2010年11月3日水曜日
落語の喜び
映画「遭難フリーター」の
岩淵弘樹さんは
「仕事をした後に残るモノ、
それが生き甲斐かな」と言う。
ハッとした。
「仕事をした」を
閉じた状態と考えると、
「生き甲斐」はそこから開いてくる
ものなのかも。
この岩淵さんの言葉の
「残る」を
「生まれてくる」に
置き換えてみると、
「後に生まれてくるモノ、
それが生き甲斐」
たしかに、
治療の後に残る
なにかしら
フワッと温かいものは、
患者さんを送り出して、
静かに息を吐くときに感じるモノ。
そして、
落語を話した後にも、
同じように
フワッと温かいものが。
それが岩淵さんの言葉を借りて、
「生き甲斐」だとすれば、
なるほど、
だから、
毎日毎日、
稽古をしても、
楽しいのかな。
高校時代は陸上部だった、
大学ではボート部のかたわら、
オリエンテーリング同好会を作って、
野山を駆けた。
その中で思った。
走る楽しみは、
走った後にしみじみと
湧いてくるモノのようだと。
だから、
落語の喜びは
もしかすると、
落語の後にあるのかも。
と思いつつ、
おやすみなさい。
ごめんなさい、
昨日の続きは
また明日にね。
2010年11月2日火曜日
落語と建築
家は屋根や壁と言ったモノで
作られている。
それは雨風から守るモノ。
他の多くの機能を考えなくても、
屋根や壁だけで、
家と言える。
つまり家とは
外界から離れた空間を作る。
一方で、
家は
「大地から立ち上がる」
モノである。
それは、
写真のように、
大地という自然に抱かれるように
在ることで、
家はヒトと自然とを繋いでいる。
つまり、
外界と接する空間を作る。
落語が建築に近いと思うのは
この両方の点である。
「外界から離れた空間を作る」
「外界と接する空間を作る」
の
「外界」を「常識」に置き換えてみよう。
すなわち、
「常識から離れた空間を作る」
「常識と接する空間を作る」
となる。
これが落語が作る空間の在りようだと思う。
では
それは、
というのは
明日に。
作られている。
それは雨風から守るモノ。
他の多くの機能を考えなくても、
屋根や壁だけで、
家と言える。
つまり家とは
外界から離れた空間を作る。
一方で、
家は
「大地から立ち上がる」
モノである。
それは、
![]() |
| 以前、カマクラを作ったことあったけど、これはすごい!!! |
![]() |
| 世界遺産のアメリカ最古の集落、タオス・プエブロ |
写真のように、
大地という自然に抱かれるように
在ることで、
家はヒトと自然とを繋いでいる。
つまり、
外界と接する空間を作る。
落語が建築に近いと思うのは
この両方の点である。
「外界から離れた空間を作る」
「外界と接する空間を作る」
の
「外界」を「常識」に置き換えてみよう。
すなわち、
「常識から離れた空間を作る」
「常識と接する空間を作る」
となる。
これが落語が作る空間の在りようだと思う。
では
それは、
というのは
明日に。
2010年11月1日月曜日
お客さんと演者との間に
| 黒い四角がアイカメラで捉えたアイマーク(注目している場所) |
神戸大学大学院総合人間科学研究科
コミュニケーション科学専攻
応用コミュニケーション論講座の
阪田真己子先生は論文、
「身体表現における感性情報の認知に関する研究」
において、
その86頁で
「身体表現から感性情報を読み取る際の観察者は
身体周辺の感性的な空間を
能動的に見いだしているのではないか」
と言っている。
落語でも、
ボク自身、お客さんとして演者を離れて、
空間を味わっている時がある。
この論文の中で、
「身体の延長線上」と示された空間が、
まさしく、
落語では、「落語の空間」なのではないか。
お客さんと演者との間に存在するモノとは
そんな「空間」のようなモノだ。
それはアイカメラで捉えることの出来ない、
「心の空間」とでも言えばよいか、
落語が両者の心に描き出す世界空間のこと。
その空間を通して両者は繋がるのだ。
だから、
落語を話すとは
空間を作り出すことにほかならない。
まさに落語は建築に近いことがわかる。
また、そう考えると、
落語が形をなして見えてくる。
落語がどう建築に近いのか、
それはまた明日。
2010年10月31日日曜日
落語の「心」
誰かにくすぐられると
笑ってしまう。
でも、
同じように自分でくすぐっても
平気だ。
なにが違うのか。
皮膚への刺激がほぼ同じだと
仮定すると、
違うのは刺激に対する
精神状態である。
それは
思うに、
予測とは違う刺激が
生じることで、
精神の平衡が揺らぎ、
それを戻そうとする反応として、
笑うのではないか、な。
ボクは北海道生まれなので、
雪道でよく転んだ。
いや、これでは北海道生まれだと
転ぶみたいなことになってしまい、
はなはだ北海道生まれの方に失礼であるので。
そうではなくて、
北海道の冬の道路は、
凍結といって、
雪道という名の氷の道なのだ。
その氷の上に薄く雪が積もると、
そりゃあもう、
滑って転んで下さいという道になる。
で、実によく転んだ。
それも、何の予告もなく、
いきなり転ぶのだ。
予告なくというのは
スノーボードをやられている方なら
ご理解いただけると思うが、
緩斜面で、逆エッジをとられて転ぶ時の
タイミングなのだ。
これはもう、
痛いと言うより可笑しくて。
だから、必ず、
起き上がりながら、
着いた雪を払いながら、
笑ってしまう。
これはボクだけじゃないのだ。
ボクが見た数多くの転倒者が、
皆同じく笑った。
この笑いは何かと考えると、
これは
先の平衡を戻すための笑い
なのではないかと思える。
そこで
落語の「心」がどこにあるか
という問題だ。
どうやら
この平衡を崩すところに、
落語の「心」があるような
気がしてならない。
すると、
その平衡とはお客さんの精神のことであるし、
崩すのは落語家であるわけだから。
落語の「心」は両者の間に存在するモノとなる。
そのモノとは。
実はそれは
一言で言えるモノかもしれない、
それは、
また明日に。
2010年10月30日土曜日
以心伝心
「以心伝心」
テレパシーがあれば
それこそ、
以前、外国であったという、
麻薬を入れた料理のように、
恐ろしいほど魅惑的な落語ができるだろう。
しかし残念なことに
ボクは
ヨーロッパ企画の『曲がれ!スプーン』のような
エスパーではないのだ。
寄席に行ってもそんな経験が出来ないことからも
落語家にエスパーはいないのかもしれない。
いや、エスパーは落語はしない、
というより、する必要がない、
笑わらわせたけりゃ、
心を直接くすぐればいいのだから、
ん、
それってどんな感じだろうか。
![]() |
| 右から2番目のマッシュルームの方がテレパシーをなさいます |
「以心伝心」
非言語コミュニケーションの三回目は
「音」。
落語の音の要素は
呼吸、声、リズム、テンポ、
擬音、などの口からのモノ。
足で打つ、膝を手で打つ、手をつく、手を叩く、
扇で叩く、などの身体からのモノ。
お囃子さんなどの外部からのモノ。
と様々、
もちろんひとつひとつ考える必要があるが、
それはちょいと置いておいて、
まず、
これらすべてが
「どのようにして伝えるか」の工夫にすぎない
ことに気をつけたい。
それは、前述の「表情」と「動き」も同様であるが、
それら以上に、周辺の要素である。
しかし、実は周辺だからこそ
「芸」というものを形作る大切なモノだ。
それは
デコレーションケーキに
飾られている砂糖菓子の様なモノ。
美味しさの本質は
スポンジであり、クリームである。
しかし、その飾りの見事さに、
作り上げた職人への
感服の気持ちが生まれるというもの。
だが、
ケーキの勝負は
あくまでケーキ生地であるはずだ。
「以心伝心」
ケーキ職人の「心」が
ケーキ生地にあるとするならば、
落語の「心」はどこにあるのだろう。
それはまた明日。
2010年10月29日金曜日
日本テレビ麹家落語塾 10.28
「替り目」の後半と
「豆屋」をやりました。
豆屋の売り声がいいということで、
やはり高い声が天井に広がると
注意を喚起できるようです。
ボクの下の写真はその
豆屋の売り声を出しているところです。
「まめやー、まめ」
いつものように
居酒屋チムニーで
ビール、酎ハイ、酎ハイで
できあがりました。
寛太さんが
「中国じゃ、乾杯は
一気に呑み干すんだよ」
とちゅうごくしてました。
あらら、酔ってます、ね。
ではまた明日。
おやすみなさい。
2010年10月28日木曜日
次にくるもの
![]() |
| ① ② ③ ④ |
人にちょいとナンか
言われるってえと
すぐにその気に
なっちゃうんだから
ね -①
よく
お前さんね
考えなきゃ -②
だめだょ -③
-④
」
古今亭志ん朝さんの火焔太鼓の一場面です。
なにかの演劇の本に
「台詞とは心の動きを形として見せるもの」
とありました。
表情も同じです。
そして、表情の次に来るもの、
まあ、大仰に言い過ぎましたが、
所作です。
ただ、なぜ「次にくるもの」なのかは
写真の①から④を見て下さい。
「だめだょ」の所作の、
手を振り下ろす動きは、
③の「だめだょ」を言い終わってからの
「ょ」の後の
④で発動しています。
普通の日常での会話なら
③の「だめだょ」と同時に。
最初の「だ」の音で
手を振り下ろし始めるでしょう。
なぜ台詞、表情に遅れて
手の動きを
発動したのでしょう 。
それは
もちろん
動きをしっかり見せるために
ほかなりませんが、
そこには、
周到な配慮があると思うのです。
それは
そこで見せるものが
前述の「心の動き」ということですから、
あえて、
所作を遅れさせることで
台詞と表情とが
遅れてくる所作の上にのるように。
そして、
お客さんに意識してもらうように。
すなわち、
まさに、
心の動きを形にしようという
配慮だと思うのです。
この所作の微妙なタイムラグは
日本舞踊の頭の動きにも似て、
心情の表出として、
実に、
重要な技術だと思います。
さて、二回にわたって
落語における
非言語表現を見てきたわけですが、
次回は残るもうひとつの
非言語表現を取り上げたいと思います。
あ、明日は麹屋の日なので、
その写真とかとかになると思いますので。
ということで、
つづきは明後日に。
2010年10月27日水曜日
簡単かもしれない方法
![]() |
| ① ② ③ ④ |
「おめえのおもちゃに →②
買ってきたんじゃないよ →③
→④
本当に
ばかやろう」
以上は古今亭志ん朝さんの「火焔太鼓」の
一場面。
この写真の②③は台詞。
④は間。
ここは怒りの感情を出すところです。
それを表情に表して、
お客さんがその表情をくみとるのは
④の間のところ。
つまり、相手の言葉を受けて、
替わった人物の台詞の
すぐ後に来る間で、
表情を作っているのです。
簡単かもしれないと言ったのは、
台詞は台詞、
表情は表情と
意識していればいいということです。
ゴルフでも、
フォロースルーの練習をします。
玉を打ったあとなんだから、
別にどうでもいいじゃないかと思っていると、
実はそこにこそ
スイングの要点があるように、
後から来る表情を意識することは
らしい台詞まわしを生むことに
大切なもののようです。
写真の①から②に移るときのように、
テンポを大切にして、
人物の切り替えで
とっさに
イメージしている表情を
作ることが難しくても、
でも、
大丈夫なんです。
すぐ次にに来る
写真の④の時間に、
その人物の気持ちを、
しっかりと
表情に出せばいいんですから。
ね、
気分は志ん朝さんになってきました、でしょ。
草野球でバットを振るときだって、
気分は大リーガーという思い、
それが楽しいことなんだと思っています。
さて、
それでは
そんな「表情」の次に来るものはというと、
え、
それは明日に、
ということで。
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