落語草 (千一亭志ん諒 落語ブログ)

2012年2月5日日曜日

タモリクラブもずいぶん品良くなったなと思ったらブラタモリだった


雑誌「ニュートン」を読んだ。タイムマシンの特集だ。時間旅行は可能か、過去を変えると現在も変わるのか、多元世界の可能性はといった話題だ。

先日、城山三郎さんが妻を亡くして、ある人から見れば「腑抜け」てしまったと見られる様子を見たが、もし過去に行くことができたら、城山さんはどうなっただろうと思った。

光より早い素粒子が発見されているそうだ。本には書いていないが、たとえ過去に行くことはできなくとも、過去と交信することは可能になるかもしれない。もし、亡くなった人と話ができたら、たとえそれが多元世界の人であったとしても、有難いことだろう。

過去は人を癒す力を持っている。

今はまだ多元世界の過去と交信することはできないが、この世界の過去、自分の中の過去の人と交信することは可能だ。

なんだ、自分世界では何時でも時間旅行が出来るじゃないか。ただ、それが何時でも一人旅なのが残念だが。


2012年2月4日土曜日

エレベーターで「閉」の字を何度も押している人


「こんな料理を作っちゃいましたのコーナー」の7回目。

今日は「えびしんじょう」。

用意するモノ、むきえび、はんぺん、卵。

エビは細かく切り、はんぺんと卵でまぜまぜにして、
スプーンですくって、フライパンに少し油をしいて、かけ油しながら焼き揚げる。こんがり焼き色が付いたら出来上がり。

ショウガをタップリのせて召し上がれ。



さあ、豆蒔くぞ、みんな外の庭に出ろ、えっ、なんでって、おにわはそとだろ


少し前に書いたことだが、母は有り難い。立派だ。いや、それは母ばかりではない、母性を持つモノ全ては有り難い。すなわち、女性はまさに有り難く、女性はそれだけで立派である。

だから、もしかすると、女性が落語をやるとつまらなくなる原因はそこにあるのかもしれない。

そりゃ、立派だなと思ったら、とても笑うなんて畏れ多いことだ。
いや、これは嫌みではない。キチントしていればいるほど、その人を前にして、笑っては失礼という構えが出来てしまう。

人は丁寧に挨拶されると、反射的に丁寧に挨拶を返すものだ。
礼儀正しく立派な人の前では、反射的に礼儀正しく立派な人になろうとするだろう。

立派な語り口の落語なんて面白くないよ。

だから、女性の落語家は、女性の立派さをどこかで破らなくちゃならないと思う。

そして、その一つの手段として「迷い、悩み」があるように思う。

それは、立派な人は、言い切る、断言する、決めつける。
だから、女性落語家は、まず、迷い悩んでいる自分を見せることで、立派の色を薄めよう。

メイクも髪も衣装も立派な方への方向性を持っている。できるだけおさえよう。

笑いやすい環境を作って、やっと男性落語家と同じスタートラインに立ったと言える。

そして、勝負だ。これなら、後は実力次第。

女性落語家の不利な部分はそこだと思うのだが、いかがでしょうか。




2012年2月3日金曜日

基準値を超えたなまりです、えっ、どんなになまってるの、と思ったら鉛でした

「こんな料理を作っちゃいましたのコーナー」の6回目。

今日は「茹でジャガ」。

用意するモノは、ジャガイモ、お湯、砂糖。

ジャガイモは皮のまま茹でます。フカフカになるまで茹でます。
お塩は入れません。
茹で上がったら、皮を剥きながら、たっぷり砂糖をつけていただきます。

バターやお塩じゃなく、砂糖はジャガイモの僅かな酸味と相まって10GOOD!




交番の場所は一方通行の出口じゃなくって、入り口にしてほしいです


「BSアーカイブスHV特集▽ただ一人“おい”と呼べる君へ~城山三郎亡き妻への遺稿」を見た。

豆撒きの今日に相応しい、心洗われる時間だった。

黄金の海の見える茅ヶ崎の高台の家、潮騒、安楽椅子を包む陽光、雑然と資料が散らかっている部屋、重く質素な佇まいの中に、ウェッジウッドのペールブルーに白い模様をあしらった写真立て。その円い窓から「容子さん」が微笑む。

久しぶりに唸るような潮騒に包まれたいなと思った。



2012年2月2日木曜日

ヌルイお湯のほうが汗をかくというのでヌルイお湯に入ってたらどんどんヌルクなっちゃった


アメリカの漫談は、内容が大事だが、日本では内容よりも「馴染み」が大事だと聞いたことがある。

「こいつは面白い」と思ってくれないと、日本人には受けないということらしい。

そう考えると、「まくら」は馴染むためにあるのかもしれない。

まくらでワラってもらうことがいかに大切かは、前回の志ん諒の会で実感した。

なんでもない火焔太鼓の入りから、笑い声が手拍子のように聞こえて、のれた。有難かったです。



フジッリ (Fusilli) をはじめてみた時、「これってヨコヅナ(ひねりあげ・揚げたお菓子)?」


またまた「こんな料理を作っちゃいましたコーナー」第5回。

今日は「とろけるチーズケーキ」。

用意するものはとろけるミックスチーズ(ピザ用とか)、カステラ(コンビニで105円の)だけ。

カステラは厚みを半分(1cm位)になるように切り、とろけるミックスチーズをたっぷりのせて電子レンジで30秒、チーズがトロッとしたら出来上がり。

紅茶にもビールにも。

更に、ブランデーかラムかコアントローなんかにちょっと浸すと10GOOD!



2012年2月1日水曜日

好きな半熟卵ぐあいは湯が温まってから8分


調べると、「換骨奪胎(かんこつだったい)する」とは「古いものに新しい工夫をこらして再生する」こと。

落語は一席一席がその作業だ。

ところが、いろいろ落語を見ていると、「再生」されていないものが多い。

同じ「根」から再び新たに生まれてこその「再生」だ。
それは、アスパラやインゲン豆を育てるのと似ていて、元の部分を大切にしないとイイものにはならない。その元の部分とは何か。

一つにはその落語の「心」だろう。「精神」と言ってもいい。

ギャグを挿入するのも結構だが、そのために「心」が損なわれてはなんにもならない。

ことさら、古い時代設定の「心」は現代の「心」と大きく異なる。その違いこそ、細心の注意を払って作り上げなければならない。言わば建物の柱なのに、それを蹴倒すようなギャグを入れたりする。あっという間に話は瓦解していく。

理想の話は笑いの量を目指すモノではない。
それは理想の仕事がカネの量を目指すモノではないことと同じだ。

落語が目指すモノは何んだろう。
自分と一緒に落語をやる人たち全てにもう一度考えてもらいたいと念うなぁ。