落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2010年1月4日月曜日

高座という舞台

落語はたいてい、1人が1人に話しかけます。
大勢が居たとしても、1人が1人に話しかける形で大勢と話します。
現代劇では1人が1人に話すとき、例えば、長椅子に列んで腰掛けているときなどは、顔を見ながら話さないという様子を時々見ます。さらには、背中合わせに近いような形で座っていたりもします。落語ではたいてい、「上下を切る」といって、相手の顔を見て話します。
なぜ、現代劇では顔を見ないで話す事があるのでしょう。
今夜はこの点を考えてみたいと思います。

まず、形から見てみましょう。
現代劇では互いに顔を見合わせれば、お客さんは横顔を見ることになり、表情が見えにくくなります。表情を見やすくするという点では落語も同じです。落語では上下の切り方を小さくして表情を見せるようにしています。つまり、形の上からは現代劇は二人、落語は一人という違いが顔の向きの違いになっているのです。
しかし、現代劇には背中合わせに近いような形で座ることもあります。ここにはなにか特有の意識が働いているように思います。表情を見やすくするというだけなら、なにもそこまでする必要はないと思うからです。

そこで、つぎに、機能から見てみましょう。
落語の上下を切ることは人物の切り替わりをハッキリと示すことや、場面転換を示すことです。現代劇において、顔を見ないで語ることは台詞の内容に注目して貰いたいときにも用いられます。そうではなくて、顔を見ながら、互いに見合って語っているのを傍から見ると、話している台詞の内容より、それに対しての相手の反応の方を意識していることに気づきます。
なるほど、落語では話しているときの相手の反応は見ようと思っても見えないのですから、相手の顔を見ながらの向かい合わせの形でも、お客さんに台詞の内容を注目して貰える訳です。

そうか、ここまで書いて気がついたことがあります。
それは顔を見ながら相対して話をしているのを傍から見るとき、話している本人よりも、話されている相手の反応の方を意識しているということです。次に来るだろう相手の反応を考えて相手を見てしまうからなのでしょう。
現代劇では時に、背中を見せたり、うずくまったりして、顔を隠した相手に話しかける様子が見られます。これなども、見ているお客さんにそのような考えを引き起こさせる効果があると思われます。

では、落語の中で相手が背中を見せたり、うずくまったりして、顔を隠した相手に話しかけるようにするにはどうしたら良いのでしょうか。これができれば、もっと台詞を際立たせることができます。

うーん、では、夢の中で一緒に考えてみましょう、それでは、おやすみなさい。

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