落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2010年1月5日火曜日

高座という舞台の2

野球を見ていると、ピッチャーが投げると、それに対応するバッターに意識が移ります。
投げた後ピッチャーがどんな顔をしているかなんて、考えたこともありません。
これが、真っ暗な海に向かって石を投げているとしたならどうでしょう。投げた後に、なぜ石を投げているのかなと、表情を見てしまうのではないでしょうか。

落語ではピッチャーが構えてから投げるまでを見せることはたやすいのですが、その間のバッターの動き、また、投げてからのピッチャーの表情を伝えることが難しい。

けれど、バッターを見ているのはピッチャーも見ているのです。ですから、バッターを見ているピッチャーを表現することでバッターを表現できるのではないでしょうか。

それを表現できれば、高座という舞台空間がより広くなっていくと思います。

前回の宿題、落語の中で相手が背中を見せたり、うずくまったりして、顔を隠した相手に話しかけるようにするにはどうしたら良いのか、にはそれを見ている者の目を通して見ていることを表現しつつ話しかけるということがその答えの一つではないかと思うのです。

互いに二者が向かい合っている落語から、互いに背を向けている落語に変えていける気がしてきました。

高座を大きく広く立体的な空間として作り上げていくためには、時々圓窓師匠がおっしゃるように「大切なのは目」なのでしょう。

その目が何をどう見ているのか、目そのものを使って表現することとその目を通して表現することが落語の舞台を構築する要点だと思います。

では、その目を通して表現していくとは、落語のなかで、どんなときにどのようにしたらよいのでしょうか。

うーん、では、夢の中で一緒に考えてくれますか、それでは、おやすみなさい。

2 件のコメント:

  1. 年も明けましたな。
    昨年から読んでいて思ったけどさぁ。
    真之介さん、ニコラスさんもなかなか楽しかったけよ。ただ、伝わってくる物の質が今やとは違ったとゆうかね。
    ここ最近は、思っている事やら日常が垣間見れていいねぇ。温かみを感じるとゆうかね。
    うれしい限り。
    あたしがこんな風に感じるのは、もしかすると真の落語ファンやらブログファンじゃなくなって、いつの間にやら「本当ファン」になっちゃったからかも知れないけどさぁ。
    言っちまったよ。照れるねぇ。
    新年特別リップサービスとゆう事で。

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  2. 新春、おめでとうございます。
    「本当ファン」ありがとうございます。
    「本当ファン」として名告って頂いた第一号です。
    たいへん光栄です、また、ファンが一人と言うことは、一つの世界に共にいる人が一人居るということですから、そう考えるだけで嬉しくなります。
    何処か旅行に行った後には、こんなだったよと話したくなるものです。じっとしていられなくて、喜びを伝えたくなります。
    今旅している落語という国は、新たな時間が新たな世界という不思議な国です。
    同じ人でも、同じ場所でも、同じ噺でも、
    不思議と落語は常に新しいんです。
    しかし、いつも嬉しいことばかりではありません。
    けれど、それすらも伝えられる人が一人居るという確信は、どれほど旅人の背中を押してくれているのかと、
    実は今、ジワッと感じています。
    では、「半分垢」の稽古をします。

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