落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2014年1月31日金曜日

MATIKIA 2

コレクション No.2 「(ハート)(ハート)(ハート)

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2014年1月29日水曜日

MATIKIA


暇に任せてiphoneでこんなものを作りました。
勝手にブランド立ち上げゴッコです。

コレクション No.1 「有給くれ!」

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2014年1月28日火曜日

見るたびに似てるって思っちゃう



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2014年1月26日日曜日

きなこ餅に黒蜜

もう、ただただ美味しい。
電子レンジで50秒、お湯につけて、きな粉をまぶして、黒蜜をひとたらし。温かいお茶と一緒に召し上がれ。

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2014年1月25日土曜日

これから来るものはそれらと何の関係もなくやってくるからね

深夜、
「大きな道に出たらタクシーを捕まえるぞ。
おっと、一台空車が来るぞ。」
その後ろからも続いて空車が来ているので、軽い気持ちで最初の一台をやり過ごすと、

「えーっ」
通り過ぎていくそのタクシーの後ろのフェンダーに「深夜割り増しなし」の文字。
「あーっ、しまった、これにするんだった」と見送ると、
リアガラスの下にさっきの3倍もの大きさで「深夜割り増しなし」の文字。
「えっ、えーっ」

あれっ、そのタクシー、前には何にも表示がないよ。「深夜割り増しなし」の文字は車体の後部ドアのさらに後ろ、通り過ぎて初めて気づくところにあるのはなぜ?「残念でしたね~」ってこと。しかも、さらに後ろに追い打ちをかけるように3倍もの大きさで「深夜割り増しなし」の文字、「ねーっ、残念だったねー、さよならー」ってこと。ですか。

いやいやそうじゃない、もしかすると、そのタクシーを止めて、さあ乗り込もうとした時に初めて気づくから、「おお、ラッキー」と、その喜びを最大限に引き上げようとした心憎い演出。ですか。

ね、過ぎていったタクシーはどうでもいいのだから、後ろに書かなくていいと思います。これからやって来るタクシーにわかるようにしてほしいです。深夜のことなのだから、文字で書くより、行燈の横に青いランプを点けるとかしてほしいと思います。

三台「深夜割り増しなし」が過ぎ去れば次は必ず「深夜割り増しなし」が来るとかなら、後ろに書いてもいいでしょう。けれど、過ぎ去ったものはこれから来るものに何も影響しないのです。過ぎ去ったもの達の積み重ねの上にこれから来るものがあるのではない、これから来るものはそれらと何の関係もなくやってくるのですから。

けれど、いつのまにか、町内をぐるっと回って、戻ってくるかもしれません。その時は、ためらわず「はーい☆タクシー」と全力で捕まえますよ。

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2014年1月24日金曜日

見上げれば明るく開かれているからね


道東の海辺では日中青空の下、海から霧が押し寄せてくることがあります。釧路の近くで暮らしていた学生の頃、そんな霧に包まれながら歩いていたときのことです。足下が半径1メートルほどにスポットライトを当てられたかのように明るくなっていることに気づきました。おやっ、と思って見上げると、ちょうどその大きさで、頭の上が丸くぽっかりと開けて、空が見えています。その縁はさらに明るく白く、天使の輪のようになっています。


モルジブでダイビングしたときのことです。魚の群れの中に入ってしまいました。無数の魚が目の前を高速に回転します。壁のようです。不思議なことに一匹もぶつかりません。手を伸ばしてもその壁は手の形を避けるように滑らかに変形します。下を見ると魚の群れは半径1メートルほどの筒状に回転していることが判ります。おやっ、と思って見上げると、ちょうどその大きさで、頭の上が丸くぽっかりと開けて、海面が見えています。海面は明るく白く、天国の入り口のようになっています。

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2014年1月23日木曜日

吉田美奈子/夢で逢えたら 作詞 • 作曲:大瀧詠一


昭和51年に大瀧詠一さんが友人の吉田美奈子さんに贈った曲です。
大瀧詠一さんが初めて女性に書いた曲です。

夢でもし逢えたら素敵な事ね
あなたに逢えるまで眠り続けたい
あなたは私から遠く離れているけど
逢いたくなったらまぶたを閉じるの

名曲です。
亡くなられてから、ずいぶんと聴いています。

この曲が都々逸や落語を背景にして作られていたと、萩原健太さんが語っています。



去年は思い出深い一年でした。
楽しいことがたくさんたくさんありました。
思い出の一年間をまた思い出したくてここに記します。



第29回志ん諒の会チラシ



第27回志ん諒の会プログラム


2014年1月20日月曜日

2014年1月16日木曜日

スタンプ

iPhoneでLINEしています。
これが思いの外楽しいのです。
それはスタンプの自作です。
正確にはスタンプじゃなくスタンプモドキなのですが。
LINEでのメッセージも、いちいちスタンプにしてしまいます。
LINEの着せ替えという機能でシンプルを選ぶとほぼ既成のスタンプに近いものになります。


いつでもどこでも手のひらの中でフォトショップできちゃうわけですからね、楽しすぎますね。


2014年1月7日火曜日

素人の本質って

次回1月19日の志ん諒の会では「寝床」をやります。
素人芸が迷惑を掛けまくるという話です。
実に耳が痛い話で、とても他人事とは思えません。

「なんだよあの師匠はうるさいねー、どこが悪いそこが悪いなんて、そらこっちあ素人だよ、いきなり上手くできるわけねーじゃねーか、ほんとーにうるさいんだから、明日から断んなー」
とプロの師匠を破門にしちゃう弟子の旦那の話がでてきます。

上手い下手は好みの問題としても、こと落語ではプロの落語家と素人の落語家とでは明らかに違うようです。それは、きっと、芸や話を大切にする姿勢の違いかもしれず、また、芸や話を愛する姿勢の違いかもしれない、なぁ。なんてなことを言うと、「あたりまえだ、プロは真剣だ、生活がかかってるんだ、素人は所詮遊び、道楽なんだよ。」と言う声をよく耳にします。

たしかに、それは一面の真理かもしれません、しかし、男女の付き合いのように「真剣だから大事にしている、遊びだから大事にしていない」ということにはならないと思うのです。

ちょっと思い描いてみて下さい。今、それぞれお客を乗せて、タクシーと自家用車が同じ道を走っています。どちらもお客を乗せて運転していると言う意味では同じ運転手です。では、どちらが乗っている車を大切にしているでしょうか。ゆるふわに考えれば、おそらく多くの人が自家用車の運転手の方が「自分の車だもの、そりゃあ大切にしているよ」、と考えるでしょう。また、それはお客に対しても同様に、「自家用車だもの、そりゃあお客を大切にしているよ」、と考ると思います。

ここで、運転手を落語家、車やお客を芸や話に置き換えてみます。すると思うのは、「素人だから芸を大切にできるのかな」、とか、「素人だからこそやれる芸があるのかな」、とか、とか。

タクシーの運転を見て学んだことはたくさんあります。バイクが前に出てこないように停止線をまたいで止まるとか、車線変更しやすいように車線をはみ出して走って、後ろから追い越されないようにするとか、合流で前に入られないように斜め前に詰めて走るとか、とか。信号を上手くかわすような抜け道の走り方とか、混雑する道を避ける道の走り方とか、とか。

プロに学ぶ事は貴重なことです。けれど、道を走って目的地に着くという本質は同じです。だったら、今。利益を追いかけるプロの走りよりも、走りそのものの美しさを追いかける走りをしたいと思うんです。そして、走り疲れたら、そっとワックスで磨いて、車そのものを愛したいと思うんです。


2014年1月1日水曜日

あけましておめでとうございます。

初日の出を見たい気持ちでいますが、日の出は6時51分です。
まだ1時間あります。

昨日と、おそらくは明日とほぼ変わらない日の出だとしても、初日の出を見たいと思います。

なぜなら、初日の光と一緒に未来がやって来るような気がするからです。

文字通り輝く未来がやって来るような、いや、輝く未来に照らされるような。

失意の時、失ったかもしれない未来が、いやあるんだという実感を感じます。

初日の出の前に立つと、冷たい風の中、光に包まれたからと言って暖かいわけではないのに、初日の出は体の中の何かを燃やすのでしょうか、寒いというつぶやきにも意味がなくなります。

「さようならはまた会うまでの遠い約束」という歌の文句があります。今年も約束を守ってやって来てくれた初日の出。きっと誰もがその光に「こんにちは」をして、そして、「ありがとう」をします。そう、初日の出は無心にありがたいものだからです。

そう、「さようなら」と「こんにちは」と「ありがとう」とは同じことなんだと初日の出は教えます。

そう、失意と希望とは同じことなんだと。