落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2009年12月25日金曜日

高座で演じられる落語を聴くとき、
お客さんとしての私は。

「お前さん」と
カカアが言うのを聴いたとしても、
お客さんとしての自分はカカアになって、
それを言っている気持ちにはなれない。

落語家の顔を見て、
そこにカカアが居るんだなという
気配を感じるにすぎない。
そして、その「お前さん」の
次なる対応を期待するくらいだ。

ただ、高座の上にはカカアが居て、
呼ばれている「お前さん」が
居ることは分かる。
つまり、
「お前さん」だけでは、
「お前さん」への興味は湧かないのだ。

ここで、もし、「お前さん」に興味が湧けば、
次に来るだろう「お前さん」の姿も
より鮮明に見えてくるかもしれない。

ためしに、
これを「お前さん、なんだよ」
と言ってみる。
すると、「お前さん」の気配が
ぐっと強くなるのが分かる。

落語の台詞はどうやら
日常の言葉とは違うようだ。
当たり前と言われるかもしれないが、
何処が違うのかと考えてみると、
どうやら、
お客さんに疑問を湧き起こす台詞が
落語らしい台詞の一つかもしれない。

お客さんは台詞を語らないが、
お客さんの台詞を意識して台詞を出す事が
落語の台詞なのかもしれない。

ここで、

「なんだよって、なんだよ」
というお客さんの聞こえない台詞を意識して、
「お前さん、なんだよ」の台詞を出せば、
そのあとには、
お客さんの「なんだよって、なんだよ」
という台詞を聞いてしまうだろう。

そのとき、
落語家とお客さんは同じ空気を吸っていて、
全体が落語らしい風景になっているように思う。

きっと、それが「間」かな。

「おいおい、何言ってんだ、
落語なんてなあ、
台詞をキチンと語りゃあいいんだよ」

「いいや、それだけじゃ間抜けってんだ」

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