろうとするだろう。
立派な語り口の落語なんて面白くないよ。
だから、女性の落語家は、女性の立派さをどこかで破らなくちゃならないと思う。
そして、その一つの手段として「迷い、悩み」があるように思う。
それは、立派な人は、言い切る、断言する、決めつける。
だから、女性落語家は、まず、迷い悩んでいる自分を見せることで、立派の色を薄めよう。
メイクも髪も衣装も立派な方への方向性を持っている。できるだけおさえよう。
笑いやすい環境を作って、やっと男性落語家と同じスタートラインに立ったと言える。
そして、勝負だ。これなら、後は実力次第。
女性落語家の不利な部分はそこだと思うのだが、いかがでしょうか。
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