落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2009年12月25日金曜日

高座で演じられる落語を聴くとき、
お客さんとしての私は。

「お前さん」と
カカアが言うのを聴いたとしても、
お客さんとしての自分はカカアになって、
それを言っている気持ちにはなれない。

落語家の顔を見て、
そこにカカアが居るんだなという
気配を感じるにすぎない。
そして、その「お前さん」の
次なる対応を期待するくらいだ。

ただ、高座の上にはカカアが居て、
呼ばれている「お前さん」が
居ることは分かる。
つまり、
「お前さん」だけでは、
「お前さん」への興味は湧かないのだ。

ここで、もし、「お前さん」に興味が湧けば、
次に来るだろう「お前さん」の姿も
より鮮明に見えてくるかもしれない。

ためしに、
これを「お前さん、なんだよ」
と言ってみる。
すると、「お前さん」の気配が
ぐっと強くなるのが分かる。

落語の台詞はどうやら
日常の言葉とは違うようだ。
当たり前と言われるかもしれないが、
何処が違うのかと考えてみると、
どうやら、
お客さんに疑問を湧き起こす台詞が
落語らしい台詞の一つかもしれない。

お客さんは台詞を語らないが、
お客さんの台詞を意識して台詞を出す事が
落語の台詞なのかもしれない。

ここで、

「なんだよって、なんだよ」
というお客さんの聞こえない台詞を意識して、
「お前さん、なんだよ」の台詞を出せば、
そのあとには、
お客さんの「なんだよって、なんだよ」
という台詞を聞いてしまうだろう。

そのとき、
落語家とお客さんは同じ空気を吸っていて、
全体が落語らしい風景になっているように思う。

きっと、それが「間」かな。

「おいおい、何言ってんだ、
落語なんてなあ、
台詞をキチンと語りゃあいいんだよ」

「いいや、それだけじゃ間抜けってんだ」

2009年12月24日木曜日

お詫び

ずいぶんとご無沙汰してしまいまして、
申し訳ありません。

身の回りが急に忙しくなったことを理由に
甘えてしまいました。

とうとう、一行を京都からきちんと江戸に戻すことも
出来ずじまいになってしまいました。
そのお話はまた機会を見つけて
作ってみたいと思います。

今日はクリスマス・イブです。
私の家はお盆にはお寺さんで法事とか
近くの神社に初詣とかとかですから、
クリスマスに特別な意味はありませんが、
この日にはどこか暮れの忙しさの
クライマックスのようなイメージを抱いています。

ですから、明後日からは、
忙しい暮れとともに一年を終えて、
いよいよ新年を迎える支度に入るんだなと
いう感じがしています。
まあ、何かと気忙しいですが、
これもまたいいものですね。

今、千一亭本当は「芝浜」を稽古しています。
よく知られた暮れの噺です。
「芝浜」を演りながら、ふと思いました。

日本の良さを語るとき、
よく「四季」という言葉が出てきます。
中でもこの12月は
日本の暮れならではの文化が見られます。
それは新年を迎える文化です。
江戸の頃から、いえ、それよりずっと前から、
新しい年を迎えることは
日本人にとって大きな出来事だったのですね。
『日本人の心』というものがあるとしたなら、
それは、毎年、お正月を迎える度に
大切に育まれてきたに違いありません。

「芝浜」には、

その『日本人の心』そのものに、
直接触れているような、
心情を心情そのままに、
あたかも、心を共有しているかのような空間に
身を置いているような、
そんな不思議な感覚を呼び起こされます。

私は家の地下に、
千駄ヶ谷一丁目だからということで、
「千一亭」と名付けた部屋を作りました。
 先の12月19日には、
三遊亭圓窓師匠、三遊亭窓輝師匠
の落語会の会場になりました。
70人を越える笑顔が集まりました。

去年の今頃、この場所は、
このビル建築の資材置き場でした。
それが、たった一年で、
得難い落語会を開くまでになりました。
ここ「千一亭」がそんな空間になったのかと思うと、
ドキドキします。
これは夢かな、いえ、どうやら夢ではないようです。 
江戸の頃から、いえ、それよりずっと前から、
大切にされてきた年の瀬の有り様を
「芝浜」に感じながら、
皆様と一緒に新しい年を慶びたいと思います。

それでは、
一杯呑ませていただきます。
あ、
やっぱり止めときます。 

・・・

2009年12月15日火曜日

赤穂浪士を待ちながら

江戸の頃もきっとこんなふうに見つめられていたのでしょう




今日の創作小咄#70

歌川 国芳 誠忠義士聞書之内 討入本望之図




↓ PLAYで千一亭本当が「赤穂浪士を待ちながら」でご機嫌を伺います



「ご、ご隠居、今しがた赤穂の皆様、
本懐をとげられたと、
浪士達の隊列はほどなくここを通ります」

「なに、そうか、真之介」

「はい、通りは浪士達を一目見ようと、
それはそれはすごい人混みで、
ニコラスが場所取りをしております故、
いざいざ」

「おう、どれどれ、
ん、
なんだ、
もめておるぞ、
ニコラス、
どうした、
まあまあまあ、
まてまて、
双方とも
しばしまたれい、
これはこれは
御武家どの、
いや、
これは、
我が家中の者だが、
オランダ人ゆえ、
この隠居に免じて、
なにとぞ、
失礼はお許し願いたい」

「いや、
ささいなことであるが、
このものが、
拙者に向かって
『屁でもないわ』
と言いおっての、
カチーンときてしまったのだ、
ま、
しかし、
ご隠居殿がそう言ってくれるのであれば、
許そう、
コラ、気をつけろよ」

「なにおっ」

「こらこら、
いやいや、
これはこれはかたじけない、
では、我々は失礼して、
ささ、真之介、向こうへ参るぞ」

「なんだよ、
ニコラス、
あんなへなちょこ、
相手にするな」

「へん、ご隠居と真之介がもう少し
遅かったら、やっつけてたさ、
あんな奴、屁でもないわ」

「いいや、今度会ったら、
屁と思え」


今日の創作都々逸#98

(アーアヤンナッチャッタアーアオドロイタ)

禁煙するのは大変だけど
好きなサシミも美味しくなった
美味しくなったの数々あれど
一番美味いのタバコだよ 

(アーアヤンナッチャッタアーアオドロイタ)

2009年12月7日月曜日

京の大石内蔵助


江戸の頃もきっとこんなふうにねんねしていたのでしょう 



今日の創作小咄#69

歌川広重 京の四季 冬



↓ 音が出ます、千一亭本当が「京の大石内蔵助」を演じます


「ご隠居、ここでござるか」

「そうだ、真之介、
この門より入りて、すずっと奥に
大石殿は居られるはず。
ん、どうしたニコラス」

「門柱の陰に人が倒れておりますぞ」

「なに、それはいかん、どれ、
おっ、これは隠密ではないか、
な、真之介」

「はっ、確かに隠密、
これは、
死んで居るのではござらんか、ご隠居」

「死んで居るのであれば脈がないはず、
ニコラス、脈をとってみなさい」

「はい、ん、脈がない、
こいつは死んでるぞ、
あ、懐に密書が、ご隠居の小判もあるぞ。
おや、これは、これはなんだ、真之介」

「おっ、これは
四十七士の血判状ではないか、
まてよ、すると、この方は、
隠密などではなく、
赤穂浪士であったのか、ご隠居」

「いや、赤穂浪士ならば、
赤フンを締めているはず、真之介」

「なるほど、
浪士は赤フンを締めるものでござった」

「これこれ、いかがいたしたかな」

「おお、これはこれは大石殿、
お久しぶりでござる、
ちようどよかった、
この死体、浪士の方ではござらぬか」

「なに、うむ、面体に憶えはないが、
まこと浪士ならば
赤フンを締めているはずだが」

「あっ、ご隠居、死体が動いております」

「あーーーあ、良く寝、
わっ、」

「こらっ、まて、隠密、
あっ、またしても、
逃げ足の速い奴でござるな、ご隠居」

「おかしいではないか、
死んで居ったのだろう、ニコラス」

「はい、確かにこうやって、
真之介、手首を貸せ、
このように脈を採ったのでござる、
ん、真之介、おぬしも脈がないぞ、
死んで居るのか」

「そっちじゃない、脈は裏でとるのだ」

「何を言うか真之介、
表でよいのだ、大石殿ならご存じだ。
脈は表でとるものでござろう大石殿」

「いいや、それじゃシッペぇだ」


今日の創作都々逸#97

(アーアヤンナッチャッタアーアオドロイタ)

忘年会の帰りです
ガサツな奴と知ってたけれど
気持ち悪いと 部屋に泊めれば
四角い部屋に 丸く吐く

キチンと吐かれても困っちゃうけどね

(アーアヤンナッチャッタアーアオドロイタ)

2009年12月4日金曜日

季節の小咄

☆今日の創作小咄#66

「今年も暮れるね」

「やらねぇよ」


☆今日の創作小咄#67

「暮れも大晦日になると落ち着くよ」

「なにやってんだ、餅ならもっと早く搗いとけ」


☆今日の創作小咄#68

「おねぇちゃん、
その格好、
忘年会だからって
派手すぎないか」

「年忘れよ」

    

2009年12月1日火曜日

三条大橋の大作戦



江戸の頃もきっとこんなふうに見つめられていたのでしょう 

 


今日の創作小咄#65

歌川広重 東海道五十三次 京師三条大橋



↓ 音が出ます、千一亭本当が「三条大橋の大作戦」を演じます


「ご隠居、はらへりました」

「おお、そうだな真之介、
ここは鴨川、
名物の川床にでも参りたいところだが。
この三条大橋は東海道と中山道の終点、
旅の無事を祝いたいところ、
しかし、いまだ密書は隠密の手中だ、
のんびりと川床でもあるまい、
な、ニコラス」

「いえいえ、拙者に考えがあります、
すぐに川床で腹を満たせますぞ、
まあ、古典と言われる『すりかえ』の技でござるが、
相手は間抜けな隠密でござる、
まずは成功間違いなしと、
先刻、真之介と打ち合わせてあります、
後は隠密が通りかかるのを待つだけでござる、
な、真之介」

「ええ、拙者が、こうして、
頭巾をかぶって、泥棒の役になります、
そして、あ、そうそう、
ご隠居、金子を拝借したい、
見せ金でござる、二、三両もあれば十分、
あ、どうも、ではこれを手ぬぐいで包んでと、
で、こっちには
あらかじめ用意した
同じ手ぬぐいの包みがありまして、
いえ、中身は刀の鍔(つば)で。
これを密書とすり替えるのです。
手筈はこうです。
まず、拙者が慌てて逃げている風を装って
隠密前で転びます。
そこで、この小判の入った包みを
隠密の足下に落としますが、
それには気づかぬふりで、慌てて逃げ去ります。
そこに、ニコラスが駆け寄って、
な、ニコラス」

「さよう、拙者は、
取り逃がしたと残念がりながら、
その包みを拾うのですが、
『この金は上納金、
刻限までにゃ
河原町の親分に届けなきゃなんねぇ、
さっきの野郎は間違いなく鞍馬んとこのもんだ、
逃げられねぇうちに
ふんずかまえてなきゃなんねぇから、
悪いが、この金を河原町の親分に
届けてくれねぇか、
いゃ、ただとはいわねゃ、
ここに一分ある、これでたのまぁ』、
こう言われて断るやつぁいない、
そこで、
『おっと、大事なものはこう懐にしっかり入れるんだ、
落としちゃいけねぇからな、
そうだ、一つに纏めといた方がいい、
大事なもんがあったら出しな』、
というと、隠密は密書を出す、
それを小判と一緒に手ぬぐいで包んで、
ほら見ろ、こうしてなと言って、
自分の懐にいれたところで、
刀の鍔の包みとすり替えて渡しちゃう、
『頼んだよ』と言って逃げちゃう訳で。
どうでしょう、ご隠居」

「なるほど、今回は二人で考えたのだな、
どこかで聞いたことがあるような話だが、
実に良くできておるぞ。
ん、
ん、どうした、真之介」

「来ました、隠密です、ご隠居」

「そうか、よし、いけ、真之介」

「はっ」

「ご隠居、あいかわらず、
真之介は脚が早いですな、
あっ、上手く転びましたぞ、
いいところに包みを落としましたぞ、
では、拙者の出番です、
行ってきます」

「はっ、あっ、ちくしょう、
逃げ足の速い奴だ」

「どうされましたかな」

「泥棒です、逃げられちゃったけど、
慌て者だ、こんなところで転んで、
せっかく盗んだ包みを落としていくなんてね。
わるいね、拾って貰って、さ、さ、」

「えっ、いいえ、拾ってませんよ」


今日の創作都々逸#96

(アーアヤンナッチャッタアーアオドロイタ)
地図を読めない彼女だけれど
車庫入れ誘導まかせてと
オーライオーライバックで入れりゃ
ガツンとぶつかり ハイストップ
(アーアヤンナッチャッタアーアオドロイタ)