2012年2月29日水曜日
テレビが古いから壊れたんだなとずっと思っていたら、まさかアメリがアンテナを壊していたなんて
雪かきをした。
北海道なら樹脂製の赤い大きな「雪かき棒」があるのだが。
デッキブラシでゴシゴシした。
ゆっくりと動いている車、そろそろと歩く人
降る雪のフワフワとしたリズムに、
のんびり。ゆったり。
いつもの忙しさが雪の湿った空気に浸って溶けたかな。
佐川急便のお兄さんが歩いてる。
2012年2月25日土曜日
塩昆布のスープに梅干し
「北海道の美しい景色を紹介するコーナー」の5回目。
今日は帯広空港からの道。
北海道、千歳に飛行機で行こうとすると、冬には時として天候悪化で千歳に降りられずに、旭川空港や帯広空港に降りてしまうことがある。
「あーぁ」と「さぁ、これからさらに大変だ」という気持ちで、車窓から見た景色だからそんなふうに見えたのかもしれないが、なんとも荒涼としてひたすら静かな景色だった。それは、帯広空港からの道、どこまでも見える限り、山谷の起伏に沿って真っ直ぐ。
北海道には真っ直ぐな道はよくあるけれど、この道は大きく波打つ起伏の上の真っ直ぐな道で。
なんとなく、「いろいろあるけどとにかく行くぞ」といった感じの道だ。
車の後ろにキラキラと舞い上がる雪煙の中にすっと伸びていく一本の真っ直ぐな道。
自分が走っているというより、道がどんどん伸びて行っているように感じる不思議な景色だ。
2012年2月23日木曜日
耳を両手で押さえるとゴーゴーとウルサイのはなぜ
「そりゃぁないだろう」と思わず呟くようなことがあってこそ、おかしみが湧き上がる。
「心の平衡」が崩れる、いや、やや傾く程度でも、それを戻そうとして「笑い」が生まれる。
「調和」を揺らすこと、これが落語の特徴だ。
そして、「笑い」で「調和」に戻したらまたすぐに揺らす、その振幅は話が進むほどに大きくなる。
その方法は落語家百人百様だ。ただその百人の大半が揺らすことばかりに気をとられ、肝心の「調和」を作ることに注意を向けないのはなんとも悲しい。
映画「スナイパー」原題「The Contract」を観た。主演のモーガンフリーマンは殺し屋だが、「調和」を湛えた殺し屋だ。モーガンフリーマンの最後の台詞を聞いたとき、思わず微笑まずにはいられなかったのは、それまで1時間半もかけて築き上げた殺し屋の「調和」から大きく傾いた事を知ったからだ。
(宗教から離れた視点から観ても)
モーガンフリーマンが落語をやることはないと思うが、全身で表す「人間性」には感心するばかり、おそらく落語をやってもすばらしいと思う。
2012年2月21日火曜日
いままで志ん諒の会においでいただきました皆様に、第7回志ん諒の会のご案内ハガキを発送いたしました。よろしくお願いいたします。
そして、その臭いには明らかに好みがあるという。
男性と比べて女性の方が臭いに敏感なように思う。
臭いは微粒子、その正体は化学物質だ。
それが生物由来のモノなら、何かの行動のリリーサーになっている可能性がある。
映画とかでヒトメボレのシーンは、写真を見てヒトメボレをするなんてシーンはまずない。抱き起こしたり、倒れるところを抱きとめたり、唐突にぶつかったりと、たいていは身体の接触があってヒトメボレする。
もしかして、ヒトメボレの秘密はその「無意識に感じている臭い」にあるのかもしれない。
2012年2月20日月曜日
ひっくり返せないプリンなんて
そもそも古くから男性は外敵から女性を守る役目だった。その外敵が姿を見せなくなると、その役目に相応しいような男は不必要とばかりに目を背けられる。
現代において、女性の敵は遠く異国からの侵略者ではなく、協調すべき身近な者達である。それは例えば、上司であり、先生であり、親族であり、同僚であり、夫の前妻であり、彼のモトカノであり、親しい女友達等である。
これらは、撃退する敵ではなく、協調する敵である。
そこにはもう敵を殲滅して守るような存在としての男の居場所はない。
求められるのは、協調の中で疲弊した彼女たちを癒やし甦らせる男である。
「嵐」が作り出す「和み」と「笑顔」は現代の新たな男の理想を示しているのかも知れない。
2012年2月19日日曜日
新しい消しゴムの角
では女性にとっての男の理想とは何だろう。
まあ、それこそが宇宙がどんなモノなのかと同じ永遠の謎だ。
ただ、そこに月があることは解かるように、わずかだけれど理解できることはある。
ただ、その多様性は生物の種ほどあるようだ。
以前、「嵐」が国立競技場でコンサートをした。我が家の屋上からは国立競技場の聖火台の下の方の観客席までが見える。直線距離300メートル、歌声も歓声も届く。コンサートの時だけ設置された巨大なプラズマビジョンもハッキリ見える。「嵐」ファンで会員番号が70万番台、チケットが当選しなかった嵐難民のみなさんがここから見た。競技場の楕円形の縁から打ち上げられる花火や無数の風船など場内よりダイナミックな演出を体験できたと喜んでもらえた。
うーん、しかし、どうしてこんなに「嵐」は人気があるのか。
「嵐」は明らかに男の理想ではない。と思わずにはいられない。
落語を聞いてて寝ちゃっても不思議と落ちの前には目が醒める
目技とでも言おうか。
言葉を発しない芸。
落語のなかで、「ここ」というところで出す芸がある。
幾つもの複雑な感情を敢えて言葉を使わずに表現する。
「岸柳島」も「愛宕山」も、「ここ」という所を見せたい。
2012年2月18日土曜日
第4回千駄ヶ谷落語会にご出演のみなさん、ご出演のDVDとアンケートの結果を本日郵送しました。いましばらくお待ちを。
茶色のオアシスがサハラって名前でビックリしたことがある。
その名前にひろがるイメージに驚いたばかりでなく、サハラという名前は砂漠では水が貴重なことから、その商品の花にとっての重要性を感じさせる。
名前のセンスは社会としてもっと磨くべきだと思う。そのためにも、いい名前をいい名前として讃えるべきだ。またよろしくない名前はなぜよろしくないのか、その理由を社会が考えるべきだろう。
名前について考えることはその実体を超えて社会を考えることになると思う。
いい名前を求めることで少しでもいい社会になればと思う。
2012年2月17日金曜日
2012年2月16日木曜日
白ワインのホットワイン
今日は「岸柳島」の原稿を仕上げていた。今回のテーマは「鼻濁音」だ。「鼻があぐらかいててワニグチてんで」などはなかなか手強い。
舟上の話なのだが、やはり揺れた方が良いのかな。「船徳」で「酔っちゃった」てお客さんがいたからなぁ。
二人の町人の演じ分けが課題。
2012年2月15日水曜日
2012年2月14日火曜日
花は桜木
いい発声も、いい演技も、それが落語の主たる要素ではないと書いたが、では主たる要素とは何か。
それは「心」だと思う。
落語は話芸だから口で話し、耳で聞くものと言うが、厳密には誤っている。
落語と反対の例として、古い「ニュース映画」のナレーションを思い出してほしい。
借り物の言葉、借り物の声、そこにナレーター自身は存在しない。
落語の中には、何を言ってるんだか、どんな話なんだか、さっぱり解らないのに、やたら可笑しく、気持ちを揺さぶられる芸がある。
これは、時として素人にこそ見ることが出来る芸だ。
以前一緒に落語をした「千葉ちゃん」さんや、今一緒にやっている「なおき」さんの落語がいい例だ。どちらも、表面上未完成な落語ながら、思わずわき腹をおさえて笑ってしまう。
落語界には「真打ち」という称号がある。どのような謂れなのかは知らないが、ボクが思うに、落語が「心」の芸なら、「心を打つ」から「心打ち」となったのではあるまいか。
ならば「千葉ちゃん」さんも「なおき」さんも「心打ち」に違いない。
ホットワインにショウガ
ホイットニーヒューストン の 1991年スーパーボウルでの国歌斉唱を見る。
スーパーボウルでの国歌斉唱といえば、忘れられないのが1994年のナタリーコールだ。
朝8時から生で見た。月曜日だ、なんとか無理無理見たのだと思う。
どちらもその時、その歌を聴きながら、「うわっ、そうくるか」という心持ちで、背中がザワザワッとして、思わずグランドに駆け出したくなった。
そういえばこの子もすごかった
髪型が上のナタリーコールと似てるなあ
2012年2月13日月曜日
お金を出して安全を買うっていうけど大丈夫か、なんせ相手は売らんだよ
次は3月4日(日)第7回志ん諒の会。
桜の季節を前にして「愛宕山」。
でもう一席、なにがいいかと見回して、
「岸柳島」。
ゲストは馬ん咲さん、遊三んさんにお願いしまして、
またまたお賑やかな会になればと思います。
2012年2月12日日曜日
「蚊にさされた」、蚊のことをずっと「かに」だと思っていた子
「こんな建築、インテリアに驚いちゃったよコーナー」の3回目 。
家の近く、千駄ヶ谷に壁面が石の建物がある。石と言っても、そんなちいさなものじゃなく、径が50センチ以上はあるような丸い石だ。それが3階建ての高さいっぱいにモルタルを目地にして壁全体を埋め尽くしている。
とにかく「大丈夫なのか」という不安が先に立つ。
どうも、近頃、いくつかの建築が「不安を与える要素」を意識しているように思える。
斜めに覆い被さるような壁、倒れそうな柱、寒そうな空間などだ。
結果として、「不安」になるのかもしれない。いや、不安をおぼえるのはボクだけなのかも知れないが。
ただ、建築というものは「大地が立ち上がったもの」として、安心と機能を与えてくれるという考えからすると、どうだろう。
「血がでている」、血のことをずっと「ちが」だと思っていた子
落語が面白くない理由の一つに演者の「独善性」がある。
もとより独善性とは自分だけが正しいと思い、他者の意見を聞き入れないことだ。そんな人が落語をやって面白いはずがない。
なぜなら落語はお客さんと作り上げていく芸だからだ。その同時性は繊細な情報交換の上に成り立つ。「ああそうか、ここでこうするといいんだな、よし、それならこれでどうだ」と常に考えながら、受け入れながら進めていくのが落語だ。
ならば謙虚であればいいか、いいや、「独善性」は時として「謙虚な態度」に内包されていることがある。もちろん礼儀を踏み外してはいけないが、落語は謙虚にやってはならないと思う。それはその向こうにちらちらと独善性が垣間見えるからだ。
お客さんの反応第一に演る、のびのびと一所懸命演る、ドンドン積極的に演る、率直に素直に演る、これが落語だ。
自分の非を積極的に認め、いつもよりよい方向に修正していく、今、この時、この瞬間に、お客さんと一緒に作り上げていく、それが落語だ。
もうすぐ春ですねえちょっと気どってみませんか
第4回千駄ヶ谷落語会でした。
なにより足を運んで下さいました40名を越えるお客様に感謝いたします。ありがとうございます。次回3月4日(日)の志ん諒の会にも是非お越し下さい。
笑い声の絶えない、お客様「寄席のような」会でした。
13:45---なおき---緑の窓口
14:00---宮の輔---動物園
14:10---奴だこ---時そば
14:30---馬ん咲---松山鏡
14:45---馬ん次---代書屋
15:00---金 頓---強情灸
お仲入り
15:30---遊三ん---道灌
15:50---有 楽---六尺棒
16:05---志ん諒---宮戸川
16:25---八 叟---小言幸兵衛
次の第5回千駄ヶ谷落語会は8月11日(土)です。
よろしくお願いします。
2012年2月11日土曜日
2012年2月9日木曜日
寒いときにはよく手を擦って温めた
高速道路が渋滞していた。3車線ともノロノロだ。一番左でノンビリしていると、後ろからなにやら拡声器の音が近づいてくる。それはしだいにハッキリと言葉が聞き取れるようになった。
「車両は路肩を走ります」と言っている。
サイドミラーにはヘッドライトを煌々と光らせて路肩から車が近づいてくる。「パトカーだな」と思うと、通り過ぎていったのはいわゆる宣伝カーだった。
なるほど「車両」には違いない。
コップで海をすくえばコップの中に海がある
「北海道の美しい景色を紹介するコーナー」の4回目。
今日は「外の雪」。
北海道は冬、強い北風を浴びる。家はたいてい、良く陽が入るようにと南側に窓がある。北から吹き付ける横殴りの雪は南側に吹き溜まる。窓の半分も雪の中に沈む。
そんな窓の外の雪に小さな穴を掘ってロウソクを置く。
火をつけると、灯りは周りの雪に広がって部屋を照らす。
こんなに身近に北海道には景色がある。
2012年2月8日水曜日
得意料理は「コーヒーとバナナ」えっそれって料理
いよいよ落語会。自分の会と違って、仕度にも力が入る。4回目ともなると慣れてきたが、それでもまだまだ手探りだ。
最近は会が終わった後、お客さんと一緒になって、イスを片付けてはそのまま「打ち上げ」というのが恒例になった。これがまた楽しい。
お客さんに演目ごとに「ご感想ご意見」を書いてもらっている。これを切り分けてそれぞれの演者に渡している。これもまた楽しみであり、皆さん大きな励みになっているようだ。
自分自身どんなご意見がくるかと楽しみにしている。前回は「便座が冷たい」とのご意見をいただいたので、さっそく暖かくした。有難いことです。
手探りの中、気付かないことだらけなのでよろしくお願いします。
北極星は431光年彼方だから今夜の北極星は1581年信長の時代から届いた光
「こんな料理を作っちゃいましたのコーナー」の8回目。
今日は「トマトパスタ」。
用意するもの、トマト、醤油、パスタ。
トマトをくし形切りにして、フライパンで焼く。
火が十分通ったら、醤油をたっぷり加えて、
アルデンテ(9分茹でのものなら6分半くらい)に茹でたパスタにのせて頂きます。
お好みで、ベーコン、葉野菜、コーンなどを加えると 10 GOOD !
2012年2月7日火曜日
2月11日(土)1時30分開演・「第4回千駄ヶ谷落語会」プログラム
(1時30分)
1.どれみ亭恭ん恭ん・エイプリルフール
今年85歳、ますます話芸に磨きをかけて、今日は自作の新作落語でご機嫌を伺います。ハッキリとした口調、声量にちょいと驚く。
(1時45分)
2.千一亭なおき・緑の窓口
まだ落語を始めて日が浅いので、クッと緊張して詰まることがあるが、これもが味があって可笑しい。「緑の窓口」でちゃんと切符が買えるのかなと本当に心配させる芸なんてなかなかない。
(2時00分)
3.駒々亭宮の輔・動物園
落研在籍の大学生。軽快なテンポとハツラツとした口調なのに、どこかとぼけた雰囲気が可笑しい。突然の大きな声に驚かないように身構えて。「動物園」は猛獣が出て来ますからね。
(2時10分)
4.上り亭奴だこ・時そば
得意ネタ「ひょっとこそば」では大いに笑った。今日はそばシリーズ第2弾、言わずと知れた「時そば」。さあ、どんな食べっぷりか。おそばを食べたくなった方は近くに「とちぎや」というおそば屋さんがございます。
(2時30分)
5.麹家馬ん咲・松山鏡
得意ネタ「厩火事」で、ヤキモチを焼いたらもうコンガリと焼いて、とてもうまかったので、きっと今回もと。さらにこの「松山鏡」では、田舎で、ナマリで焼かなくちゃならないわけだ。こりゃ可笑しくならないわけがない。どんなケンカを見せてくれるか楽しみ。
(2時45分)
6.麹家馬ん次・代書屋
千一亭では「胴切り」「肥がめ」で知られているが、実は「代書屋」こそ十八番、満を持しての登場。昔は、お役人のような人は頑固で気むずかしく威張っていたもの。そんな代書屋さんも、あらあらあら。馬ん次さんにかかると、可笑しいだけじゃなく時代背景へも思いが広がる。
(3時00分)
7.鴨志田亭金頓・強情灸
千一亭落語研究会の会長。名実共にまとめ役。ここにきて、アイロニカルな、皮肉っぽいまくらはますます絶好調。何が飛び出してくるかわからない。いい例えが見つからないが、福袋か笑い袋か。渋い語り口で際立つ強情さが可笑しい。
--お仲入り--
(3時30分)
8.麹家遊三ん・道灌
「お菊の皿」「三年目」と物の怪が板についたところで、ガラッと「道灌」とは。敢えて、基本のキからという心意気が凄い。「お菊の皿」では、終盤、お菊のキレ味が普段見ることがないようなキレっぷりで、見事に可笑しい。動きもまたそこはかとなく可笑しい。「道灌」でもキレが楽しみ。
(3時50分)
9. 春乃家有楽・六尺棒
のんびりとした雰囲気の中で、真剣な人情の遣り取りが可笑しい「火事息子」をはじめ、「青菜」「笠碁」「やかん」「甲府い」の何れも、「えっ、そうかい」という息を吸い込みながら惚ける有楽さん独自の表現が、ふわふわとして、実に可笑しい。
(4時05分)
10.千一亭志ん諒・宮戸川
「お花半七馴れ初め」という「宮戸川」の前半だけの話。やはり後半はバイオレンスサスペンス風な展開なので見合わせた。落語家自身が若い時分にやる話だと思うが。あえて掛けてみる。
「お時間です」「本が破れて」「テープが切れて」と下げはいろいろだが、今回は志ん諒オリジナルの下げでご機嫌を伺います。
(4時25分)
11.N文亭八叟・小言幸兵衛
千一亭落語研究会の副会長。名実共に女房役。なんといっても「昔の名人達のものまね落語」は落語界広しといえど他では聞けない名演。また、まくらの歌舞伎、舞踊の話には「へぇー」と何時も驚かされる。今回は「稽古屋」「七度狐」など得意とする音曲話ではなく、もしかするともっと得意としているかもしれない小言(叱言)のはなし。だが、なんといっても口調がなめらかで優しい、それだけに厳しい小言なんてとても言えそうにない。だから、どんな「小言幸兵衛」になるのか。考えるだけで実に可笑しい。
2012年2月6日月曜日
髪を伸ばすコツは切らないこと
第46回スーパーボウル、インディアナポリスのルーカス・オイル・スタジアム。AFCニューイングランド・ペイトリオッツ対NFCニューヨーク・ジャイアンツの対決、21対17でジャイアンツが勝つ。
特徴的なだったのは試合が「ニーダウン」という時間つぶしで終われるのに終わらなかったことだ。
トム・コフリンヘッドコーチの「ファミリーとしてのチーム作り」でニューヨーク・ジャイアンツが「どのように勝利するか」に試合の重きを置いているように思った。
試合終了後のインタビューでもトム・コフリンヘッドコーチは「ハーフタイムには、後半はもっといいプレーが出来るはずだと励ました」と言っている。
勝つ事だけが目的のアメリカンフットボールに、ナイスプレーの先に勝利を目指すラグビーフットボールの精神が宿って来ているのか、また、そうゆうチームだから勝利したのか。
2012年2月5日日曜日
エスカレーターの段を選んでしまう人
今日は千一亭落語研究会の千駄ヶ谷落語会に向けての直前稽古会、ご指導いただいたのは三遊亭とん馬師匠。
各自、猛省して後5日、稽古の決意を見せる。
ビール美味し。なおきさんの日本酒も美味し。
焼きそば、カレー風味焼きそばを振る舞う。
音楽配信の「WMA」って「ウマー」
女性落語家は男性落語に比べて不利であるかのように書いてしまったが、そうとばかりは言えない。
「立派さ」に対極をなすもに「可愛さ」があるからだ。極端な例かもしれないが水森亜土さんが落語をやったらきっと素晴しい高座になると思う。もちろんキチントした落語になっていなければならないが。
「愛され何某」といったキャッチコピーを女性ファッション誌に良く見かける。今時の女性の目指しているものか。
すれば、「愛され落語」を目指すことこそが今時の女性落語家の在り様かな。
いかが。
タモリクラブもずいぶん品良くなったなと思ったらブラタモリだった
雑誌「ニュートン」を読んだ。タイムマシンの特集だ。時間旅行は可能か、過去を変えると現在も変わるのか、多元世界の可能性はといった話題だ。
先日、城山三郎さんが妻を亡くして、ある人から見れば「腑抜け」てしまったと見られる様子を見たが、もし過去に行くことができたら、城山さんはどうなっただろうと思った。
光より早い素粒子が発見されているそうだ。本には書いていないが、たとえ過去に行くことはできなくとも、過去と交信することは可能になるかもしれない。もし、亡くなった人と話ができたら、たとえそれが多元世界の人であったとしても、有難いことだろう。
過去は人を癒す力を持っている。
今はまだ多元世界の過去と交信することはできないが、この世界の過去、自分の中の過去の人と交信することは可能だ。
なんだ、自分世界では何時でも時間旅行が出来るじゃないか。ただ、それが何時でも一人旅なのが残念だが。
2012年2月4日土曜日
エレベーターで「閉」の字を何度も押している人
「こんな料理を作っちゃいましたのコーナー」の7回目。
今日は「えびしんじょう」。
用意するモノ、むきえび、はんぺん、卵。
エビは細かく切り、はんぺんと卵でまぜまぜにして、
スプーンですくって、フライパンに少し油をしいて、かけ油しながら焼き揚げる。こんがり焼き色が付いたら出来上がり。
ショウガをタップリのせて召し上がれ。
さあ、豆蒔くぞ、みんな外の庭に出ろ、えっ、なんでって、おにわはそとだろ
少し前に書いたことだが、母は有り難い。立派だ。いや、それは母ばかりではない、母性を持つモノ全ては有り難い。すなわち、女性はまさに有り難く、女性はそれだけで立派である。
だから、もしかすると、女性が落語をやるとつまらなくなる原因はそこにあるのかもしれない。
そりゃ、立派だなと思ったら、とても笑うなんて畏れ多いことだ。
いや、これは嫌みではない。キチントしていればいるほど、その人を前にして、笑っては失礼という構えが出来てしまう。
人は丁寧に挨拶されると、反射的に丁寧に挨拶を返すものだ。
礼儀正しく立派な人の前では、反射的に礼儀正しく立派な人になろうとするだろう。
立派な語り口の落語なんて面白くないよ。
だから、女性の落語家は、女性の立派さをどこかで破らなくちゃならないと思う。
そして、その一つの手段として「迷い、悩み」があるように思う。
それは、立派な人は、言い切る、断言する、決めつける。
だから、女性落語家は、まず、迷い悩んでいる自分を見せることで、立派の色を薄めよう。
メイクも髪も衣装も立派な方への方向性を持っている。できるだけおさえよう。
笑いやすい環境を作って、やっと男性落語家と同じスタートラインに立ったと言える。
そして、勝負だ。これなら、後は実力次第。
女性落語家の不利な部分はそこだと思うのだが、いかがでしょうか。
2012年2月3日金曜日
基準値を超えたなまりです、えっ、どんなになまってるの、と思ったら鉛でした
「こんな料理を作っちゃいましたのコーナー」の6回目。
今日は「茹でジャガ」。
用意するモノは、ジャガイモ、お湯、砂糖。
ジャガイモは皮のまま茹でます。フカフカになるまで茹でます。
お塩は入れません。
茹で上がったら、皮を剥きながら、たっぷり砂糖をつけていただきます。
バターやお塩じゃなく、砂糖はジャガイモの僅かな酸味と相まって10GOOD!
今日は「茹でジャガ」。
用意するモノは、ジャガイモ、お湯、砂糖。
ジャガイモは皮のまま茹でます。フカフカになるまで茹でます。
お塩は入れません。
茹で上がったら、皮を剥きながら、たっぷり砂糖をつけていただきます。
バターやお塩じゃなく、砂糖はジャガイモの僅かな酸味と相まって10GOOD!
交番の場所は一方通行の出口じゃなくって、入り口にしてほしいです
「BSアーカイブスHV特集▽ただ一人“おい”と呼べる君へ~城山三郎亡き妻への遺稿」を見た。
豆撒きの今日に相応しい、心洗われる時間だった。
黄金の海の見える茅ヶ崎の高台の家、潮騒、安楽椅子を包む陽光、雑然と資料が散らかっている部屋、重く質素な佇まいの中に、ウェッジウッドのペールブルーに白い模様をあしらった写真立て。その円い窓から「容子さん」が微笑む。
久しぶりに唸るような潮騒に包まれたいなと思った。
2012年2月2日木曜日
ヌルイお湯のほうが汗をかくというのでヌルイお湯に入ってたらどんどんヌルクなっちゃった
アメリカの漫談は、内容が大事だが、日本では内容よりも「馴染み」が大事だと聞いたことがある。
「こいつは面白い」と思ってくれないと、日本人には受けないということらしい。
そう考えると、「まくら」は馴染むためにあるのかもしれない。
まくらでワラってもらうことがいかに大切かは、前回の志ん諒の会で実感した。
なんでもない火焔太鼓の入りから、笑い声が手拍子のように聞こえて、のれた。有難かったです。
フジッリ (Fusilli) をはじめてみた時、「これってヨコヅナ(ひねりあげ・揚げたお菓子)?」
またまた「こんな料理を作っちゃいましたコーナー」第5回。
今日は「とろけるチーズケーキ」。
用意するものはとろけるミックスチーズ(ピザ用とか)、カステラ(コンビニで105円の)だけ。
カステラは厚みを半分(1cm位)になるように切り、とろけるミックスチーズをたっぷりのせて電子レンジで30秒、チーズがトロッとしたら出来上がり。
紅茶にもビールにも。
更に、ブランデーかラムかコアントローなんかにちょっと浸すと10GOOD!
2012年2月1日水曜日
好きな半熟卵ぐあいは湯が温まってから8分
調べると、「換骨奪胎(かんこつだったい)する」とは「古いものに新しい工夫をこらして再生する」こと。
落語は一席一席がその作業だ。
ところが、いろいろ落語を見ていると、「再生」されていないものが多い。
同じ「根」から再び新たに生まれてこその「再生」だ。
それは、アスパラやインゲン豆を育てるのと似ていて、元の部分を大切にしないとイイものにはならない。その元の部分とは何か。
一つにはその落語の「心」だろう。「精神」と言ってもいい。
ギャグを挿入するのも結構だが、そのために「心」が損なわれてはなんにもならない。
ことさら、古い時代設定の「心」は現代の「心」と大きく異なる。その違いこそ、細心の注意を払って作り上げなければならない。言わば建物の柱なのに、それを蹴倒すようなギャグを入れたりする。あっという間に話は瓦解していく。
理想の話は笑いの量を目指すモノではない。
それは理想の仕事がカネの量を目指すモノではないことと同じだ。
落語が目指すモノは何んだろう。
自分と一緒に落語をやる人たち全てにもう一度考えてもらいたいと念うなぁ。
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