落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2012年2月23日木曜日

耳を両手で押さえるとゴーゴーとウルサイのはなぜ


「そりゃぁないだろう」と思わず呟くようなことがあってこそ、おかしみが湧き上がる。
「心の平衡」が崩れる、いや、やや傾く程度でも、それを戻そうとして「笑い」が生まれる。

「調和」を揺らすこと、これが落語の特徴だ。
そして、「笑い」で「調和」に戻したらまたすぐに揺らす、その振幅は話が進むほどに大きくなる。

その方法は落語家百人百様だ。ただその百人の大半が揺らすことばかりに気をとられ、肝心の「調和」を作ることに注意を向けないのはなんとも悲しい。

映画「スナイパー」原題「The Contract」を観た。主演のモーガンフリーマンは殺し屋だが、「調和」を湛えた殺し屋だ。モーガンフリーマンの最後の台詞を聞いたとき、思わず微笑まずにはいられなかったのは、それまで1時間半もかけて築き上げた殺し屋の「調和」から大きく傾いた事を知ったからだ。
(宗教から離れた視点から観ても)

モーガンフリーマンが落語をやることはないと思うが、全身で表す「人間性」には感心するばかり、おそらく落語をやってもすばらしいと思う。


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