⑧代わった良しさんと布団部屋へ
【舞台】三日目の朝、二階座敷から布団部屋へ。
【感覚】早くに起きてすっかり目覚めている。体調良く充実。酒は抜けている。
【課題】良しさんに居残りを承諾させること。
-[若い衆・良しさん]
--【来歴】親が船大工の三男。がたいが大きく、腕っ節自慢。
--【感覚】充実。しょーがねえな俺が言って力尽くでも勘定させてやるという気持ち。
--【課題】二階に上がり、借金させてでも勘定を取り立てること。
⑨粗末にされている客に取り入る
【舞台】数日後の夜、二階座敷。
【感覚】充実。酒の匂いに呑みたい気分。呑むにつれて饒舌になり、酔いも廻っていく。
【課題】客に取り入り、酒を呑み、ご祝儀に与る。
-[客]
--【来歴】仕出し魚屋の三代目、魚を見る目は無いが食べるのは好き。遊女、霞に岡惚れ。
--【感覚】空腹に酒が入り、酔いが廻り始めている。したじが無くて好きな魚が食えなくてイライラしている。
--【課題】魚を食べて、はやく霞に会うこと。
-[遊女、霞]
--【来歴】18歳、二枚目を張る花魁。
--【感覚】酔いが廻っている。座敷を巡ってきて疲れて、面倒な気持ち。だか、ここは待たせて申し訳ないという体を作る。左平次を見て訝しむ。
--【課題】客に気に入って貰う。
⑩客が左平次をご指名
【舞台】さらに数日後の夜、二階座敷。
【感覚】あちこち座敷を巡って商売繁盛。酔って上機嫌。
【課題】客に取り入り、酒を呑み、ご祝儀に与る。
-[客]
--【来歴】下級武士、配下の者を連れている。
--【感覚】酔いが廻り始めている。場を盛り上げたい。
--【課題】配下に良いところを見せること。
-[おばさん]
--【来歴】元は板頭を張っていた花魁。岡場所は吉原と違いかなり年増。
--【感覚】客から指名が入り、これは商売繁盛と上機嫌。
--【課題】場を盛り上げるように左平次を呼ぶこと。
2014年10月31日金曜日
2014年10月30日木曜日
落語研究3 居残り左平次3 第一分析2
⑤若い衆の勘定の催促を躱す。
【舞台】二日目の朝、二階座敷。
【感覚】眠い。起き抜けの怠さ。酒が残っている。ちょっと胸がムカムカする。だが、空腹。
【課題】金がないことを悟られないように勘定を先延ばしにすること。
-[若い衆]
--【来歴】左平次より三歳下。この旅籠の主人が営む米問屋の手代から、真面目さを買われて若い衆のまとめ役を任される。小作農家六人兄弟の次男。しっかりしているが、人を信じやすい。給金で兄弟の生活を助けている。
--【感覚】朝の仕事を片付けて一段落。朝餉を食べた後。心体共に充実。
--【課題】左平次が起きないので、起こして勘定して帰すこと。
⑥昼寝して三時半、再び若い衆の勘定の催促を躱す。
【舞台】二日目の午後三時半、二階座敷。
【感覚】眠い。起き抜けの怠さ。のどの渇き。まだ酒が残っている。小腹が空いた。中トロと貝柱を食べたい。
【課題】金がないことを悟られないように勘定を先延ばしにすること。
-[若い衆]
--【感覚】仲間の若い衆に言われて勘定の心配が始まる。
--【課題】左平次が起きないので、起こして勘定してもらうこと。
⑦躱しきれず金がないことを告げる。
【舞台】三日目の朝、二階座敷。
【感覚】早くに起きてすっかり目覚めている。体調良く充実。酒は抜けている。
【課題】金がないことを悟られないように勘定を先延ばしにする。躱しきれないときは素直に金は無いと告げること。
-[若い衆]
--【感覚】勘定ができるか心配。
--【課題】なんとしても勘定してもらうこと。手に余るときは階下に降りて、用心棒代わりの若い衆良しさん、縁起担ぎの好きな若い衆松どん、慎重派の哲どんを呼ぶこと。
【舞台】二日目の朝、二階座敷。
【感覚】眠い。起き抜けの怠さ。酒が残っている。ちょっと胸がムカムカする。だが、空腹。
【課題】金がないことを悟られないように勘定を先延ばしにすること。
-[若い衆]
--【来歴】左平次より三歳下。この旅籠の主人が営む米問屋の手代から、真面目さを買われて若い衆のまとめ役を任される。小作農家六人兄弟の次男。しっかりしているが、人を信じやすい。給金で兄弟の生活を助けている。
--【感覚】朝の仕事を片付けて一段落。朝餉を食べた後。心体共に充実。
--【課題】左平次が起きないので、起こして勘定して帰すこと。
⑥昼寝して三時半、再び若い衆の勘定の催促を躱す。
【舞台】二日目の午後三時半、二階座敷。
【感覚】眠い。起き抜けの怠さ。のどの渇き。まだ酒が残っている。小腹が空いた。中トロと貝柱を食べたい。
【課題】金がないことを悟られないように勘定を先延ばしにすること。
-[若い衆]
--【感覚】仲間の若い衆に言われて勘定の心配が始まる。
--【課題】左平次が起きないので、起こして勘定してもらうこと。
⑦躱しきれず金がないことを告げる。
【舞台】三日目の朝、二階座敷。
【感覚】早くに起きてすっかり目覚めている。体調良く充実。酒は抜けている。
【課題】金がないことを悟られないように勘定を先延ばしにする。躱しきれないときは素直に金は無いと告げること。
-[若い衆]
--【感覚】勘定ができるか心配。
--【課題】なんとしても勘定してもらうこと。手に余るときは階下に降りて、用心棒代わりの若い衆良しさん、縁起担ぎの好きな若い衆松どん、慎重派の哲どんを呼ぶこと。
2014年10月29日水曜日
落語研究2 居残り左平次2 第一分析1
①昼下がり友達を誘う
【舞台】白壁町の掛け茶屋。
【感覚】母を心配し、金策尽きて、最後の二両を元手になんとかしようと夜通し考え寝不足。早く早くと気が急く。
【課題】友達三人を説得すること。三人は作戦には不可欠の要素。景気の良い集まりに見えなければならない。
②陽の暮れ方品川宿に到着
【舞台】品川宿を見下ろす街道。
【感覚】日本橋から11km弱、徒歩約2時間45分。疲労感。期待感。決戦に臨む緊張感。
【課題】父が恨みの飯盛旅籠を選ぶこと。若い衆に金持ちそうに見せること。
③宴席の始まりからお引けまで
【舞台】二階座敷。
【感覚】始まりはペコペコの空腹。お引けはパンパンの満腹とほろ酔い。いよいよという緊張感。
【課題】派手な遊びに慣れている体を見せ、若い衆の信頼を得ること。
④友達との相談
【舞台】二階座敷、遊女が来るまでの間。
【感覚】ほろ酔い。遊女に聞かれてはまずい、時間がない。
【課題】友達に作戦の一部を説明し理解と協力を説得すること。父母の事情を伏せ、自分の養生を理由にする。江戸っ子らしさの粋がりから悟られないようにすること。
【舞台】白壁町の掛け茶屋。
【感覚】母を心配し、金策尽きて、最後の二両を元手になんとかしようと夜通し考え寝不足。早く早くと気が急く。
【課題】友達三人を説得すること。三人は作戦には不可欠の要素。景気の良い集まりに見えなければならない。
②陽の暮れ方品川宿に到着
【舞台】品川宿を見下ろす街道。
【感覚】日本橋から11km弱、徒歩約2時間45分。疲労感。期待感。決戦に臨む緊張感。
【課題】父が恨みの飯盛旅籠を選ぶこと。若い衆に金持ちそうに見せること。
③宴席の始まりからお引けまで
【舞台】二階座敷。
【感覚】始まりはペコペコの空腹。お引けはパンパンの満腹とほろ酔い。いよいよという緊張感。
【課題】派手な遊びに慣れている体を見せ、若い衆の信頼を得ること。
④友達との相談
【舞台】二階座敷、遊女が来るまでの間。
【感覚】ほろ酔い。遊女に聞かれてはまずい、時間がない。
【課題】友達に作戦の一部を説明し理解と協力を説得すること。父母の事情を伏せ、自分の養生を理由にする。江戸っ子らしさの粋がりから悟られないようにすること。
2014年10月28日火曜日
落語研究1 居残り左平次1 左平次の来歴
男の父は代々の漁師であった。
品川宿の外れに小さな家と舟が一艘。
男は少年時代を荒っぽい漁師達と過ごした。
もともと明るい性格の男はよく人を笑わせる少年だった。
そのころ、品川宿は岡場所として発展し、次々と妓楼が増えていく。
街道に面し浜に下りられる男の家は、海を見晴らす妓楼の場所としては絶好であった。
立ち退きには破格の値がついた。
隣接の漁師達が喜んで売ったのだが、男の父だけは「じっさまの家は守る」と断固として売らなかった。
ある日、家の前で舟が燃えていた。
舟を失った男の父は甘言のもと、妓楼で下働きをすることになった。
しかし、失意のなか、ほどなく病でこの世を去った。
男は知人の世話で母と共に白壁町に移り住み、左官職に就く。
親方は武家屋敷の漆喰壁を主に手がける名人だった。
しかし、男はついつい手より口が良く動いてしまった。
そのため、毎日親方に怒鳴られてばかりだった。
そんなおり、近くに住む落語の師匠に「そんなに笑わせるのが好きなら寄席で働いてみろ」と勧められ、寄席に入った。
しかし、好きな酒が災いし、寄席をも追い出される。
すると、寄席の客の一人、吉原の見世の主人にこんどは見世の若い衆にならないかと誘われ、吉原に入ることになる。
いつしか仲のいい幇間や芸者から唄や座敷芸の手解きを受けるようになった。
ときには、居残りしている左平次という男が客から祝儀を貰っているところや、ごろつきの任侠者がまんまと金をせしめていく姿を目の当たりにすることもあった。
そんなある日、母が病に倒れたことを知る。
左官職の頃出入りしていたお屋敷付きの医者に診て貰おうとするも、あまりに法外な薬料に驚くが、江戸で評判の名医、母のためにと金策に走り回るも徒労に終わる。くわえて男は見世に借金もあった。
そこで、男は一計を案じる。
名を左平次と名乗ることに決めて。
白壁町の頃からの仲よしの三人に声を掛けた。
そして、いよいよ「居残り左平次」の幕が開きます。
品川宿の外れに小さな家と舟が一艘。
男は少年時代を荒っぽい漁師達と過ごした。
もともと明るい性格の男はよく人を笑わせる少年だった。
そのころ、品川宿は岡場所として発展し、次々と妓楼が増えていく。
街道に面し浜に下りられる男の家は、海を見晴らす妓楼の場所としては絶好であった。
立ち退きには破格の値がついた。
隣接の漁師達が喜んで売ったのだが、男の父だけは「じっさまの家は守る」と断固として売らなかった。
ある日、家の前で舟が燃えていた。
舟を失った男の父は甘言のもと、妓楼で下働きをすることになった。
しかし、失意のなか、ほどなく病でこの世を去った。
男は知人の世話で母と共に白壁町に移り住み、左官職に就く。
親方は武家屋敷の漆喰壁を主に手がける名人だった。
しかし、男はついつい手より口が良く動いてしまった。
そのため、毎日親方に怒鳴られてばかりだった。
そんなおり、近くに住む落語の師匠に「そんなに笑わせるのが好きなら寄席で働いてみろ」と勧められ、寄席に入った。
しかし、好きな酒が災いし、寄席をも追い出される。
すると、寄席の客の一人、吉原の見世の主人にこんどは見世の若い衆にならないかと誘われ、吉原に入ることになる。
いつしか仲のいい幇間や芸者から唄や座敷芸の手解きを受けるようになった。
ときには、居残りしている左平次という男が客から祝儀を貰っているところや、ごろつきの任侠者がまんまと金をせしめていく姿を目の当たりにすることもあった。
そんなある日、母が病に倒れたことを知る。
左官職の頃出入りしていたお屋敷付きの医者に診て貰おうとするも、あまりに法外な薬料に驚くが、江戸で評判の名医、母のためにと金策に走り回るも徒労に終わる。くわえて男は見世に借金もあった。
そこで、男は一計を案じる。
名を左平次と名乗ることに決めて。
白壁町の頃からの仲よしの三人に声を掛けた。
そして、いよいよ「居残り左平次」の幕が開きます。
2014年10月27日月曜日
落語研究 序
「俳優は空想することを愛さなければならないし、空想する能力を持つべきだ。これは最も大切な創造的能力のひとつだ。想像力のないところに、創造活動はありえない。想像力や俳優の空想の誘惑によってのみ、心のいちばん深い奥底から、生きた創造の欲求や生命力のあふれる俳優の精神的昂揚が呼び覚まされるのだ。俳優の想像の世界を経ずして生まれた役の人物は、魅力的にはなれない。俳優はどんなテーマでも空想できなければならない。俳優は子供のように、ありとあらゆるおもちゃで遊び、その遊びのなかに歓びを見出すことができなければならない。俳優自身が自分の選んだ戯曲の箇所から、自分自身の好みと直感に従って空想というおもちゃを選び出したなら、それは当然、俳優にさらに気に入り、俳優の創造的意思を夢中にさせるにちがいない。俳優は自分の空想を創造するさい、きわめて自由である。俳優は、作品の基本的な意図や創作のテーマの点で作者の考えと食い違わないようにしさえすればよいのだ。」(コンスタンチン・スタニスラフスキー)
もちろん落語家と俳優とでは多くの点で違います。ですが、作品に対峙したときの姿勢は似ていると思います。
「落語研究」と大きく高い編目を付けたのは、「落語研究」とは何をどのように研究するものなのかを明らかにしていきたいからです。
その趣旨で、主にネタおろしの演目に対しての考察を進めたいと思います。
序として、落語家と俳優とで大きく違う点のひとつを考えてみます。あたりまえのことですが、舞台の広さが違います。ですから、動きの制限が大きく違います。ことさら落語家には舞台の上で脚というものがありません。まあ、落語家の脚の動きは大きくて座布団の上でせいぜいが膝立ち程度です。
脚の踊りと言えばその代表はバレエでしょう。バレエ「白鳥の湖」の「四羽の白鳥の踊り(小さな白鳥の踊り)」では四人は手をつないでいるため、手は全く動きません。しかし、その表現は可愛らしくもあり、豊かです。そこでは、手の踊りと異なり、脚の動きで表現されるのは主に内発的感情でしょう。それは演劇においても同様で、脚の表現は感情表現として極めて重要です。
その脚がない落語家は、脚の表現ができない分、他の要素で補わなければなりません。また、動けない制約のなかで、作中の幾つもの舞台を自ら作らなければなりません。
などと考えるかたわら、別の考えも浮かびます。
それは、落語とは、脚の表現が不必要なくらいの、動く必要すらないようなくらいの、話だけに心が震い続けてしまうような話。それこそが落語なのだという考えです。
うーん、いかがでしょうか。どう思われますか。
とりとめなく、もやもやしていますが、とりあえず、「魂振り」(たまふり)こそが落語の目標と、これより新たに落語研究を始めたいと思います。
もちろん落語家と俳優とでは多くの点で違います。ですが、作品に対峙したときの姿勢は似ていると思います。
「落語研究」と大きく高い編目を付けたのは、「落語研究」とは何をどのように研究するものなのかを明らかにしていきたいからです。
その趣旨で、主にネタおろしの演目に対しての考察を進めたいと思います。
序として、落語家と俳優とで大きく違う点のひとつを考えてみます。あたりまえのことですが、舞台の広さが違います。ですから、動きの制限が大きく違います。ことさら落語家には舞台の上で脚というものがありません。まあ、落語家の脚の動きは大きくて座布団の上でせいぜいが膝立ち程度です。
脚の踊りと言えばその代表はバレエでしょう。バレエ「白鳥の湖」の「四羽の白鳥の踊り(小さな白鳥の踊り)」では四人は手をつないでいるため、手は全く動きません。しかし、その表現は可愛らしくもあり、豊かです。そこでは、手の踊りと異なり、脚の動きで表現されるのは主に内発的感情でしょう。それは演劇においても同様で、脚の表現は感情表現として極めて重要です。
その脚がない落語家は、脚の表現ができない分、他の要素で補わなければなりません。また、動けない制約のなかで、作中の幾つもの舞台を自ら作らなければなりません。
などと考えるかたわら、別の考えも浮かびます。
それは、落語とは、脚の表現が不必要なくらいの、動く必要すらないようなくらいの、話だけに心が震い続けてしまうような話。それこそが落語なのだという考えです。
うーん、いかがでしょうか。どう思われますか。
とりとめなく、もやもやしていますが、とりあえず、「魂振り」(たまふり)こそが落語の目標と、これより新たに落語研究を始めたいと思います。
2014年10月22日水曜日
2014年10月20日月曜日
2014年10月12日日曜日
2014年10月7日火曜日
2014年10月5日日曜日
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