落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2012年2月29日水曜日

テレビが古いから壊れたんだなとずっと思っていたら、まさかアメリがアンテナを壊していたなんて


雪かきをした。
北海道なら樹脂製の赤い大きな「雪かき棒」があるのだが。
デッキブラシでゴシゴシした。
ゆっくりと動いている車、そろそろと歩く人
降る雪のフワフワとしたリズムに、
のんびり。ゆったり。
いつもの忙しさが雪の湿った空気に浸って溶けたかな。

佐川急便のお兄さんが歩いてる。


2012年2月25日土曜日

塩昆布のスープに梅干し


「北海道の美しい景色を紹介するコーナー」の5回目。

今日は帯広空港からの道。

北海道、千歳に飛行機で行こうとすると、冬には時として天候悪化で千歳に降りられずに、旭川空港や帯広空港に降りてしまうことがある。

「あーぁ」と「さぁ、これからさらに大変だ」という気持ちで、車窓から見た景色だからそんなふうに見えたのかもしれないが、なんとも荒涼としてひたすら静かな景色だった。それは、帯広空港からの道、どこまでも見える限り、山谷の起伏に沿って真っ直ぐ。

北海道には真っ直ぐな道はよくあるけれど、この道は大きく波打つ起伏の上の真っ直ぐな道で。

なんとなく、「いろいろあるけどとにかく行くぞ」といった感じの道だ。

車の後ろにキラキラと舞い上がる雪煙の中にすっと伸びていく一本の真っ直ぐな道。
自分が走っているというより、道がどんどん伸びて行っているように感じる不思議な景色だ。


2012年2月23日木曜日

耳を両手で押さえるとゴーゴーとウルサイのはなぜ


「そりゃぁないだろう」と思わず呟くようなことがあってこそ、おかしみが湧き上がる。
「心の平衡」が崩れる、いや、やや傾く程度でも、それを戻そうとして「笑い」が生まれる。

「調和」を揺らすこと、これが落語の特徴だ。
そして、「笑い」で「調和」に戻したらまたすぐに揺らす、その振幅は話が進むほどに大きくなる。

その方法は落語家百人百様だ。ただその百人の大半が揺らすことばかりに気をとられ、肝心の「調和」を作ることに注意を向けないのはなんとも悲しい。

映画「スナイパー」原題「The Contract」を観た。主演のモーガンフリーマンは殺し屋だが、「調和」を湛えた殺し屋だ。モーガンフリーマンの最後の台詞を聞いたとき、思わず微笑まずにはいられなかったのは、それまで1時間半もかけて築き上げた殺し屋の「調和」から大きく傾いた事を知ったからだ。
(宗教から離れた視点から観ても)

モーガンフリーマンが落語をやることはないと思うが、全身で表す「人間性」には感心するばかり、おそらく落語をやってもすばらしいと思う。


2012年2月21日火曜日

いままで志ん諒の会においでいただきました皆様に、第7回志ん諒の会のご案内ハガキを発送いたしました。よろしくお願いいたします。



ヒトには意識として感じない臭いをヒトは「無意識に感じている」のだそうだ。
そして、その臭いには明らかに好みがあるという。
男性と比べて女性の方が臭いに敏感なように思う。

臭いは微粒子、その正体は化学物質だ。

それが生物由来のモノなら、何かの行動のリリーサーになっている可能性がある。

映画とかでヒトメボレのシーンは、写真を見てヒトメボレをするなんてシーンはまずない。抱き起こしたり、倒れるところを抱きとめたり、唐突にぶつかったりと、たいていは身体の接触があってヒトメボレする。

もしかして、ヒトメボレの秘密はその「無意識に感じている臭い」にあるのかもしれない。


2012年2月20日月曜日

ひっくり返せないプリンなんて


そもそも古くから男性は外敵から女性を守る役目だった。その外敵が姿を見せなくなると、その役目に相応しいような男は不必要とばかりに目を背けられる。

現代において、女性の敵は遠く異国からの侵略者ではなく、協調すべき身近な者達である。それは例えば、上司であり、先生であり、親族であり、同僚であり、夫の前妻であり、彼のモトカノであり、親しい女友達等である。

これらは、撃退する敵ではなく、協調する敵である。
そこにはもう敵を殲滅して守るような存在としての男の居場所はない。
求められるのは、協調の中で疲弊した彼女たちを癒やし甦らせる男である。

「嵐」が作り出す「和み」と「笑顔」は現代の新たな男の理想を示しているのかも知れない。


2012年2月19日日曜日

新しい消しゴムの角


では女性にとっての男の理想とは何だろう。

まあ、それこそが宇宙がどんなモノなのかと同じ永遠の謎だ。

ただ、そこに月があることは解かるように、わずかだけれど理解できることはある。

ただ、その多様性は生物の種ほどあるようだ。

以前、「嵐」が国立競技場でコンサートをした。我が家の屋上からは国立競技場の聖火台の下の方の観客席までが見える。直線距離300メートル、歌声も歓声も届く。コンサートの時だけ設置された巨大なプラズマビジョンもハッキリ見える。「嵐」ファンで会員番号が70万番台、チケットが当選しなかった嵐難民のみなさんがここから見た。競技場の楕円形の縁から打ち上げられる花火や無数の風船など場内よりダイナミックな演出を体験できたと喜んでもらえた。
うーん、しかし、どうしてこんなに「嵐」は人気があるのか。

「嵐」は明らかに男の理想ではない。と思わずにはいられない。


熱いコーヒーに焼酎


男には望ましい男の姿がある。

西欧では騎士、アメリカではカウボーイ、マサイ族では戦士、そして日本では侍である。

しかし、これらはいずれも支配者ではなく従者である。なぜ、王様や牧場主や酋長や殿様ではないのか。

男の理想とは自らの満足ではなく、何者かの満足を得る事ということか。

「お馬先で討ち死に」、殿様の目の前で敵に切られる、これこそが武士の最も誇らしい事だとされていた。

そんな武士が「岸柳島」には出てくる。


落語を聞いてて寝ちゃっても不思議と落ちの前には目が醒める


目技とでも言おうか。
言葉を発しない芸。
落語のなかで、「ここ」というところで出す芸がある。

幾つもの複雑な感情を敢えて言葉を使わずに表現する。

「岸柳島」も「愛宕山」も、「ここ」という所を見せたい。