「ご隠居、たいへんです」
「ん、どうした真之介」
「いや、なに、このあいだ山へいきましたらね、
大きなイノシシが出て、
こっちに走ってきたんですよ。
拙者はあわてて、かけてきたイノシシのツノを、
つかみましてね」
「おいおい、真之介、
バカなことをいうんもんじゃないよ。
イノシシに、ツノなんか、あるものかね」
「あ、いや、実は、ハネをつかみまして」
「またまた、バカなことをいう。
ハネなんか、どこにあるんだ」
「あーっ。そ、そ、それなら、あの、
どこをつかみましょう」
「まったく、ホラを吹くならもう少しうまく吹きなさい」
「いゃあ、まいりました、さすがご隠居だなあ、
でも、もう少しって、ご隠居、
どうやったらもう少しうまくなれるんですか」
「ははは、そりゃかんたんだ、ホラ茶だよ。
ホラ茶を飲みゃあいい」
「えっ、ホラ茶ですか」
「そうだ、これだ、飲んでみるかい」
「ええ、じゃ、ひとつ、
あっ、あらら、こぼしちゃった、
あーあ、すいません、畳汚しちゃいました、
でも、このホラ茶ってなんです、
聞いたことあ無いなあ」
「真之介が知らないのも無理はない、
ホラの木といって、西国の珍しい木だ、
その葉を煎じて飲むと、
それはそれはうまいホラが吹けるぞ、
ここにその木の種がある、
どうだ、持ってって育ててみるか」
「おっと、あぶねぇ、また、
まんまとご隠居のホラに引っかかるところだった、
ね、そいつぁホラでしょ、
だってそうでしょ、
ホラだもの、根も葉もないはずですよ」
「おぅ、真之介もやるじゃないか、
そのとおりだ、
そもそもホラとはな、法螺貝のことだ。
山伏が使うもので、見た目以上に大きな音が出る。
法螺貝は大きな音がするけれど、
中身が何もなく空っぽだから、
中身のない話や大袈裟なことを言うのを
「法螺を吹く」と言うようになり、
「ほら吹き」と呼ぶようになったな」
「へぇ、じゃ、てことは、
その貝を吹きゃあいいんですね」
「まあ、そういうことだが、ここにはないぞ」
「もう、それじゃあ、
せっかく来たのに『かい』がねえや」
「いいや、貝はなくても吹くことはできるぞ」
「貝がないのに何を吹くんですか」
「畳だよ」
2010年2月10日水曜日
数え方
「真之介、日本語は難しいな」
「そうでもあるまい、ニコラスは十分達者だぞ」
「そう言われると照れるなぁ、しかしだ、どうして日本語というものはいちいち物を数えるときに、後ろに言葉を付けるのかのう、面倒でかなわん、みんな違うからなあ、木は一本二本、本は一冊二冊だからな」
「おぼえたのかニコラス」
「まあな、試しになんか訊いてもいいぞ」
「よしっ、では、子犬はなんと数える」
「はは、やさしいぞ、一匹二匹だ」
「うむ、ではウサギはどうだ」
「へへん、そう来ると思ったぜ真之介、一羽二羽だ」
「やるなニコラス、じゃぁ馬は、ン、なんと数える」
「一着二着」
「そうでもあるまい、ニコラスは十分達者だぞ」
「そう言われると照れるなぁ、しかしだ、どうして日本語というものはいちいち物を数えるときに、後ろに言葉を付けるのかのう、面倒でかなわん、みんな違うからなあ、木は一本二本、本は一冊二冊だからな」
「おぼえたのかニコラス」
「まあな、試しになんか訊いてもいいぞ」
「よしっ、では、子犬はなんと数える」
「はは、やさしいぞ、一匹二匹だ」
「うむ、ではウサギはどうだ」
「へへん、そう来ると思ったぜ真之介、一羽二羽だ」
「やるなニコラス、じゃぁ馬は、ン、なんと数える」
「一着二着」
2010年2月9日火曜日
明烏の梅干し
古典落語が描く「時分」とは、ほっとする「時分」である。
いや、元禄、文化、明治とそりゃぁ色々と、そこにはそれなりの不安要素があったはずだ。しかし、そんな不安要素など忘れられてしまっている中で話しは描かれる。
一月に父を癌で亡くした事もあって、病について考える日々があった。そんな中で、病を忘れる事が病と共に生きる事だと知った。忘れながら生きることは、気にしながら生きることより遙かに難しいのだが。父は死ぬまで生きていた。
「明烏」、この話をしていると、大きな不安から離れた所にいる人々の、ささやかな不安に安心する。 そんな人たちの傍らにいる事で、ちよっといい気分になる。
話が終わると、もちろん現実に引き戻されるのだが、気分は大きな不安から離れた人たちのそれだ。しかも、どうやら、ボクは時次郎じゃなくって、太助の気分になっている。梅干しに砂糖を付けて食べてみるかな。
ボクは北海道生まれ。北海道では茹でたジャガイモに砂糖を付けて食べたり、納豆に砂糖を入れたりと、砂糖には馴染んでいる。だが、いままで梅干しに砂糖を付けて食べたことはない。志ん朝さんの太助が食べた梅干しがどんな梅干しなのか。やはり、口がキューッと小さくなるような、しょっぱい梅干しではないかと思う。
いや、元禄、文化、明治とそりゃぁ色々と、そこにはそれなりの不安要素があったはずだ。しかし、そんな不安要素など忘れられてしまっている中で話しは描かれる。
一月に父を癌で亡くした事もあって、病について考える日々があった。そんな中で、病を忘れる事が病と共に生きる事だと知った。忘れながら生きることは、気にしながら生きることより遙かに難しいのだが。父は死ぬまで生きていた。
「明烏」、この話をしていると、大きな不安から離れた所にいる人々の、ささやかな不安に安心する。 そんな人たちの傍らにいる事で、ちよっといい気分になる。
話が終わると、もちろん現実に引き戻されるのだが、気分は大きな不安から離れた人たちのそれだ。しかも、どうやら、ボクは時次郎じゃなくって、太助の気分になっている。梅干しに砂糖を付けて食べてみるかな。
ボクは北海道生まれ。北海道では茹でたジャガイモに砂糖を付けて食べたり、納豆に砂糖を入れたりと、砂糖には馴染んでいる。だが、いままで梅干しに砂糖を付けて食べたことはない。志ん朝さんの太助が食べた梅干しがどんな梅干しなのか。やはり、口がキューッと小さくなるような、しょっぱい梅干しではないかと思う。
2010年2月3日水曜日
節分
★今日の創作小咄#71
「よかったよかった」
「ん、なんだい、なにかいいことあったのかい」
「おおよ、株だよ株、正月から任天堂もソニーも、
上がってさ、軽く含み損クリア、ちょいと儲かったところで売ったんだ、やっぱり去年は厄年だったからなあ、厄が明けたんだよ。ん、でね、先週トヨタが下がったからさ、えへっ、買っちゃったよ。」
「ふぅーん、厄が明けたんだ。
あれっ、まてよ、今日は節分だろ、
厄が明けるのって、今日じゃないのか。
旧暦だもの。
先週買ったって、
そりゃ、まだ厄、明けてないよ。」
「えーっ」
★今日の創作小咄#72
「とうちゃん、豆まきしてよ」
「ああ、わかったわかった、
じゃ庭でやらなきゃ、そと出な、そと」
「寒いよ、家ン中でやろうよう」
「だめだめ、お庭はそとだぞ」
「よかったよかった」
「ん、なんだい、なにかいいことあったのかい」
「おおよ、株だよ株、正月から任天堂もソニーも、
上がってさ、軽く含み損クリア、ちょいと儲かったところで売ったんだ、やっぱり去年は厄年だったからなあ、厄が明けたんだよ。ん、でね、先週トヨタが下がったからさ、えへっ、買っちゃったよ。」
「ふぅーん、厄が明けたんだ。
あれっ、まてよ、今日は節分だろ、
厄が明けるのって、今日じゃないのか。
旧暦だもの。
先週買ったって、
そりゃ、まだ厄、明けてないよ。」
「えーっ」
★今日の創作小咄#72
「とうちゃん、豆まきしてよ」
「ああ、わかったわかった、
じゃ庭でやらなきゃ、そと出な、そと」
「寒いよ、家ン中でやろうよう」
「だめだめ、お庭はそとだぞ」
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